<ロンドンHEMS>

大都会のヘリコプター救急

 

ウィリアム王子が救急パイロット

 この春、英国ウィリアム王子の来日が予定されている。王子は2013年9月までの7年半、英空軍のヘリコプター・パイロットとして飛んできた。そのうち最後の3年間は捜索救難航空隊に所属、156回の出動をして149人を救助したという。空軍での飛行経験は1,301時間とか。

 その王子が今度は救急ヘリコプターのパイロットになると伝えられる。しかし軍隊と民間では操縦資格が異なるため、改めて訓練を受け、先ずヘリコプター運送事業用操縦士(ATPL-H)の資格を取らなくてはならない。その資格取得のあと、救急飛行の訓練を経て実際の任務につくという段取りになる。

 飛行拠点はロンドンの北70キロ付近のケンブリッジ空港。ここでボンド・エアサービス社の社員として「イースト・アングリアン・エアアンビュランス」(EAAA)と呼ばれる救急事業に従事する。

 EAAAはEC135双発ヘリコプター2機を使い、ケンブリッジとノーウィッチの2ヵ所に拠点を置き、1日24時間、昼夜を問わず出動する。出動件数は2ヵ所合わせて1日平均4件というから相当に忙しい。けれども王子みずから大変な意欲を見せていて「救急飛行は大けがをした人や急病人など、最も危険な事態におちいった人びとを救う。これこそ国民への奉仕(パブリック・サービス)だ」と語っている。

 しかし王子にも、王室関連の公的な仕事があるので、それが不十分になりはせぬか。あるいは王子の操縦する救急機が現場に着陸すると、そのまわりに野次馬が押しかけて危険を招き、患者を乗せたまま離陸できなくなるのではないかといった心配も出ている。

 ボンド社の社員になった王子には、会社から年俸40,000ポンド(約740万円)が支払われる。ただし王子は、その全額を勤務先のEAAAへ寄付するとのこと。この点が重要で、イギリスの救急ヘリコプターはほとんど寄付金によって飛んでいる。国の支援もいくらかあるようだが、大半は寄付で、それも地元住民から寄せられることが多い。

 イギリスでは現在、ヘリコプター救急事業が33ヵ所でおこなわれている。そのうち2ヵ所はスコットランド政府の公費でまかなわれているが、それ以外の事業はほとんど公費の支援がなく、それぞれに工夫をこらし、寄付金集めに苦労し、努力を重ねている。

寄付と富くじでヘリコプターを飛ばす

 第2次大戦後イギリスは「揺りかごから墓場まで」というスローガンを掲げ、国民の誰もが無料で病気治療を受けられるようになった。その運営機関としてNHS(National Health Service)という組織ができたのは1948年だが、何故か救急ヘリコプターだけは今も対象になっていない。

 そのためか、先進的な欧米諸国の中で救急機が飛び始めたのは比較的遅く、1987年であった。それもイギリス各地の住民たちが自分たちの町や村にドイツやスイスのような救急ヘリコプターが欲しいということから、わが家で使わなくなったものを自宅の前庭や車庫の軒先で売る、いわゆるガレージ・セールのようなことでヘリコプターをチャーターするための基金づくりを始めたのである。

 その状況は今も続いているが、ヘリコプター救急(HEMS)の普及につれて各地の事業体が集まって航空救急協会(AAA:Association of Air Ambulances)ができ、政府に公的資金の拠出を求めるロビー活動をする一方、さまざまな寄付金集めの運動を展開している。チャリティ・ショーと銘打った音楽会やディナーパーティを初め、Tシャツや文房具、おもちゃ、さらには富くじを売り出すなどの活動である。

 たとえばウィリアム王子が参加するEAAAでは、拠点2ヵ所の救急事業に年間760万ポンド(約14億円)の経費がかかる。これにはヘリコプターの運航費だけでなく、施設費や医療スタッフの人件費なども含まれているのだろうが、公的な援助は全くなく、寄付金だけで4割がまかなわれている。

 加えて富くじも大きな財源らしい。これを買う人は参加登録をした上で年間52〜156ポンド(約9,600〜28,800円)を払いこむ。それに対し毎週1回ずつ抽選があり、1等1,000ポンド(約185,000円)、2等250ポンドのほか、16人に50〜100ポンドの賞金が出る。おそらく払いこんだ金額によって当たる確率が違うのだろうが、仕組みが複雑で筆者にはよく分からない。

 もう少し分かりやすいのはロンドンHEMSの富くじで、年間250万ポンド(約4億6,000万円)を集めている。参加者は16歳以上の45,000人。1人が週に1ポンドずつ払いこむ。抽選は毎週金曜日、コンピューターによる乱数発生法で当選番号が決まる。その結果、当選者に対して賞金が小切手で送られる。1等は1,000ポンド、2等が50ポンドで、賞金と経費を差し引いたあとのお金はロンドンHEMSに対する寄付金として扱われる。背景には2005年に制定された「ギャンブリング法」が存在する。

 とにかくイギリスは、ウィリアム王子の生まれてくる赤ちゃんが男の子か女の子かといったことまで賭けの対象になるくらいだから、救急飛行の資金集めに富くじを使うのも、さほど違和感はないのだろう。むしろギャンブル好きの人びとを楽しませながら、救急の使命を果たしてゆこうということかもしれない。

ロンドンHEMSの創設

 大都会ロンドンを舞台とするヘリコプター救急飛行が本格的に始まったのは1990年。以来25年間、毎年平均1,000回ずつの出動によって、きわめて模範的な事業を展開してきた。

 拠点はロンドンの中心部に近いロイヤル・ロンドン・ホスピタル。地下鉄ホワイト・チャペル駅を出たところの真正面にあって、200年以上の歴史を持つレンガ造りの茶色い建物だったが、3年前に地上84メートルの新しい高層建築が隣接地に完成した。その屋上ヘリポートには真っ赤な塗装をしたMD902双発タービン・ヘリコプターが待機する。ヴァージン・グループから寄贈された機体で、出動要請がかかるとパイロット2人とドクターおよびパラメディックが乗りこみ、2〜3分で離陸する。

 ちなみにイギリスはアメリカと同様、救急治療に限ってはパラメディックも医師に近い医療行為が認められている。そのための教育と訓練は医学部にも匹敵するもので、イギリスの救急ヘリコプターには、これもアメリカと同じく、ほとんど医師が乗らない。ただロンドンだけは例外で、常に医師が乗りこむ。いかにパラメディックの技能が高くとも、その場に医師がいるのといないのとでは救命率が異なるという考え方。緊急時には道路わきで患者の胸を開いて心臓手術をおこなうこともある。

 このようなロンドンHEMSを創設したのは1989年、リチャード・アーラム先生であった。以来10年間、最高責任者として指揮を執り、99年に退職した。山野豊氏と筆者は、本誌2014年8・9月号に登場していただいたドイツのゲアハルト・クグラー氏のお口添えで、何度かアーラム先生をロンドンに訪ね、救急施設などのご案内をいただき、話を聞く機会があった。きわめて格調高い正統英語で、日本人のためにゆっくりした口調の随所にイギリス人らしいユーモアがはさまれる。

 先生の立派なジャギュアで走っていたとき、本気か冗談か「目的地はこの前方にあるけれど、途中にアメリカ大使館があるから回り道をしていこう」と、にやりとしながらハンドルをきり、遠回りをしたことがある。

 そして曰く。「アメリカ政府は大使館の土地と建物を買い上げたいようだが、あそこは古くからの貴族が持っていて、昔アメリカが取り上げた土地を返してくれるなら売ってやろうという条件をつけている」

 アメリカが取り上げた土地とはマンハッタンのことで、先生いまだにアメリカの独立を認めていないのであった。


アーラム先生(左)と故クグラーさん

トラファルガー広場にも着陸

 アーラム先生の車でトラファルガー広場にさしかかったときは、中央のネルソンの銅像を見上げながら、ナポレオンにやられたことを悔しがってみせた。ネルソン提督はナポレオンのイギリス上陸作戦を阻止したものの、のちに海戦で戦死する。その後ナポレオンも欧州諸国との戦いに敗れてエルバ島へ流される。「あのとき息の根を止めておくべきだった。生かしておくものだから、10年後にまた攻めてきた」

 ちなみにトラファルガー広場には、救急ヘリコプターもしばしば着陸する。月に2回程度というが、中央のネルソンの銅像が立っている塔は高さ70メートルほどもあり、その足もとは広場といっても大して広いわけではない。こんなところによく着陸できますねと言うと「なに、ローター直径の2倍の広さがあれば、どこでも降りるさ」という返事だった。


トラファルガー広場に着陸した救急ヘリコプター

 アーラム先生は何度か来日したこともある。1999年秋の日本エアレスキュー研究会(今の日本航空医療学会の前身)では特別講演の演壇に立ち、ヘリコプター救急もさることながら、その前に病院内の救急医療体制がしっかり出来ていなければならないという指摘があった。救急患者が送りこまれる緊急治療室は、たとえば麻酔器具、人工呼吸器、頭上レントゲン撮影装置が手の届くところにそろっていて、すぐそばに写真現像装置も必要。またCTスキャンや手術室に簡単に移動できなくてはならない。

 そこに麻酔医、外科医、看護師、撮影技師その他の専門家が集まって緊急治療に当たる。しかし「人が集まっただけでは却って悪い結果になることが多い。美しい交響楽を奏でるオーケストラのように、全体を統括する指揮者が必要。指揮者は背丈が6フィートくらいで、白髪まじりの思慮深い風貌をしていて、落ち着いた物腰が望ましい……」

 何故そんなことが問題になるのかと思うが、実はこれアーラム先生自身の外見を自分で語っているのである。むろん冗談で、イギリスならば会場大笑いになるところだろうが、日本では皆さん黙って真面目に聞いていて、筆者も後になって「やられた」と気がついたものだった。先生も聴衆の反応がないので拍子抜けしたにちがいない。

警察官と交信しながら進入

 アーラム先生は1997年、ロンドンHEMSの開始からほぼ7年後、『トラウマ・ケア――ロンドンHEMSの全貌』というA4版245頁の大部の本を編纂、出版している。筆者も発行されてすぐに購入したが、その2年後、1999年秋ロンドンで初対面のとき直接先生から署名入りの本をいただいた。

 その中に、ヘリコプターの着陸地点と患者との距離を示す表が掲載されている。1995〜96年の2年間で表1のとおり、患者から50m以内が4割、100m以内が6割という実績で、やや古い数字だが、今もほとんど変わらない。とにかく、できるだけ患者の近くに降りて直ちに治療にあたるという考え方である。

 

表1 ロンドンHEMSの着陸地点

患者からの距離

回数

構成比累計

50 m 以内

882回

40%

50〜100 m

419回

59%

100〜200m

322回

74%

200〜500m

236回

85%

500m以上

116回

90%

記録なし

233回

100%

合 計

2,203回

[注]1996年までの2年間、TRAUMA CARE, Richard Earlam, 1997

 

 そんなに無理をしなくとも、ロンドンには大きな芝生の公園がどこにでもある。そういうところに降りたらいいのではないですかと言うと「交通事故は公園では起こらない」と言われてしまった。このように患者のすぐそばに着陸するには、ロンドンのような大都会では道路以外には考えられないのだ。

 では、人や車で混雑しているところへ、なぜヘリコプターが安全に着陸できるのか。さまざまな機関と人びとが協力しているからである。ロンドン・ホスピタルの屋上からヘリコプターが飛び立つと同時に、その出動を要請した救急本部(ロンドン・アンビュランス・サービス:LAS)からロンドン警視庁に通報がゆき、警視庁から現場を所轄する警察署に連絡され、そこから現場の警察官に指示が飛ぶ。今からそこへ救急ヘリコプターがゆくので、安全な着陸場所を選び、交通規制をするようにというのだ。

 現場上空に達したヘリコプターは、その警察官と無線コンタクトをしながら、あたかも旅客機が管制塔とコンタクトしながら空港へ進入してゆくように、指定された場所へ着陸する。このとき、人も車も警察官の指示に従って場所をあけ、遠巻きにして救急機の着陸を待つ。道路わきを無理にすり抜けてゆくようなバイクなどは見られない。

 ロンドンの救急機が道路へ向かって進入してゆくもようは、YouTube(ユーチューブ)でも容易に見ることができる。といって、そんな事例が珍しいからユーチューブにアップされているわけではない。むしろ日常茶飯事で、たとえば2014年は1〜8月までの間、交通事故による負傷者の救護が354人であった。1日平均1.4人だから、ほぼ毎日路上着陸をしているとみてよいだろう。


ロンドンのせまい道路に降りてくる救急ヘリコプター

女王陛下の乗用機も道を譲る

 もうひとつ路上着陸に重要なことは、ロンドン市内に電線がないこと。電線はすべて地下に埋設されているためで、ヘリコプターにとってはきわめて重要な安全要素である。

 この無電柱化率100%の都市はロンドンのほかパリと香港。ベルリンが98%、ニューヨークが83%だが、東京は23区内でも7%にすぎない。日本の無電柱化は、街の景観を良くすることが目的のようだが、実は日常的な道路交通の安全、台風や地震などで電線が切れたり電柱が倒れたりする危険性、そしてヘリコプター救急という観点からも必要なのである。

 いわば「電線はヘリコプターの天敵」のようなもので、電線や索道のために命を落としたパイロットや同乗者は、日本でも決して少なくない。

 さらにロンドンHEMSは他の航空機に対して最優先で飛ぶことが認められている。ロンドンの周辺には半径50キロほどの範囲に10ヵ所の飛行場がある。ヒースロウ空港を筆頭に、いずれも頻繁に離着陸がおこなわれている。その間を縫って救急ヘリコプターが飛ぶわけだが、たとえばヒースロウに入ってゆくときも、旅客機はもとより女王陛下の乗用機も道を譲って、空中またはランプで待機することになっている。

 ロンドンHEMSは夜間は飛ばない。その理由は表2のとおりだが、だからといって夜の患者は知らないというわけではない。同じ医師やパラメディックが高速ドクターカーに乗り換えて、救急現場に走るのである。

 

表2 夜間飛行をしない理由
  • 大都市の密集地で現場着陸が原則。したがって夜間は、障害物の有無を見分けにくく、安全が確保できない。
  • 夜間は離着陸の場所が限られ、現場近くに降りるのが困難。
  • 安全な着陸場所を探すのに時間がかかり 救急車との時間差がなくなる。
  • 夜間は道路の交通量が少ないので、救急車でも比較的早く現場に到着できる。
  • 騒音の影響が大きく、救急飛行反対の声を醸成することにもなりかねない。
  • 24時間待機のためには、3倍の人員が必要になる。パイロット、消防隊員、運航管理者など全て3倍の人員増と経費増になる。
  • 夜間整備ができないので予備機が必要になり、さらに経費が増える。

 一方ヘリコプターは、病院屋上から郊外のノーソルト英空軍基地に戻り、そこの格納庫に入って整備点検を受ける。翌朝は再び病院に戻るという日課である。

 こうしたロンドンHEMSの仕事は決して安易なものではない。大都会の中で低空飛行を続け、しかも狭くて混雑した道路に着陸しなければならない。さまざまな困難と危険を伴うはずだが、実は世界的に人気が高く、この救急チームの一員として働きたいという希望者は非常に多い。そこでロンドン・ホスピタルはドクター6ヵ月、パラメディック9ヵ月という期間を区切って研修生を受け入れている。その申請は、英国内はもとよりオーストラリアやアジア各地からもきており、最近では120人が順番を待っているという。

 この研修生の受入れにあたって、病院は研修費を取るわけではないし、仕事をして貰ったからといって給与も出さない。私が訪ねたときも、英国内からきたという若いドクターだったが、ここでの半年が終わったら自分の町に戻ってヘリコプターによる救急事業を開設するつもりと話してくれた。たしかに彼らがここで得たさまざまな知識と経験と技能は、自分たちの拠点に戻って大きく役立つであろう。


病院出入り口の前に、いつでも出動できるように置いてある高速車

厳格なレスポンス・タイム

 英国の救急システムに関して、もうひとつ重要なことは「レスポンス・タイム」が定められていることだ。この規定は、しかし、イギリスだけではなく、多くの先進国に見られるもので、何故か日本では見られない。

 たとえばドイツでは、救急患者の治療はほぼ15分以内に開始しなければならない。これはヘリコプターだけのルールではなく、救急治療のすべてに関する規定で、交通事故などで負傷者が出た場合、救急車が間に合わなければ、近所の開業医が走って行ってでも15分以内に治療を始めなければならない。ちなみに開業医には、緊急時の救急治療が義務づけられている。

 イタリアには都市部8分、山村部20分という規則がある。そしてイギリスでは全国どこでも8分以内に救急治療に着手しなければならない。ただし達成率75%という条件つきだから、出動4件のうち1件は8分を超えるのもやむを得ないとされている。

 といっても、これは単なる掛け声とか目標といったものではない。たとえば、イギリスの4つの行政区画のうちウェールズのやや古い話だが、救急隊が8分以内に現場に到着した事例が2005年は56%しかなかった。そのためウェールズの救急責任者が辞任に追いこまれたというほど厳格な制度なのだ。

 こうしたレスポンス・タイムの条件に適応するため、ロンドンでは市内各地に自転車、オートバイ、救急車、ドクターカーなどを配備して、短時間で救急現場に駆けつける態勢をとっている。救急自転車は後方の荷台に治療器具や医薬品を振り分け荷物のようにして積んでおり、狭い路地でも、渋滞の合間をぬってでも、最短時間で患者のもとへ走る。

 こうした地上手段で間に合わぬとき、あるいは医師の治療が必要なときにドクターの乗ったヘリコプターが出動する。つまり、当然のことではあるが、救急業務は地上手段が主体であり、それを補完するのがヘリコプターである。


ロンドン救急本部で見た救急自転車

東京にもドクターヘリが必要

 ロンドンの救急体制を見てくると、どうしても東京のことを考えずにはいられない。日本は今や全国43ヵ所でドクターヘリが飛んでいる。しかるに何故か東京にはそれがない。大都会だからといって、ロンドンの実状を見れば、東京にも救急ヘリコプターが必要であり、救命効果も高いことは充分に想像できる。

 最近そんなことを口にしたところ、ある消防関係の人から反論を受けた。消防や救急の苦労も知らずに何をいうか。ましてや東京のように道路が渋滞したところでは大変なんだというのだが、だからこそ必要なのである。

 というのは2013年、救急車が現場に到着するまでの時間は、全国平均で覚知から8.5分であった。これはイギリスのレスポンス・タイムにもひけを取らないし、国際的な基準値からみても誇るに足る実績で、救急隊員の日頃の努力がよく現われた数字といってよい。

 しかし悲しいかな、日本の救急救命士にはイギリスやアメリカのような医療行為が認められていない。したがって治療が始まるのは患者を乗せた救急車が病院に到着してから後のことになる。その病院到着時間が2013年の全国平均で39.3分だが、東京都はとりわけ遅く、54.6分だった。ワースト2〜3位の埼玉県(45.4分)や千葉県(44.1分)よりも10分ほど遅い。

 理由が何であれ、これは個々の救急隊や救急車だけの努力で解決できるような問題ではない。基本的な仕組みを変える必要がある。たとえばレスポンス・タイムを定め、それに適合するための手段を新たに構築するといったことは考えられないか。

 最近のテレビで、救急体制の不十分な実態が放送された。東京の世田谷区にある救急診療所で、入院していた妊婦が医師も看護師も不在になる明け方の時間帯に容態が急変して死亡したというのだ。その同じ診療所で、今度は急性胃炎のために救急搬送されてきた70歳台の女性が、治療を受けておさまったものの、夜遅くなって再び激しい腹痛が起こった。しかし医師も看護師もいない。付き添いの家族が救急病院から救急車を呼ぶというあり得ない事態にためらいながらも、119番に電話して大学病院へ送りこんだ。しかし患者は助からなかったという。

 何年か前に奈良県で緊急事態におちいった妊婦がタライ回しの結果、長い時間をかけて県外の大阪まで搬送され、そこで死亡した事件があった。あれは医師や病院の少ない過疎地の話かと思っていたが、今や首都東京で同じようなことが起こっているのだ。

 そこで、医師の乗るドクターヘリの機動力を使えば何ができるか。少なくとも地上の渋滞に巻きこまれることはない。さらに具体的なことは、元厚生労働大臣の東京都知事を初め、専門家の皆さんに考えていただくとして、この異様な事態はなんとしても早急に解決しなくてはならないだろう。

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』誌2015年1月号掲載)

 


新しいロイヤル・ロンドン・ホスピタル
青い高層の建物がそれで、高さ84mの
一番高いところにヘリポートが見える(2011年12月運用開始)
写真下半分の茶色い建物は旧病院
まだ建設途中の写真らしく、旧病院屋上の
ヘリポートにヘリコプターが待機している 

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