<益子邦洋先生>

「手当て」の意味

 

 

 益子邦洋先生には公私ともに、大変お世話になりました。とりわけ2012年夏、私が体調に異変を感じたとき、すぐに来なさいといわれて千葉北総病院で診ていただいたところ、S状結腸の進行がんが見つかりました。

 5時間に及ぶ切除手術の結果、前後3週間ほどの入院となりました。益子先生は直接の主治医ではありませんでしたが、私の入院中しばしば病室においでいただき、傷口を見たり体をさすりながら励ましの言葉をいただきました。患者としての私は、これだけで病気が治るような気がして、まさしく昔からいう「手当て」とはこういうことかと実感しました。

 同じように、北総病院全体がそうなのでしょうが、看護師の皆さんも、その献身ぶりには頭が下がる思いでした。入院自体が私にとっては初めての経験でしたが、体を拭って貰ったり,頭を洗って貰ったり,院内の歩行訓練に付き添って貰ったり、深夜の見回りを含めて、身内の者でも真似のできないようなお世話を、どの看護師さんにもしていただきました。

 それまで私は、いささかドクターヘリ事業の普及促進にたずさわっていましたので、国内外のさまざまな病院を訪ねる機会がありました。そうした病院の中で多数の患者さんや家族の方々を見かけましたが、自分が患者になってみて、そのことが如何に苦しく、不安で心細いものかを身をもって体験しました。それだけにドクターとナースの皆さんによるちょっとした言葉づかいや行為が如何に大きく患者の心と体に作用するものかを知ることとなりました。

 まことに、益子先生を初めとする北総病院の方々には感謝のほかはありません。

 ところで、私はヘリコプター事業会社に長く勤務したのち、2001年からNPO法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)の活動に参加しました。以来10年余り、ドクターヘリという側面から益子先生のご活躍を拝見してきました。

 先生のヘリコプター救急に関する意欲と熱意は、北総病院がドクターヘリ事業の始まった初年度からこれを導入したことで実証されていますので、今さらいうまでもありません。その実務の中で実際にヘリコプターで飛び、傷病者の救命救急にあたる一方、後進の皆さんの育成はもとより、外部の行政機関や委員会にも参画し、適切な助言と説得力に富む意見を述べてこられました。

 加えて近年は韓国、タイなどアジア諸国との連携を深め、これらの国々のヘリコプター救急の発足に力を貸してこられました。また国内では自動車の交通事故自動通報機構とドクターヘリを直接に結んで、短時間でヘリコプターの出動を可能にするシステムの構築に取り組むなど、新しい分野にも意欲を燃やしておられます。

 こうしたご努力もまた、遠からずしてドクターヘリ同様、大きく花開くこととなるでしょう。

 そしてこの春、益子先生は北総病院を退任され、西八王子駅に近い南多摩病院の院長に就任なさるよし。またもや新たな天地が開けるものと期待されます。

 というのは、東京都にはまだドクターヘリが飛んでおりません。新しい事業は何によらず真っ先に取り組むはずの首都が、何故ドクターヘリだけは、いつまでも導入しようとしないのか。現に救急患者が病院に収容されるまでの時間は全国最悪。それも飛び抜けて悪い54.6分(平成23年平均)――つまり、われわれ患者としては急病や大怪我などの緊急事態に陥っても、ほぼ1時間たたなければ治療を受けられないという状態です。

 一方で東京は、直下型地震や富士山噴火といった自然災害がいつ発生するかもしれないといわれています。そのような緊急事態に備えて、ヘリコプターは最良の危機管理手段にほかなりません。しかしヘリコプターといえども、普段から日常的なシステムとして体制がととのい、活動していなければ、いざというときの役には立ちません。

 このことはドクターヘリ誕生のきっかけとなった阪神淡路大震災で、いやというほど感得させられました。あのときヘリコプターは救命救急はもとより、人命救助も消火活動も何もできなかったし、しようともしなかった。そのため取材ヘリコプターだけが大きな騒音と共に頭上を飛び交うのを見て、神戸市民からは「あのヘリは何しとんや。行ったり来たりするんなら海から水くんででもまかんかいな。けが人のせて大阪まで運んだれや。用もないのにうろうろすな!」(朝日新聞、1995年2月1日付投書欄)といった怒りを買いました。

 東京都の、ドクターヘリがないという弱点は、日常の交通事故などで助かるべき命が失われるばかりでなく、いったん大きな災害に襲われたときは、20年前の神戸の悲劇を再び繰り返すことになりはせぬか。

 そんなことはさせないという、益子教授の内に秘めた熱情あふるる御活躍が、これからも続くことを祈念しつつ、これまでに戴いたさまざまなお心遣いに改めてお礼を申し上げます。 

【追記】
 本稿は2013年末に書いて、14年3月に『挑戦の流儀』と題して刊行された益子邦洋教授退任記念業績集(日本医科大学救急医学教室編)に収められた。

(西川 渉、2014,10,17)

 


ドクターヘリの活動ぶりは入院中の病室の窓からも見ることができた
最近このヘリポートの向こう側に立派な格納庫が竣工したと聞く 

     

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