<ロンドンHEMS>

ライオンから落ちた

 イギリスのヘリコプター救急に関するニュースを見ていると、しばしば、落馬によるけが人のためにヘリコプターが出動したという記事にぶつかる。いかにもイギリスらしいニュースで、ロンドンでもよく騎馬警官を見かけるが、一般市民も馬に乗る人が多いのかもしれない。そして落ちれば、馬の背が高いだけにけがも大きく、ヘリコプターに来て貰うような事態となるのだろう。

 ところで先日、2ヵ月ほど前のことだが、馬ではなくてライオンから落ちたというニュースが伝えられた。「おや? イギリス人はライオンにも乗るのか」とまでは思わなかったが、なんのことかと読んで見ると、トラファルガー広場のライオン像から落ちたのであった。

 けがをしたのは20歳台の若い女性で、3メートル半ほど真っ逆さまに落ちて、下の石だたみかコンクリートで頭を打ったらしく、急を要するというのでヘリコプターが呼ばれたのだ。

 ヘリコプターが着陸したのは、ネルソンの銅像をかかげた高さ70メートルの柱から数メートルしか離れていない根元。夕方7時半頃で、広場の周囲には数百人の野次馬が集まったという。ヘリコプターから降りた医師は30分ほどかけて女性の治療をおこない、患者はヘリコプターではなくて救急車で近くの病院へ搬送された。

 こうしてロンドンHEMSは、いつも忙しい。最近2014年の出動実績が伝えられたが、それによると年間患者数は1,806人。内訳は交通事故が33%、転落が27%、刺傷や銃創が24%、その他(鉄道事故、溺水、首つりなど)が16%だったという。

 なんと全て外傷患者である。心臓マヒや脳溢血など内因性の急病はヘリコプター救急の対象にならないのだろうか。よく分からない。

 さらに、この患者数の中には夜間の高速ドクターカーによる救急も含まれている。ロンドンHEMSは同じ医療スタッフによって、昼間はヘリコプター、夜間もしくは悪天候時は高速自動車による救急出動をする。それはいいのだが、公表される数字には両者の区別がないので、困ったことにヘリコプターだけの実績がよく分からなくなった。

 アメリカのヘリコプター救急は夜間出動が3割程度なので、それから類推すると、ロンドンのヘリコプター出動は年間1,200件程度だろうか。

 ところで、ロンドンHEMSが最近、最も力を入れているのは2機目のヘリコプター導入計画である。もはや1機では対応できなくなってきたというのだ。今の機体は夜間になると郊外の飛行場に戻って格納庫に入り、整備点検を受ける。いわゆるプログレッシブ・メンテナンスをしているようだが、それでも昨年は整備のために飛べない日が55日であった。年間2ヵ月も空白があったのでは、救急機としては問題だろう。

 もっとも、この間、どこからか代替機をチャーターして、それで飛んでいるらしい。いつぞや、私が訪ねたときも本来の機体ではなくて、EC130か何か見慣れぬ機体が待機していた。

 しかし、よその機体では使いにくい。やはり自分の機体で飛びたい。それには2機必要だ。そうすれば整備のための空白がなくなるし、日の長い夏は遅くまで飛ぶことができる。しかしヘリコプターは夕方までに郊外の飛行場にある格納庫に戻って、整備点検を受けなければならず、明るいからといっていつまでも飛んでいるわけにはゆかない。

 ロンドンは北緯51°半くらいの位置にあって、日本付近でいえば北海道のはるか北、サハリン(樺太)の北半分に相当する緯度だから夏は夜遅くまで明るい。特にサマータイム期間は10時頃まで明るい。そこで2機の機体があって、交互に日没まで飛べば活動時間はかなり増え、救護できる患者も年間400人ほど増えると予想されている。

 この2機目のヘリコプター価格と5年間の運航費は、600万ポンド(約10億円)という見積りになるらしい。こうした経費は寄付金でまかなうようだが、最近までに160万ポンドが集まった。残り440万ポンドを今年7月までに集め、夏の間に2号機の運航を開始したいというのがロンドンHEMSの希望である。

(西川 渉、2015.6.15)

 

 

 

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