ヘリコプターの夢

 

 日本機械学会が創立100周年を迎え、今年5月号の学会誌で「これからの『乗る・運ぶ』技術」について特集を組んでいる。その中で、より身近な乗り物としてのヘリコプターについて書くよう依頼を受けた。

 そこで思い出したのが昔アメリカに注文を出して買った本である。 『Helicopters and Autogiros』 というその本は1967年に刊行されたもので、ヘリコプターに関する歴史的なエピソードが数多く書かれている。

 そのひとつが下に掲げる絵で、絵の中には「1910」という文字が見えるからその年に描かれたようにも思えるが、本文には「1909年3月4日付けライフ誌から取った漫画。ニューヨークの摩天楼の上に“空のガレージ”がのっている。そこに新しく発明された飛行機械が無数に飛び交う。その夢が今ようやく、都市ヘリポートの建設によって実現しはじめた」という説明が書いてある。

 この説明が書かれたのが今から30年前で、漫画はほぼ90年前のものである。当時はまだ、ライト兄弟の初飛行から6〜7後で、ヘリコプターは模型か玩具の段階でしかなかった。人を乗せたヘリコプターが初めて飛んだのは、この絵から10年以上も先の1923年まで待たなければならなかった。

 

 

 ともかくも、人びとは昔から、ビルの上でもせまい空き地でも、自由に発着できる乗り物が欲しいと考えていたことがこれで分かる。その夢の乗り物は、この絵で見るとモーターボートのような胴体にオープンカーのような座席がついていて、尾部にプロペラがあり、頭の上におそらくは当時の複葉機から類推したらしい箱形の翼が機体の前後または左右についている。

 また中央部の背の高い塔の上にあるガレージからは、この乗り物に向かってロープが投げられている。おそらくは船が岸壁に着くときのような気分で、ロープを投げて引き寄せているのであろう。

 そうした乗り物が、ニューヨークの上空を無数に群がり飛んでいる。このような光景はいつ実現するのであろうか。この1世紀近く、ヘリコプターの研究者も技術者も運航者も懸命の努力をつづけてはいるのだが。

 なお、『日本機械学会誌』(1997年5月号)に掲載された拙文は以下の通りである。

(西川渉、97.5.30)


良き隣人としてのヘリコプター

 いつぞや、団体バスに乗り遅れた友人を自家用ヘリコプターにのせて後を追い、途中のサービス・エリアで休憩しているバスのそばに降りて無事送り届けた人がいた。ところが後になって、飛行場でもないところに許可のないまま着陸したというので、航空法違反で検挙されてしまった。もう1件、ある会社の社長が自家用ヘリコプターを通勤に使い、自分の裏庭から飛び立って会社の屋上に着陸したところ、やはり無許可というので検挙された。

 こういう実例を見て、遵法精神に富んだ人は検挙は当然と思うかもしれない。もちろん安全を無視するわけにはいかないが、実はこのような使い方こそヘリコプターの理想ではないだろうか。ヘリコプターは極く狭い場所でも離着陸できるし、地上の混雑に患わされることなく、どこへでも臨機応変に飛んで行く。それでなくては、逆にヘリコプターの存在価値はないであろう。

 このような理想の姿は、ヘリコプターの誕生以前から人びとの想い描くところであった。別図は1910年アメリカの『ライフ』誌に掲載されたマンガである。飛行機とも船ともホバークラフトとも車ともつかぬものが自在に空を飛んでいる。このような理想的な飛行装置は今のところヘリコプターしか考えられないが、このマンガが描かれたのはライト兄弟の初飛行から7年しか経っていないときであった。実際に人をのせたヘリコプターが飛んだのは、それから十数年後のことだし、正式の民間航空証明を取得したのは1946年のベル47が初めてである。

 以来半世紀、ヘリコプターは今なお身近な存在とはいえない。問題は騒音、操縦の難かしさ、経済性、航空法規などで、とりわけ騒音はヘリコプター最大の問題点である。特に主ローターが大きな音源だが、だからといって、これを外してしまえばヘリコプターではなくなるからローターを回しながら騒音を下げなくてはならない。この矛盾を解くのが当面の課題である。

 操縦の難かしさは近年コンピューターや電子機器の発達によって、解消されつつある。経済性については今、各メーカーが懸命のコストダウン努力を続けている。さらに将来、騒音が減ってヘリコプターが普及し、機数が伸びれば価格も下がり、運航費も下がるであろう。経済性の低さが普及を阻み、普及しないから経済性が劣化するといった悪循環から早く脱しなければならない。

 航空法の縛りもきつい。冒頭の具体例はその典型だが、実は飛行場外の着陸禁止条項は多くの国でとっくに廃止されている。もちろん、そのほかにも世界共通の規制は少なくない。ヘリコプターの安全性、操縦性、航法などの技術的進歩に法律が追いついていないのである。

 問題はすでに明らかである。あとはこれらの問題を解けばよい。ヘリコプターの騒音をなくす発明はノーベル賞にも値いするといわれるが、その受賞者が是非とも日本機械学会から出て、ヘリコプターが身近な存在となり、80年以上も前のマンガのように群をなして都会の空を飛ぶようになることを願うものである。(『日本機械学会誌』、1997年5月号)

 (「本頁篇」へ表紙へ戻る)