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救急医療の危機を救うもの

 救急医療にとって、一刻も早く治療を開始することは至上の命題である。わずかな時間差が、患者さんの生死を分ける結果を招くからだ。

 この命題を達成するために、世界各国ではさまざまな法令や基準を設けている。ドイツ各州の救急法実施規則は、救急治療の開始をおよそ15分以内と定める。これはヘリコプターに限ったことではなく、救急車でもドクターカーでも、そのときの状況に応じた最適の手段で医師が救急現場に15分以内に駆けつけることを求めたものである。

 スイスも同じような目標をかかげ、アルプスの高山でも谷間の奥でも15分以内に医師を送りこむために、全国くまなく救急ヘリコプターを配備する。

 しかし15分では遅すぎるというのがイギリスやイタリアで、その基準は8分である。イギリスの8分は達成目標75%とされ、ウェールズでは5年ほど前のこと、達成率56%という結果が出て、行政府の救急責任者が辞任に追いこまれたこともある。

 アメリカも、8分以内を要求する市やカウンティが多く、シアトルなどは7分を目標としている。

 こうした世界の状況に照らして、日本はどうであろうか。総務省消防庁の集計によって救急車の現場到着時間を見ると、2008年の全国平均は119番の電話を受けてから7.7分であった。世界のどこにもひけを取らない実績といえよう。ところが日本は、欧米諸国と異なり、これが初期治療の開始時間にはならないところに問題がある。

 ドイツやフランスでは医師が救急車に乗ってゆくので、その到着と同時に治療が始まる。アメリカやイギリスは、ほとんど医師が出ない代わりに、パラメディックすなわち救急救命士が医師に準じた治療の権限をもち、その場で治療にあたる。

 しかし日本では救急救命士の医療行為が制限されているため、実際の救急治療が始まるのは患者の病院収容後まで待たなければならない。その収容時間は2008年の全国平均が35.1分であった。救急隊の懸命の対応にもかかわらず、救急医療としては手遅れというほかはない。

 ドクターヘリやドクターカーは、その点を補うもので、医師が乗っているので現場到着と同時に治療開始となる。しかし、これらが将来いかに普及しても、年間500万件もの救急出場を補いきれるものではない。

 いま日本の救急体制には、さまざまな問題が生じている。医師の不足、病院の閉鎖、救急車の受入れ拒否、最後は患者の死に至ることも少なくない。こうした問題解消のためには、救急車にも医師が乗るか、救急救命士の教育課程を大学医学部に準じたものに改めたうえで医療行為を認めるか、その根本から救急医療制度を見直す必要がある。

 世界に冠たる日本の医療だが、その基盤をなす救急医療はいつのまにか世界で最も遅れた制度に成り下がりつつある。この危機を救うには若い学徒の新しい発想と熱い意欲が必要であろう。

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