<メリーランド州警察>

論議を呼ぶ救急事故

 

  

霧の中で樹木に衝突

 2008年9月27日深夜、ワシントンに近いアンドリュース空軍基地の近くで、救急患者を乗せたメリーランド州警察のヘリコプターが消息を絶った。

 このヘリコプターは同基地に拠点を置くドーファンUで、交通事故のけが人救護のためにパイロットとパラメディックが乗って出動、現場で負傷者2人と救急隊員1人を乗せて病院へ向かった。ところが途中で天候が悪化、視界が悪くなったために計器進入の可能な拠点基地へ向きを変えたのである。

 しかし何故か、計器の上にグライド・スロープの表示が出ない。

「グライド・スロープがつかまらない。着陸支援を頼む」

 そんな無線連絡が、機長から管制塔へ入ったのが午後11時55分。同じ頃、付近の住民が木立の上を低く飛ぶヘリコプターの音を聞いている。

 ボルティモアにある警察本部の運航管理センターでは、GPSを利用したヘリコプターの追尾装置が作動していた。大きなコンピューター画面の上で飛行の跡を示す輝線が動き、空軍基地のそばで消えたところまで分かっている。しかし運航管理者は、それでヘリコプターが基地へ着陸したものと思ったのである。

 管制塔は「支援を頼む」という連絡を最後に音声が途絶えたため、警察を初めとする関係各方面に緊急通報を発した。そして午前1時15分頃、捜索隊が基地北方3マイルの深い森の中で残骸を見つけた。機体は高さ80フイートの樹木にぶつかり、前方の地面に横たわっていた。


メリーランド警察本部の運航管理センター

重なり合う疑問

 事故の原因は、NTSB(米国運輸安全委員会)が調査中だが、雲は非常に低かった。およそ500フイートで、ところによっては200フイートしかなかったらしい。

 その雲の中を、ヘリコプターは滑走路から3マイルくらいの地点を高度500フイートで通過したと見られる。しかし、これでは計器進入をするには低すぎるし、近すぎる。通常は高度1,000フイートで7マイルほど手前から始めなくてはならない。

 結局グライド・スロープの下を飛びながら高度を下げてゆき、立ち木にぶつかったのではないか。

 事故機の機長は59歳のベテランだった。飛行経験は約5,225時間で、むろん計器飛行の資格も持っていたし、4ヵ月前には実際に計器飛行をしていた。

 計器飛行装備が故障していたのかもしれないという疑問もあろうが、同機は100時間点検を終わったばかりだった。また少し前に同じ機体に乗った別のパイロットが、同機の計器類は正常に作動していたと語っており、機体に異常があったとは考えにくい。

 機体が正常で、パイロットに資格があれば、グライド・スロープに乗り、誘導電波にしたがって滑走路までたどり着くことができたはずである。にもかかわらず、何故ベテランが誤ったのだろうか。

 もうひとつの疑問は、アンドリュース空軍基地の管制塔がトランスポンダーによってヘリコプターの高度も分かるはず。とすれば「高度が低すぎる」という警告を発したかどうか、その点も明らかではない。

 さらに運航管理者がヘリコプターの輝跡が消えたのを、着陸したものと誤って判断した。これでは何のための運航監視かということになる。墜落か着陸かを正確に見分けられないのは装置自体が悪いのか、運航管理者の能力かという疑問もわいてくる。

 そうした、いくつもの問題が重なって、最初は事故の発生現場すら明確ではなかった。機体が発見されるまでに1時間半ほどかかったのである。それも奇跡的に生き残った救急患者の1人、18歳の女性が「助けてェ」と叫ぶ声がきっかけだった。機内には4人の遺体があった。

全員がIFR有資格者

 事故のあと、メリーランド警察航空隊は直ちにヘリコプター全機の飛行を停止した。

 NTSBに加えてFAAも事故調査に入った。整備記録などの閲覧調査によって機体の点検整備の内容が調べられた。パイロットの訓練方法や、警察機による広報のためのデモ飛行、州の高官の特別輸送なども注目された。パイロットの身分も問題で、中には臨時の時間雇用者のあることも判明した。

 さらに警察みずからも航空隊の調査をおこなった。あるパイロットが事故の数日前、自分たちのヘリコプターに安全上の問題があると語っていたからだった。しかし整備記録を調べても全く問題はないし、その調査にあたってこのパイロットが協力を拒否したため、事故から5日後に安全の確保に非協力的として解雇する騒ぎにまで発展した。

 事故から1週間後、飛行は再開された。ただし、パイロットは全員が次の飛行にかかる前に計器着陸の能力テストを受けることになった。メリーランド警察のパイロットは全員が計器飛行の資格を持っている。けれども実際に計器飛行をすることは少ないので誰もが熟達しているわけではなかった。

 というのは、警察機の飛行は、特に救急現場への出動など有視界飛行でおこなわれる。計器気象状態と知って飛ぶようなことはないからである。

 また飛行再開に先だって、各機のグライド・スロープの表示が正常に作動するかどうか、点検と確認がおこなわれた。

 なお低空警報装置(TAWS)はメリーランド州警察機の中で3機しかついていなかった。事故機にも、それはなかった。

救急優先の出動態勢

 さて、メリーランド警察の救急体制は州内8ヵ所に拠点を置き、予備機を合わせて12機のドーファンUを運航していた。その中の1機が事故を起こしたのである。

 このような警察機を利用した救急システムは1960年代末、心臓外科医のアール・アダムス・カウリー博士によって発想され、1970年から運航がはじまった。当時はまだ、今のような病院拠点の救急システムがなく、ベトナム戦争の経験を生かして軍による実験的なヘリコプター救急が試みられているだけだった。

 そんなときに本格的、日常的なヘリコプター救急体制をつくり上げようとしたのがカウリー博士である。博士はメリーランド州立大学病院で救急治療にあたっていたが、そこから生まれたのが「ゴールデンアワー」の理念である。つまり、発症から短時間のうちに適切な治療をすれば救命率が高まる。そのためにはヘリコプターが必要という考え方であった。 

 しかし一挙に多数のヘリコプターや乗員をそろえるわけにはゆかない。というのでカウリー博士は警察航空に着眼し、警察庁長官を口説き、州知事の応援を得て、警察のヘリコプターを救急にも応用することになった。

 その話が出たとき、警察側はもとより反対であった。捜索救難、犯罪捜査、盗難車や犯罪車の追跡捜査、殺人、放火、麻薬取引などの現場調査、保安警備、交通整理、災害援助、ハイウェイ・パトロールなど、警察本来の任務があるので、ほかの仕事はできないというのである。

 しかし博士のねばり強い説得によって兼用が決まる。しかも「救急優先」という条件つきであった。たとえば「パトロール飛行は救急業務に支障のない範囲に限る」「24時間いつでも出動できる態勢で待機する」「救急隊、医療機関とは常に連絡通信を維持する」といったもので、結果的に最近の出動内容はメリーランド州内8ヵ所の拠点から合わせて年間8千件以上、1ヵ所平均1千件余のうち約7割が救急出動になっている。

 メリーランド州の大きさは、日本の首都圏とほぼ同じである。つまり1都6県の関東地域に8ヵ所のヘリコプター拠点があるわけで、きわめて濃密な配備であることが想像できよう。

 この配備と州立病院カウリー・ショックトラウマ・センターを中心とする救急医療施設のネットワークによって、メリーランド州の救命率はアメリカでもきわめて高く、交通事故の死亡率も低いという実績をあげている。

 ヘリコプター救急の安全性

 しかし1970年に始まった救急システムは、すでに40年近く経過した。むろん初めから同じ機材を使っていたわけではなく、現用機ドーファンは1988年から89年にかけて購入したものである。したがって使用年数は、いずれも20年ほどになり、老朽化が進んで整備費もかかるようになった。

 そこで2008年春、9機の代替機を買い入れる予算が州議会で認められた。金額にして1.1億ドル(約110億円)。2011年までには残り3機分の追加予算も認められる見こみであった。

 そこへ、この事故が起こった。州議会も単なる航空事故として見過ごすわけにはいかなくなった。そうでなくとも2008年、アメリカでは救急ヘリコプターの死亡事故が非常に多かった。2007年は12月の2件だけだったが、08年は10月までに7件となった。うち1件がこのメリーランド警察の事故であり、もう1件は病院ヘリポートへ同時に進入してきた2機のヘリコプターが空中で衝突という悲惨な事故であった。

 したがって事故によって失われた救急ヘリコプターは10ヵ月間で8機、人命は28人に及ぶ。ちなみに07年の死者は7人、06年は4人である。

 こうした状況から、ヘリコプター救急の安全性はアメリカ全体の関心を呼ぶようになった。とりわけ救急拠点数が5年間で153ヵ所増の699ヵ所となり、機体数は5年間で182機増の840機となる急増ぶりである。そのため競争が激化して無駄な飛行や、安全を無視した危険な飛行をしているのではないかといった疑問が出てきた。

 これらの議論は新聞、テレビなどのマスメディアでもしばしば論じられるようになり、アメリカ議会も黙ってはいられず、特別調査をしたりした。

 そしてメリーランド州議会も警察航空隊の当事者を初め、全米各地からヘリコプター救急の専門家、医師、あるいは政府機関の関係者を参考人として呼び、聴聞会を開催した。事故から1ヵ月ほど後のことである。

オーバートリアージの是非

 メリーランド州議会の聴聞会で論議された問題のひとつは、ヘリコプターで搬送された患者の中で、真にヘリコプターが必要な重症者は4割程度ではないかということ。言い換えれば無駄な飛行が6割もあって、しかも警察機だから税金の無駄使いにもなる。これは実際にヘリコプターの患者を受けいれる医師の言い分だったが、別の医師は「ある程度の無駄はやむを得ない。さもないと真に必要な患者が手遅れになる」と証言した。

 もうひとりの医師は、ヘリコプター搬送が必要かどうかを判断するトリアージの方法を改めるべきではないかと提案した。「今のやり方ではどうしてもオーバートリアージに傾いて、ヘリコプター出動が増える結果になってしまう」と。

 それに対して余り複雑なトリアージ基準をもってきても、電話通報だけで判断するのだから完璧を期すのは難しい。本格的なトリアージをするには医師の判断が必要なので、もっと検討する必要があるというのが当事者の回答であった。

 しかし「そうだとすれば、今のヘリコプター出動の最終判断は医学的な根拠なしにおこなわれていることになる。それこそ驚くべきことだし危険でもある」という論議に発展した。

 それに対して、ヘリコプター救急の当事者は「われわれは決してヘリコプター搬送を気まぐれでやっているわけではない」と主張する。今回の事故が起こったときの搬送でも、出動規定にしたがって飛んだものである。確かに外見ではさほど大きな傷はなかった。けれども事故を起こした車は激しい壊れ方をしていた。こんなときは乗っていた人の内臓が損傷している恐れがある。

 けれども、ヘリコプター事故で生き残った女性は、メリーランド大学のショックトラウマ・センターに入院しているが、右足を切断し、首の骨が折れていた。ほかにも身体のあちこちに傷を負っていた。しかし、これらの傷は全てヘリコプター事故によるものだった。ヘリコプターに乗っていなければ、その夜のうちに自宅に戻っていたかもしれない……といった激しい応酬が聞かれた。

 

無償飛行の強み

 もうひとつ州議会の関心を呼んだのは、警察のヘリコプターで救急任務をおこなうことの是非である。

 40年前にカウリー博士が始めた頃は、アメリカでもヘリコプター救急システムが皆無であった。そんな中で新たなシステムを迅速かつ経済的に立ち上げるとすれば、既存の体制を利用するしかない。というので、警察航空隊に白羽の矢が立ったのである。

 だが今や全米約700ヵ所で800機を超える救急ヘリコプターが飛ぶようになった。現にメリーランド州にも民間のヘリコプター救急拠点ができている。それを使えばいいではないかという論議である。

 しかし救急出動をやめたからといって、メリーランド警察の航空隊がなくなるわけではない。拠点数や機数は多少とも減るかもしれないが、本来の警察任務のために存続することは変わりがない。とすれば、矢張り今まで通りの救急任務にもあたって貰おうという結論になる。

 とりわけ警察の仕事だから、料金を取らない。アメリカのヘリコプター救急は出動費を医療保険会社に請求する。医療保険に患者が加入していなければ、請求書は直接患者に送られる。しかしメリーランド州は全てが無償で、患者はもちろん保険会社にも請求されない。

 同じメリーランド州でも民間ヘリコプター会社が出動すれば、その費用は保険会社や患者自身に請求される。したがって救急本部も、できるだけ警察機に飛んでもらうことを考える。しかし州内に救急拠点を置く民間企業の方は、自分たちの出番が少ないという不満を持っている。

 たとえば民間機の場合、救急現場が10分以内の近くでなければ呼ばれない。しかも同じようなところに警察機がいれば、そちらの方が優先される。そして10分以上の遠い現場へは必ず警察機が出動する。その結果、2006年1月から07年9月まで、警察は8,000回以上の救急出動をした。けれども民間機はわずか44回であった。まったくお話にならないというのが民間企業の言い分である。

 しかし民間企業の場合は数千ドルの請求書が患者に送りつけられる。その請求書を患者は保険会社やメディケアに回す。ところが、患者が保険に入ってなかったり、保険の支払いが拒否された場合はどうなるか。こうした医療費が払えなくて、自己破産をしたりホームレスになったりする人がアメリカで増えている。

 無償の救急飛行は、アメリカでは例外中の例外であり、メリーランド州の住民はその恩恵に大きくあずかっているともいうことができよう。

メリーランド警察を訪問

 ところで筆者は2005年2月、このメリーランド州警察航空隊の本部を訪ねたことがある。ワシントンDCから北東へ30マイル、車で1時間ほどのボルティモア郊外にある州営マーティン空港の一角に大きな格納庫と事務所があった。

 周囲には前の晩に降った雪が3インチほど積もっていたが、エプロンはきれいに雪かきがしてあり、整備を終えたドーファンUが晴れ上がった空に向かって試験飛行のために離陸していった。

 しばらく見ていると、向こうから着陸したばかりのビーチ・キングエア双発機がタクシーしてきた。これも警察の飛行機で、中から警察官に囲まれた男が1人降りてくる。聞けば囚人の護送とのことで、なんだか企業のトップがビジネス機で降りてくるのと変わらない光景であった。

 そのあと会議室でレクチャーを受けた。それによると、ヘリコプターが救急任務に当たるときは、通常パイロットとパラメディックが1人ずつ乗り組む。アメリカのパラメディックは日本の救急救命士と違って、救急治療に関しては医師顔負けの技術と資格をもっていて、現場でも相当程度の治療ができる。そんなパラメディックとパイロットが45人ずつ、合わせて90人ほどが昼夜を分かたず、8ヵ所の拠点から飛んでいる。

 救急出動の要請は州内23のカウンティ(郡)にある救命本部が一般住民からの電話911番を受け、ヘリコプターが必要と判断すれば警察の運航管理センターに連絡する。ここから救急現場に最も近い拠点に連絡がゆき、ヘリコプターが飛ぶ。

 つまり州内8ヵ所のヘリコプターは、運航管理センター1ヵ所でコントロールされている。センターは市内にあって午後遅く案内されたが、3〜4人の職員が各人3台くらいのパソコン画面を見ながら電話と無線でやりとりをしていた。

 その運航管理センターから2ブロックほど離れたところが、メリーランド州立大学病院である。その建物のひとつがカウリー博士ゆかりのショックトラウマ・センターであった。夕方暗くなりかけた頃、屋上ヘリポートで待っていると、薄暮の空に明るい着陸灯をつけたドーファンU警察機が現れ、まっすぐに降りてきた。

 ストレッチャーに寝かせられていたのは、交通事故で大けがをした若い女性であった。ヘリコプターからすぐ台車に移され、エレベーターで階下の手術室に運ばれていった。

 このとき朝から夕刻までご案内とご説明をいただいたウォルター・カー警部には、つい2ヵ月ほど前、2008年10月下旬にミネアポリスで開かれたアメリカ航空医療学会で再会した。冒頭の事故から1ヵ月もたっていない時期で、すれ違いざまに「残念です」と言ったものの、大した話はできなかった。

 事故調査の結果と州議会での聴聞会の結論はまだ出ていない。


薄暮の中、アダムス・カウリー・ショックトラウマ・センターの
屋上に患者を搬送してきたメリーランド州警察機

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2009年1月号掲載、2009.3.4)

 

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