大都市ロンドンの救急ヘリコプター

 

 月刊『航空情報』誌に断続的に連載してきた「ロータークラフト・ナウ」は24回を数える。この中にはヘリコプターによる防災救急問題を何度か取り上げ、先進諸国の例としてはドイツ、アメリカの救急システムを初め、97年10月号でフランスの緊急医療サービス(SAMU)について書いた。今回(98年1月号)は英国の、特にロンドンのヘリコプター救急サービス(HEMS)を取り上げたい。その最大の特徴は人口1,000万を超える大都会の中でヘリコプターを駆使し、1日3〜4回もの緊急出動をして市街地の中に着陸し、人命救助に当っているところにある。

 

SAMUも及ばなかったダイアナ妃の悲劇

 ロンドンへ行く前に、先のパリSAMUの続篇を書いておきたい。それは、ほかならぬプリンセス・ダイアナの死である。あの悲劇は改めて自動車事故の恐ろしさを見せつけた。いかに美しい人であろうと、いかに高貴な身分であろうと、いかに世界がそのことを望まなくても、運命は常軌を逸した速度で車を走らせ、その結果を死神の手にゆだねたのであった。

 黒い塗装に銀の縁取りをしたベンツは、その日の深夜午前0時35分頃、蠅のように群がるバイクやスクーターから逃れるように、パリのエッフェル塔に近いセーヌ左岸の入口から猛スピードでトンネルの中に走りこんだ。と思うや、鈍い爆発音が内部に響きわたり、辺りは一瞬静まり帰った。わずかに細くうめくような車の警笛だけが鳴りつづけた。

 数分後には早くもパトカーが到着した。警官の1人は原形をとどめぬほどにつぶれた車に駆け寄り、もう1人は車の周りに群がっていたカメラマンたちを排除した。車の中で運転手は前席左側、ボディガードは前席右側に乗っていた。またダイアナ妃は後席右側に乗っていて、車は左側の柱に激突した。そのため左側の2人が即死、右側のボディガードは命を取り留め、妃は虫の息であった。

 救助隊は長くかかってねじ曲がった車の屋根やドアを切り取り、ようやくのことで生きていた2人を車の外へ引き出した。そして応急治療をほどこし救急車にのせたが、救急車の中でプリンセスはきわめて危険な状態にあった。胸に打撲傷を受け、多数の骨が折れて、左肺が大きく傷ついていた。

 運びこまれたのはピティ・サルプトリエル病院。救急治療に関してはパリ有数の病院だが、事故から1時間20分が経過していた。集中治療室で待っていた医師たちは、ダイアナ妃がまだ死んでいないことを確認した。けれども意識はなく、大量の内出血を起こしていた。

 それから2時間、彼らはあらゆる手段をつくしてダイアナ妃を蘇生させようとした。最後は胸を切り開いて、直接の心臓マッサージを試みた。だが余りの出血多量で、外傷も全身に及んでいた。医師たちの懸命の努力にもかかわらず、ついに午前4時、プリンセス・ダイアナの死が宣告された。

 プリンセスの死を看取ったフランスの救急体制は、いま世界の最高水準といってよいであろう。しかし、もともと深い傷を負った上に、車の中に1時間も閉じこめられていたのでは、助かりようがなかった。深夜のトンネルの中だからヘリコプターも飛ばなかったようだが、救急体制はこれで万全ということはない。あらゆる事態を想定して二重三重に準備をととのえ、なおかつまだ不充分だったというのが現実なのである。 

 

 

ヴァージン・グループの支援で継続

 それから1週間後、ロンドンではプリンセスの国民葬がおこなわれたが、そのロンドンでもヘリコプター緊急医療サービス(HEMS)が活動している。もっとも今年初め、8年間にわたって費用負担をしてきたデイリー・エクスプレス新聞社が96年度をもって支援を打ち切りたいという意向を表明したことから、HEMS消滅の事態に追いこまれるといった危機もあった。

 そこへ3月6日、ヴァージン・アトランティック航空などの企業グループを率いるリチャード・ブランソン会長がHEMSを支援すると発表した。理由の一つは誰かが乗り出さなければ、貴重なサービスがなくなってしまうというものだが、もう一つはブランソン会長自身、何度もヘリコプターに助けられた経験があって、この際、恩返しをしたいというのである。

 ひとりで何度もヘリコプターに救助されるというのも珍しいことである。その最初は1985年、ブランソン会長の乗っていたヴァージン・グループのボートがシリー島の沖合100マイル付近で沈んだとき。乗っていた人びとは付近を走っていた船やヘリコプターに救助され、ブランソン自身もヘリコプターで吊り上げられた。

 1987年7月には、ブランソン会長が友人と2人で熱気球に乗り、大西洋をわたるという記録をつくった。そのときアイルランド沖で英海軍のシーキングに吊り上げて貰った。そして1991年には再び同じ友人と熱気球で太平洋を横断し、カナダ北極圏で自家用ヘリコプターに救助された。

 最近では熱気球で世界一周をしようとして、アルジェリア砂漠に不時着、アルジェリア空軍のロシア製ミルMi-17ヘリコプターにブランソン会長を含む3人が救助された。

 こうしたことからブランソン会長はヘリコプターへのお返しを決断し、HEMSの支援をすることになった。その内容は、デイリー・エクスプレス新聞社から機材を買い取って、運航費を負担するというもの。こうしてエクスプレス紙が長年にわたって支えてきたロンドン・エア・アンビュランス・サービスは今後もヴァージン・グループによって引き継がれることになった。

 

着陸断念はわずかに14回

 ではロンドンHEMSは、どのような形で運営されているのだろうか。使用機はユーロコプターSA365N双発タービン・ヘリコプターが1機。市内中心部に近い王立ロンドン病院の屋上に待機していて、ロンドン・アンビュランス・サービス本部の指示にもとづき、1日3〜4回の救急出動をおこなう。乗り組むのはパイロット2人と外傷専門の救急医が1人、それにパラメディックが1人である。

 機内には救急治療のための機器と医薬品のほか、患者1人分のストレッチャーを搭載する。ただし必要があれば2人分のストレッチャー搭載も可能だし、医師や看護婦を追加することもできる。

 離陸は出動要請からほぼ2分後。活動範囲は主にロンドン周辺を取り巻くM25環状自動車道の中で、直径70kmくらいだから、王立ロンドン病院から飛べば遠くても12分、平均では6分くらいで現場上空に到着することができる。

 現場に着いたヘリコプターは、できるだけ患者に近いところに着陸する。このことを、われわれは軽く見過ごしてはならない。というのは、HEMS関係者がいうように、ロンドンはダラスとは違うからである。双方ともに大都会ではあるが、テキサスの方は周囲の状況に余裕があり、ヘリコプターが着陸できそうな開けた土地が多い。それに対してロンドンは、ぎっしりと建て混んだ人口密集地である。

 にもかかわらず、ヘリコプターはダラスにひけを取ることなく、人命救助のために至るところに着陸する。過去5,500回の出動のうちで、着陸を断念した回数はわずか14回という驚くべき記録をもっている。

 こうしてロンドンでは事故発生から最大15分、大抵は10分以内に医師が患者のもとに到着する。これで迅速かつ的確な治療が可能になり、ひどい後遺症が残るような重症患者もきれいに治るようになった。

 ただし夜間飛行はしない。ヘリコプターの待機時間は原則として午前8時から12時間、もしくはそれ以前の日没までで、夜はヒースロウ空港の北10km付近のデンハム飛行場に戻って整備点検を受ける。これもダラスとは違うところで、暗がりの中でせまい場所に着陸するのは、後に述べるように安全上の危険と経済上の負担が余りに大きすぎるからである。

(この地図は大ロンドン周辺の一般的な地図で、ことさらにHEMSの活動範囲を示すものではない。が、図の中で青く描かれたM25環状高速道路の内側がHEMSの受持範囲にほぼ一致している。また上の図で Inner Zones と書かれた円の中の右端あたりに王立ロンドン病院がある。ヒースロウ空港はM25とM40が交差するあたりの外側にあり、その西にデナム飛行場がある)

 

大空港へも最優先で進入許可

 ロンドンのヘリコプター救急サービス(HEMS)は今から8年余り前、1989年2月からはじまった。その前年にデイリー・エクスプレス紙がヘリコプターを提供し、パイロットや整備要員、その他すべての運航費を負担することが決まった。年間経費はおよそ115万ポンド(約2億円)と見積もられた。

 それに呼応してナショナル・ヘルス・サービスが3人の医師を派遣し、その人件費を負担することになった。さらにロンドン救急サービスがパラメディックを派遣し、厚生省も王立ロンドン病院の屋上にヘリポートを建設、ヘリポートから集中治療室までの患者搬送用のエレベーターなどの施設をつくることになった。

 同時にヘリコプターの選定がおこなわれ、いくつかの候補機の中からSA365Nドーファンが選ばれた。それを半年かかって救急ヘリコプターに改修し、1988年12月に完成した。登録記号はG-HEMSである。

 当初はロンドン郊外のビギンヒル飛行場に待機し、パラメディック2人が乗って出動していた。そこへ1989年9月から医師が乗るようになり、90年8月には王立ロンドン病院の屋上ヘリポートが完成した。

 医師が同乗し、病院を拠点とするようになって、ヘリコプター救急の効果は一挙に高まった。すなわち医療スタッフ、機内搭載の医療器具、迅速な対応、最適な医療施設への患者搬送といったいくつもの条件が実現して、重症患者の救命率が向上したのである。

 ヘリコプターが密集地の屋上ヘリポートで離着陸するためには、カテゴリーAの飛行方式を取らなければならない。いつ何時、エンジンの片方が停まっても安全な飛行を続けるためである。

 運航上のもうひとつの問題は、混雑した大空港への乗り入れであった。ロンドン近郊にはヒースロウ、ガトウィック、スタンステッド、ルートン、シティといった空港があるが、高速ジェット機で混み合う空港へ小さなヘリコプターが入ってゆくのは大変である。けれども、G-HEMSは緊急医療搬送を意味する「メデバック(MEDEVAC)」という特別のコールサインが認められ、緊急出動のときは必要に応じて自由に大空港へ入ってゆける特権が与えられた。

 さらに、ロンドンでは普通のヘリコプターがテムズ川沿いの飛行しか認められないのに対し、G-HEMSはロンドン上空どこを飛んでもよいことになった。またパイロットの判断と責任のもとに、救急現場のどこへでも着陸が許されている。

 飛行中の通信連絡手段は、管制塔と交信できる航空用無線機ばかりでなく、ロンドン一帯のすべての救急サービスに使われるVHF FM/AM無線機の使用が認められ、最近は警察無線も搭載するようになった。大抵の場合、事故現場には警察が最も早く到達する。その警官と交信できれば、あらかじめ現場の状況が分かるだけでなく、着陸場所の確保や交通遮断、野次馬の排除などを空中から依頼することができる。これはヘリコプターと事故現場と一般市民の安全を確保する上で、きわめて有効なことである。

 航空機無線に加えて、パイロットも医療チームも各人が携帯用無線機をもっている。これでHEMSの乗員全員が相互に話ができる。それに管制塔や病院とも交信できるので、ドクターは救急現場から病院に向かって、負傷者の容態について詳しく報告し、迅速に次の手段を取ることができるのである。

 さらに、こうした通信手段を最終的に補うものとして、クルーの各人は携帯電話も持っている。

 

 
(混雑した市街地への着陸接近をするHEMS機。デイリー・エクスプレス紙が支援していた頃の写真)

 

大都会の密集地で現場に着陸

 ロンドンHEMSの大きな特徴は、救急現場が大都会の密集地であるにもかかわらず、ほとんど常に着陸することである。日本では密集した都市にはヘリコプターが着陸できないから救急には使いにくいとか、へき地や離島にしか使えないという考え方が強い。

 たしかに東京や大阪にくらべると、ロンドンの方が密集度は少ないかもしれない。けれども、先にも述べたように過去数千回の出動で着陸を断念したのは14回しかなかったという果敢な実行力は賞賛に値いしよう。もちろん事故は一度も起こしていない。

 ヘリコプターが現場上空に到着すると、機長は周囲の状況を見わたし、安全な場所を選んで着陸する。この着陸場所の選定はヘリコプターの運航上、最も注意を要するところで、第1にほとんどが初めて着陸する場所なのでどんな危険が待っているかもしれない。第2にできるだけ患者に近いところが望ましい。つまり市街地の中で、近くて安全な場所を探さなくてはならないのである。

 そこで機長は現場上空を旋回しながら、着陸場所を見定める。同時に、医療チームは機長が決心した着陸地点から事故の現場まで、どういう道筋をたどって患者のところへ駆けつけるのが早いかを考える。このような着陸地点選定の条件を整理すると表1のようになる。

 

表1 HEMSヘリコプター着陸地点の選定条件

チェック項目

選定条件

着陸地点

目的の現場に近く、かつ医療チームが容易に行けること

場所の広さと形

広さはロータークラフト直径の2倍以上

地表面の状態

固いか。砂塵が立ちやすくないか

地面の傾斜

最大10°以内

周囲の状況

樹木、鉄塔、電柱、ケーブル、住宅、窓、窓の日よけ、ドア、看板などの有無

人  物

付近にいる関係者の位置は近すぎないか。見物人の数。子供はいないか

 こうした条件に適する場所として、最も普通に使われるのは公園、校庭、グランド、駐車場などである。しかし、そこに子どもがいる場合は決して使ってはならない。また道路に直接着陸することも少なくないが、そのときは現場に警官がいて交通遮断ができる場合に限られる。特に離着陸の最中は、片側車線ばかりでなく両側ともに交通規制をしてもらう。

 そして交通の激しい道路に降りた場合は、いったん医療チームを降ろした後、ヘリコプターは別の場所へ移動して、医師の現場治療が終わるのを待つ。また住宅地では普通の道路はせまくて使えない。ただし十字路などが使えることもあるが、周囲に電線のないことを確かめなければならない。

 なおHEMSでは、ヘリコプターの着陸位置を救急現場との関係から、アルファ(A)、ブラボ(B)、チャーリー(C)の3種類に区別している。アルファとは目的の現場に最も近い位置に着陸したという意味。ブラボは、現場は見えないけれども、医療チームは容易に患者のところへ行くことができるような位置、チャーリーは現場からちょっと離れていて、別の車に乗る必要があるような位置に着陸した場合をいう。

 いずれにせよ、HEMS機はほとんど100%に近い頻度で現場近くに着陸する。このことからも、咄嗟の判断で初めての場所に着陸しなければならないパイロットの豊富な経験、すぐれた判断力、果敢な行動力がうかがえるであろう。

夜間飛行の安全性と経済性

 ロンドンHEMS機は夜間飛行をしない。これは大都市の密集地で、初めてのせまい場所に着陸しなければならないことが多いためで、安全が確保できないからである。

 また、あらかじめ設定された場所に降りることもあるが、正式のヘリポートでなければ、臨時に照明するのはむずかしい。結局はヘリコプターのサーチライトを使うわけだが、実は本機には重量がかさむためにサーチライトをつけていない。特に気温の高い夏は、ライトを取りつけるとカテゴリーAの運航ができなくなるためである。

 こうした状況から、夜間は離着陸の場所が限られ、現場近くに降りるのが困難になる。するとヘリコプター本来の意味が失われる。危険を冒して飛んでも、地上から行った方が早いということにもなりかねない。特に夜間は道路がすくから、救急車の到着時間も早くなる。

 また気象条件も夜間は昼間よりも厳しく規制される。さらに夜間は騒音も問題になる。警察のヘリコプターも夜間飛行に対しては安眠妨害という苦情を受ける始末で、こうしたことがひどくなり過ぎると、HEMS反対の声を醸成することにもなりかねない。

 夜間飛行をしないもうひとつの理由は機材が1機しかないことである。この1機だけで1日24時間、常に可動状態で待機するのは無理がある。整備点検の時間が必要だから、夜間を含む24時間体制を取るには予備機が必要になる。結果として機材費はもちろん、夜間待機のための人件費など、経費が大きくかさむようになる。パイロットはもちろん、消防隊員も運航管理者も、何もかもが3倍の経費増になってしまうであろう。

 ただし王立ロンドン病院の屋上ヘリポートには夜間照明施設ができている。明るいうちに出動して、暗くなってから戻ることもあるためだ。

 こうして1日の任務が終わると、ヘリコプターは約10分の飛行でデンハム飛行場へ戻る。格納庫の中で整備点検を受け、翼を休めるためである。

 

 

HEMS出動のドキュメント

 最後にロンドンHEMSヘリコプターの出動のもようを具体的に見てみよう。

 ――その事故は午前9時30分に起こった。高速道路からロンドン市内に入ろうとしていた乗用車が、カーブを切りながらラジオのダイヤルを合わせようとして、運転していた人が下を向いていたために、激しく立ち木にぶつかったのである。

 事故の通報がロンドン救急サービス(LAS)本部に入ったのは9時31分であった。交換手は電話を受けながら、1分足らずで事故の場所と内容をコンピューターに打ちこむ。その結果は直ちに緊急事故デスクのコンピューターから打ち出された。LASには毎日2,000件以上の緊急電話がかかってくるが、それに対してどのような対応をするか――救急車を出すかヘリコプターを使うかは、このデスクで決められるのである。

 それとは別に、パラメディック緊急出動部隊に指示が出ることもある。彼らは足の遅い救急車を使わず、高速乗用車やモーターバイクで出動する。救急車は現場の救出作業や応急手当が終わった頃、やってくるのである。

 一方、王立ロンドン病院の屋上ではHEMSの7人のメンバーが午前8時から待機に入っていた。2人のパイロットはそれより前、デンハム飛行場の格納庫からG-HEMSを引き出し、ここまで飛んできたのである。ほかにヘリパッドには消防隊員2人と運航管理者1人がいた。階下の病院の中では医師とパラメディックも待機していた。

 9時33分、HEMSのコンピューターから事故の状況が打ち出された。HEMSのパラメディックは自分たちが出動することになるだろうと考え、刻々に打ち出される詳細を緊張して見守っていた。

 9時35分、LAS本部はHEMSの出動を決断した。ヘリポートの運航管理者を電話で呼びだし、次のように伝えた。「ヘリコプターの出動を頼む。地図の45頁、レッドブリッジの辺り、環状道路とA12の合流点北側のカーブしたところで乗用車が転倒、内部に人が閉じこめられているもよう」

 これを受けた運航管理者は、ヘリポートの電話を鳴らした。屋上に待機していたクルーは出動指令の出たことを知った。消防隊員2人が機体にかけてあったカバーを外す。すぐに機長が機内に入ってエンジンをかける。G-HEMSはほぼ1分後には離陸準備がととのった。この間、医療チームの2人はオレンジ色の出動服を着て、保温貯蔵をしてあった点滴を取り出し、ヘリコプターへ向かった。

 副操縦士は運航管理者が書き取ったメモのコピーを受け取る。そして事故現場の位置を確認し、階段を駆け上ってヘリポートへ行く。通常は、ヘリコプターへの出動要請の電話が鳴ってからヘリコプターが離陸するまで2分である。

 LAS本部は詳しい情報をヘリコプターに伝えた後、今度は警察と連絡を取り、ヘリコプターが出動することを伝えた。一方、ヘリポートの運航管理者は、ヒースロウ空港の航空交通管制本部(ATC)に電話を入れ、ヘリコプターの緊急出動(スクランブル)を伝えた。

 機長もまた、ヘリコプターのエンジンをかけると同時に、ヒースロウATCを呼び出し、離陸許可を求める。管制官はレーダーで周囲の状況を見ながら直ちにクリアランスを出す。付近に航空機がいるときは、そのことを機長に伝え、また飛行の方角によって飛行高度を指示する。通常は1,500フィートである。

  

救急医が事故現場で手術

 9時37分、ヘリコプターはATCから「MEDEVAC」のコールサイン使用を認められて離陸した。これで、あらゆる航空機に優先して飛ぶことができる。

 副操縦士が機上からLAS本部(無線コールサインはレッドベース)を呼び出した。「レッドベース、こちらマイク・シエラ(G-HEMS)。現場まで3〜4分」。そのわずかな飛行中にも、LAS本部や運航管理者から医療チームの参考になりそうな情報が無線で送られてくる。

 9時41分、ヘリコプターが現場上空に到着。機長は周辺の状況を判断し、安全な場所を選んで着陸することになる。着陸地点の選定条件は先に述べた通りである。

 9時42分、ヘリコプターが着陸し、副操縦士がLAS本部にレポートする。「レッドベース、こちらマイクシエラ、現場にアルファ着陸。医師は30秒で患者のところへゆく」

 9時43分、医師が現場到着。ただし、怪我人は仰向けにひっくり返った車の中に閉じこめられているため、すぐには手当ができない。ほとんど同時にロンドン消防隊が到着して、怪我人の救出にかかる。

 9時45分、救出作業の合間を利用して、救急医とパラメディックの医療チーム「メディックワン」からLAS本部へ無線。「レッドベース、こちらメディックワン、患者は車の中に閉じこめられた中年の男性1人。頭を打って意識不明。気胸手術が必要かもしれない。目下消防隊が救出中」

 9時58分、車の中から怪我人が救出された。やや離れたヘリコプターの中から見ていたパイロットがLAS本部へ連絡する。「レッドベース、こちらマイクシエラ。いま負傷者が車の外へ引き出された。メディックワンが処置をしている。ロンドンまでヘリコプターで搬送することになるもよう」

 このように、現場治療中は医療チームの手が放せないため、パイロットが代わってLAS本部その他の機関への連絡に当たる。これにより救急本部では、いま何が現場でおこなわれているか、その状況を刻々に知ることができる。

 医師は患者の容態を診ながら、その後の処置について判断する。たとえば次のような3種類の判断が考えられる。

(1) 患者の傷の程度が比較的軽微で、地元の病院だけで処置できる場合は、救急車で最寄りの病院へ搬送する。

(2) 最寄りの病院で治療できるけれども、現場手当の必要があったり、搬送の途中で容態が悪化するおそれのある場合は、医療チームが救急車に同乗して病院へ搬送する。

(3) 特別な治療が必要な場合、たとえば脳スキャンや火傷治療が必要で、最寄りの病院では処置できないと判断される場合は、現場手当の後、ヘリコプターで治療可能な病院施設へ搬送する。

 LASの受持ち地域では、ヘリコプターは約40か所の病院に着陸することができる。

 

 

患者と共にロンドン病院に帰投

 10時4分、メディックワンはLAS本部へ最終報告をした。「レッドベース、こちらメディックワン。40歳くらいの男性を車から救出、麻酔をかけて、挿管手術を実施。頭部に裂傷。軽い血気胸のため1,500ccの血液を排出。ロンドンへ搬送するため、患者を機内へ搬入中」

 この最終報告の前に、パイロットの一人がバキューム・マットレスを患者のそばへ運んでいた。このマットレスは小さなプラスチック・ボールを詰めこんだゴム製のマットレスで、その上に患者を寝かせると空気が押し出されて固くなる。これで患者の体全体が固定され、どんな傷に対しても副木の役を果たす。同時にストレッチャーとしても使えるので、そのままヘリコプターに搭載し固定できるのである。

 10時10分、離陸。ヘリコプターは患者をのせているので「MEDEVAC」のコールサインを使いながら、最優先権をもって飛行する。患者がのっていないときは、機長は管制塔に報告してMEDEVACの権利を返上、通常のG-HEMSのコールサインで管制指示にしたがって飛行する。

 原則として、救急患者は容態が安定しなければヘリコプターにのせない。機上では振動があってこまかい治療ができないためである。しかし、医師が治療可能と判断した場合は、多少不安定であってもヘリコプターにのせ、病院へ急行する。一刻も早く、本格的な治療をした方がいいという判断である。

 10時14分、ヘリコプターは王立ロンドン病院の屋上に着陸した。これより前、ヘリコプターの接近を知った運航管理者は救急治療部に電話を入れ、集中治療室の受入れ準備を要請する。消防隊員は患者をのせるベッドを用意して、ヘリパッドの横で待機する。

 医療チームは患者をヘリコプターから降ろすとキャスターにのせ、ヘリポートから滑り台で降ろし、エレベーター室へ向かう。HEMSには専用のエレベーターが割り当てられていて、屋上から救急治療室のある1階へ直接患者を降ろす。エレベーターの降下時間は45秒。その短い間に患者の容態が急変したり、エレベーターが故障して途中で止まったりするような場合にそなえて、エレベーターの中にも酸素ボンベその他の応急治療器具がそなえられている。

 10時17分、患者が集中治療室に到着する。ここで、現場に飛んだ医師から病院の外傷医療チームに患者が引き渡される。同時に事故の状況、患者の症状、現場治療の内容、投与した薬品などが伝えられる。

 HEMSの任務はここまでである。彼らは、ここで5〜10分ほどかかって出動内容を記録し、器具をととのえてから、再び屋上に上がり、ヘリコプターと共に次の緊急呼び出しを待つ。

 10時30分、運びこまれた患者の脳スキャンがはじまった。2人の外科医による胸と頭の手術の準備もととのった。

 

表2 ロンドンHEMS6年間の出動実績

    

現場出動

病院間搬送

その他

途中キャンセル(キャンセル比)

合  計

90年8〜12月

31

37

60

185(59%)

313

91年

329

60

302

393(36%)

1,084

92年

321

61

291

300(31%)

973

93年

511

45

256

219(21%)

1,031

94年

577

43

342

269(22%)

1,231

95年

504

48

373

198(18%)

1,123

96年1〜7月

336

16

264

178(22%)

794

丸6年間の合計

2,609件

310件

1,888件

1,742件

6,549件

構成比

40%

5%

28%

27%

100%

 

年間1,000回を超える救急飛行 

 このようなHEMSの救急出動は、年間1,000回を超える。近年の出動実績は表2の通りだが、飛行の途中で任務がキャンセルになることもある。ヘリコプターが離陸したあとで、さほどの重大事ではないことが明らかになった場合である。しかし、この表からも分かるように、途中のキャンセルは当初は多かったけれども、最近は2割前後で落ち着いている。

 この任務断念の中で、天候の悪化や着陸場所がないためというケースは数えるほどしかない。表2とは別の集計だが、1989〜95年の7年間に6,696回の出動をして、天候による途中キャンセルは13回、機材故障は3回、着陸不可は13回しかなかった。

 あとは殆ど毎回、大都市ロンドンの市街地で初めての場所に着陸し、生死のさかいで苦しむ患者の救護に当たる。HEMSヘリコプターは今日も休むことなく、ロンドン上空を飛びつづけている。

(西川渉、『航空情報』1998年1月号掲載)

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