魔 多 し

 

「航空の現代」をご愛顧いただき、厚く御礼申し上げます。この半年ほど作者が驚くようなアクセスをいただき、ますます張り切ってほぼ連日の更新をしてきました。しかるに11月になって「急に更新が減ったのはどうしたのか」といったお問い合わせをいただくようになりました。

 以下その間の顛末をご説明し、ウィルスの発信でご迷惑をおかけした多くの知人、友人の皆さまにお詫びを申し上げます。

 同時に、これから関係サイトの再建に取りかかり、本頁の更新頻度も上げてゆきますので、引き続きご愛顧をいただきたく、ここに改めてお願い申し上げます。 

 

 

 10月下旬から11月末にかけて、この1か月余りの期間が大変な時期になるだろうことは分かっていた。なにしろ学会、シンポジウム、講習会など人前に立たなければならない催し物が5件もあって、そのうえ依頼された原稿が3〜4本もたまっていた。

 むろん大方の人にとっては、そんなことよりもっと大変なことがおありであろう。けれども生来なまけものの身には多忙の上に超がつくような気分であった。

 おまけに人前で話をするのが下手だから、あらかじめ、しゃべる内容を全て書いておかねば心配で会場にゆけない。といって会場では原稿を見たり、読み上げたりするわけではないので、言葉になるのは書いたものの6〜7割くらいしかない。

 しかも最近はパワーポイントなるものがはやり出し、講演や発表やプレゼンテーションには必ず使われるようになってきた。昨年までは「電気紙芝居にすぎない」と無視することにしていたのだが、1人でしゃべるときはまだいいとして、講師が何人かいるときに自分だけ使わないのは何だかカヤの外に置かれたような気分になる。

 というので、やってみるとこれが非常に面白い。背景の模様や色合いに始まって、画面のレイアウトや文字の大きさと配列、そして何よりも写真や画像が自由に貼りつけられる。したがってセンスがあれば、どんなにでもきれいな紙芝居ができる。

 こちらはセンスと技術のない分だけ時間がかかり、なんとかひと様に見てもらえるようなものに仕立て上げたいと思うから無闇に手間がかかる。

 余談ながら、先日病院ヘリ救急ネットワーク(HEM-Net)の国際シンポジウムで基調講演をしてもらった巴里アンリ・モンドール病院のカテリーヌ・ベルトラン先生はパワーポイントのスライド126枚を持って来日した。これを見せながら1時間でしゃべるとすれば30秒に1枚ずつめくってゆかねばならぬ。前の日に「大変ですね」と驚いてみせたので、本番ではやや減らしたようだが、それでも忙しいことであった。

 自分でやってみると、1時間の講演に50枚くらいがちょうど良いような気がする。もっとも、話の内容や画面の構成にもよるし、人によって話の仕方や画面利用のやり方が異なるから、一概に言うことはできない。

 

 というような次第で、この1か月間、本頁「航空の現代」はほとんど手が着けられず、更新もできなかった。

 そこへ、もうひとつ問題が生じた。半年ほど前から無料ホームページのサイトに頁の一部を置いていた。本拠地はここ BIGLOBE とし、画像の多いものなどは無料で100MBまでスペースを貸してくれるというサイトに置いたのである。ところが10月なかば頃だったか、突然サイト全体を削除されてしまったのである。

 さらに、私のつくっていたDMBパイロットスクールの別サイトも消えてしまった。ひとは「タダより高いものは……」というかもしれぬが、我ながら「馬鹿より阿呆なものは……」と思う。

 何故こちらのつくったサイトを勝手に削除するのか。その管理者と2〜3度メールでやりとりしたがよく分からない。如何にタダとはいえ、余りに一方的に過ぎるではないかと言ってはみたが、スペースを貸すについては10か条ほどの条件があって、どれかに抵触すると予告なしに削除するという。

 無料サイトの目的がアクセス数を増やし、その頁に併載された広告を見てもらうことであれば、「航空の現代」などはアクセス数が比較的多く、当月の推薦頁にもなっていたくらいである。しかし不毛の議論をつづけても暇がなくなるばかりでやめてしまったが、この半年間につくった50頁、DMBの分を入れると合計70〜80頁ほどが霧消してしまった。

 そういう事態を実際に体験してみると、ホームページは手軽ではあるけれども、消えるのも簡単で、そこが恐ろしい。蜘蛛の巣上の楼閣だから当然ではあるが、砂上の楼閣よりも脆い気がする。

 これが本や雑誌のように、紙面に印刷してあれば、何もかもいっぺんに消えることはない。相当数を破ったり燃やしたりしても、ほかにまだ1冊や2冊の印刷や写本が残っていれば、全てを消し去るのは難しい。天下の権力を握った秦の始皇帝ですら、思想や言論の統制には手を焼き、焚書坑儒といった最後の手段に出ざるをえなかった。書かれた書物を焼き捨てるだけでは不十分で、それを書いた儒学者までも生き埋めにしてしまったのである。今やウェブマスターは、始皇帝よりも強大な権力を握るに至った。

 「航空の現代」の更新が間遠になったのは、多忙のうえに消えた頁の復活に手間取ったからである。これは、新しくつくるよりも手間ひまがかかり、その挙句は今もまだ完全に修復されていない。大半はあきらめることとなろう。

 実は9月11日のアメリカ多発テロ以来、私の頭の中は急に忙しくなった。別に頼まれたわけでもないのにあれこれと書き散らし、本頁にも掲載した。その結果、それまで1日400件前後のアクセス数が急に増加し、1日平均500件を越えるようになって、650件に達した日もある。

 そうなると、こちらも張り切ってますます忙しくなり、連日更新をつづけた。それが1か月ほどつづいたとき、無料スペースが削除されたのである。

 これでがっくり来たうえに、11月が近づいて学会やシンポジウムで忙しくなり、報告書やプログラムの原稿を取りそろえて編集をしたり、印刷所と掛け合ったり、本頁はほとんど放置されるままになってしまった。

 

 好事魔多しというか忙時魔多しというか、魔物はそればかりではなかった。11月22日(木)夕刻、今度はパソコンにウィルスが侵入してきた。今にして無智を恥じ入るばかりだが、何も考えぬままに送られてきたメールを開き、ばい菌入りの添付書類をクリックしてしまったのだ。

 結果は意味不明の文書で、「またも、いたずらか」と思いながら削除しただけだったが、翌23日(勤労感謝の日)朝のこと、いつものように受信ボックスを開けると「ウィルス発見で配達不能」といった返信が50〜60通も戻ってきているではないか。中にはアメリカ、ヨーロッパ、中国からの返信もある。

 といって、どうしていいか分からず ただおろおろするばかり。プロバイダーに電話をしても休日の早朝で要領を得ず、手探りで調べてみると私のメール・アドレス帳に登録してあった知人、友人の宛先に自動的にばい菌が発信されたらしい。あわてて手遅れではあったが、100人分くらいのアドレス帳を真っ白にしたり、あちこち電話をしたりして1日が終わってしまった。

 しかし、そのまま放っておくわけにはゆかないので、翌24日(土)朝ウィルスバスターなるものを買ってきてインストールしようとしたところ、別のウィルス対策ソフトが入っているから、まずそれを除去せよと、機械が言う。そこで、いろいろやっているうちに、今まで何ともなかったパソコンが急に動かなくなってしまった。ウィルスの反撃に逢ったのかとも思われるが、結局それから1週間は手のつけようがなくなってしまった。

 

 おまけに、こちらから飛び出したウィルスを受けたと思われる無料ホームページのサイトが全て消されてしまった。というのは、先に消された2つのサイト以外に、「日本ヘリコプタ技術協会」と「病院ヘリ救急ネットワーク」(HEM‐Net)のサイトもそこに置いてあったのである。

 「航空の現代」以外は、自分だけのものではないので、これには困った。本来ならば別のサイトにでも復活できるはずだが、パソコン本体が壊れたために、手もと控えの保存データもなくなった。

 私は多発テロにやられたニューヨーク人のような虚脱感に襲われ、報復爆撃のために財産を失ったアフガン難民のような絶望感にとらわれたのだった。

(西川渉、2001.12.4)

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