「防災基本計画」の見直し

 

 これは1995年9月、阪神大震災から半年余りの頃に書いて、同年11月の「飛行機シンポジウム」(日本航空宇宙学会)で発表した文章である。

 以来4年が経過して、内容はやや古いかと思われるが、事態はほとんど変わっていない。ところが最近なぜか国の『防災基本計画』を見直す動きが出てきた。どこをどう見直すのかは知らぬが、見直すとすれば是非とも考えて貰いたいことがある。

 それが、この作文に書いたところであり、私の長く主張してきたことでもある。同じ趣旨はほかのところにも書いたが、再び三度びここに繰り返して訴えたい。明日――9月9日は、駄洒落好きのお役人が決めたのだろうが、「救急の日」だそうである。

 大規模災害が起こったときのヘリコプターの役割は、まず人命救助、消防活動、そして医療スタッフや医薬品の緊急輸送といった直接救援活動でなければならない。

 先の阪神大震災の結果、災害におけるヘリコプターの重要性が広く認識されるようになったことは喜ばしいが、活用の内容が情報収集にかたよっている点には、いささか疑問が残る。中央防災会議がこのほど改訂した『防災基本計画』(平成7年7月)でも、総則につづく震災対策編の第2章(災害応急対策)第1節(発災直後の情報の収集)の中に「第1項(2)被害規模の早期把握のための活動」として「国(警察庁、消防庁、防衛庁、海上保安庁)および地方公共団体は必要に応じ航空機による目視、撮影等による情報収集を行う」ことになっている。

 ここでいう「航空機」とは、固定翼機を含むのかもしれぬが、ヘリコプターが主体であることは、阪神大震災以来のさまざまな経緯からみても明らかであろう。

 また第2節(活動態勢の確立)でも、現地災害対策本部の設置にあたっては「ヘリコプター等により緊急に担当官を現地に派遣する」とか、交通途絶の場合は「ヘリコプターの利用等により参集する」、「ヘリコプターの利用等により移動する」などの文言が見られる。

 しかるに第3節(救助・救急、医療および消火活動)になると突如、航空機とかヘリコプターの文字が姿を消してしまう。それどころか「救助・救急活動」や「消火活動」の項目では、いずれも先ず住民の自発的活動を要求する。たとえば「発災後初期段階においては、住民および自主防災組織等は、自発的に初期消火活動を行うとともに、消防機関に協力するものとする」

 被災者みずからが自発的に助かるための努力をするのは、他人(ひと)にいわれるまでもなく自然の本能だが、それまで航空機やヘリコプターといった高度の科学技術を使う話をしていたものが、肝心の救助の話になった途端、個人の努力や本能のレベルにまで話が戻るのは余りに落差が大き過ぎはしないか。

 そうして個人的な努力をしている間に、地方公共団体が救助にくるし、さらには被災地以外の公共団体や国が救援にやってくるという考え方である。無論この考え方自体は間違いではない。しかし余りに当然すぎて、方法が明示されていないから、どこか「お手上げ」という感を免れない。阪神大震災でもなかなか地方公共団体や国が救援にこなかったのが実態ではなかったのか。それというのも、救助をしたくても方法や手段がなかったからである。

 つまり第1節や第2節では、わざわざ航空機とかヘリコプターを使うように指示していたのが、第3節ではその指示がなくなった。ということは昔ながらの既存の方法――救急車と消防車の使用しか考えていないことを思わせる。これでは、またしても阪神大震災と同じ轍を踏むことになるであろう。

 大災害において、垂直飛行能力という独自の特性をもった航空機の利用が情報収集と防災関係者の移動だけというのはいかにももったいない。もちろん、情報収集や職員の移動が不要というのではない。

 しかし、情報収集などは、ほかにもさまざまな手段がある。たとえば中型ヘリコプターと同クラスの10席前後の小型双発機にテレビ・カメラや生中継装置を積みこめば、失速速度もそんなに速くはないから、かなりの情報収集が可能であろう。おまけに費用は、ヘリコプターの半分か3分の1である。逆にヘリコプターと同じ費用で2〜3機の導入が可能になるから、首都圏ならば羽田、立川、木更津などに分散配置をしておいて、どこかが被災しても別の基地から発進して所期の任務に当たることが可能となる。

 さて、震災や風水害などの大規模災害が発生すると、阪神大震災の実例をまつまでもなく、必ず既存の交通手段が途絶する。阪神ではJRも私鉄も地下鉄も神戸自慢の新交通システム「ポートライナー」も、すべてが動けなくなり、新幹線と高速道路は高架構造が脱落し、橋脚が折れ、横倒しになったりした。新幹線などは、もしも走行時間中であれば、橋桁の脱落部分に突っ込んで、一挙に何千もの人びとが惨事に巻き込まれたかもしれない。

 地上の普通道路も、倒壊した建物、電柱、看板、電線、瓦礫などで閉塞され、ほとんどの道路が塞がれた結果、一部のあいている道路に車が集中して、身動きが取れないほどの大渋滞が出現した。

 かくて阪神大震災では失敗したけれども、実は交通の確保は災害対策の基本である。『防災基本計画』でも上述の第3節につづく第4節(緊急輸送のための交通の確保)で「地震発生後、特に初期には、使用可能な交通・輸送ルートを緊急輸送のために確保する必要があり、そのための一般車両の通行禁止などの交通規制を直ちに実施する」ことがうたわれている。

 計画では、こうしておいて救急車や消防車を走らせ、緊急対策に当たろうというのであろう。先日のNHKテレビ・フォーラムでも建設省道路局長が「災害時の道路機能として最も重要なことは、最初の3日間くらいは人命救助である」と語っていた。

 その点、大震災のときの神戸では、わずかに残された幹線道路が東西日本を結ぶ物流輸送のための単なる通過点として使われ、緊急車両を示すマーキングは本物と偽物の区別がつかなくなり、現場の道路が野次馬の放牧場と化したのはまことに残念であった。そのため肝心の救急、救助、消火、避難、緊急輸送が満足にできず、ひょっとして犠牲者が増えたかもしれないという恐ろしい想像すら生まれるに至ったのである。

 そこで新しい計画は「都道府県警は、緊急輸送を確保するため、直ちに一般車両の通行を禁止するなどの交通規制を行う」こととし、必要によっては周辺の都道府県警の協力を得て被災地へ流れこんでくる車両なども規制する。また放置車両を撤去するなどの非常手段をも取ることにしている。

 確かに、こうした措置は必要である。しかし必ずしも充分でないことは阪神大震災で実証された。なぜ、道路の啓開と同時に、ヘリコプターの活用をもっと強く打ち出さないのであろうか。

 ただし、もう少し読み進むと、同じ「交通の確保」という項目の中に「(7)飛行場等の応急復旧等」として、空港の復旧に並んで「地方公共団体は、あらかじめ指定した候補地の中から臨時ヘリポートを開設する」という一文が見られる。さらに、その次の「緊急輸送」という項目では「機動力のあるヘリコプターの活用を推進する」ことになっている。

 したがって全くヘリコプターのことを考えていないわけではない。けれども前後の文脈から見ると、どうやら輸送手段としてのヘリコプターであって、救援手段としてのヘリコプターではないのである。本当はヘリコプターは、発災直後の初動救援機としての役割を果たすべきであって、また、そこにこそ本領が発揮されるはずなのである。

 具体的な状況を見てみよう。下表は救急専門医の小濱教授の作成したもので、阪神大震災でヘリコプターによる怪我人の搬送がどのくらいおこなわれたかを示している。

 

 阪神大震災におけるヘリコプター救急搬送実績

日 付

1/17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

消防庁

海上保安庁

防衛庁

25

28

13

民 間

合 計

10

26

38

11

11

21

[資料]小濱啓次教授(川崎医科大学救急医学)

 

 この表によると、地震当日の1月17日が1人、18日以降は6人、10人、26人、38人……と続いている。一見して多いようだが、あれだけの死傷者数からいえば、本来ならば1日目は100人以上、2〜3日目が数十人ずつという人数であるべきだった。

 つまり、救急ヘリコプターが十分に機能していれば、最初の3日間で 200人以上を搬送することができたはずで、それだけ多くの人が助かったにちがいない。実際は17人しか運べなかったが、これは本来あるべき姿の1割以下にすぎず、あとの9割の人が助かるべき命を喪くしたのである。

 そこで、この問題に関する提案の第1は、『防災基本計画』の「救急」の項に「ヘリコプターを使用する」という一文をつけ加えることである。今のままでは防災ヘリコプターも情報収集と称するテレビ中継にばかりうつつを抜かして、救急が本来の目的の一つでありながら、なかなか実行に移せないであろう。 

 これに関連する提案の第2は、各都道府県は手持ちの防災ヘリコプターを使用して、ヘリコプター救急を日常化すること。災害現場から病院へ、病院から病院へといった救急搬送を普段から実行し、ヘリコプター救急システムを日常的なものとして確立しておくこと、それが大規模災害で確実に機能するための必要条件である。

 しかし、そのためには救命救急センターを初め、各地の病院にヘリポートが整備されていなければならない。したがって病院ヘリポートの整備促進が、第3の提案となる。

 また救急ヘリコプターは必要に応じて、災害または事故の現場に着陸しなければならない。そのためには航空法第79条(離着陸の場所)および第81条の2(捜索または救助のための特例)といった法規上の解釈と適用を確固たるものとしておかなければならない。これが提案の第4である。

 こうして各都道府県がヘリコプター救急システムを構築していけば、やがて日本全国が50機前後の救急ヘリコプターでカバーされることになる。そのとき初めて日本は「救急未開国」から脱皮して欧米先進国と肩を並べ、大災害にぶつかっても確実に人命救助ができるようになるであろう。阪神大震災の死者はおよそ6,000人に達したが、その1年前に起こったロサンゼルス地震が約60人――阪神の100分の1ですんだのは決して偶然ではない。 

 初動救援機としての、もうひとつの役割は消火作業である。杜甫の『春望』(烽火連三月)ではないが、阪神大震災では「劫火3日に連なり」ながらヘリコプター消防は一度も行われなかった。当然、首相官邸を初めとする政府および消防当局へ、全国民から「何故ヘリコプターを使わないのか」という問い合わせや抗議の電話が殺到した。これに対して後日さまざまな弁明がなされたが、ロサンゼルス地震の成功例を待つまでもなく、ヘリコプターが都市火災に無力などということは考えられない。

 そこで、消防問題に関する提案の第1は、『防災基本計画』の「消火活動」の項に「ヘリコプターを使用する」という一文をつけ加えること。第2は何故できないかではなく「どうすれば出来るか」を研究し、実験し、実行に移していくことである。

 最後に救急も消防も、もっと民間ヘリコプター会社の活用が必要であろう。大規模災害が起これば、自治体だけのヘリコプターで救急も消防も緊急医療輸送も情報収集も、何もかもやることはできない。

 大規模災害には官民あげて、あらゆる手段を駆使して立ち向かう必要がある。悲劇は二度と繰り返してはならない。

(西川渉、「第33回飛行機シンポジウム」、1995年11月)

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