自らの体験にもとづく

アメリカ崩壊目撃談

 

 事件は、この本――『目撃アメリカ崩壊』(青木富貴子著、文春新書、2001年11月10日)――の著者が住んでいるすぐそばで起こった。「ワールド・トレード・センターにジェット機がぶつかった」という声でアパートをとび出し、夫と共に記者章を見せながら燃え上がるツインタワーの真下に行って現場を目撃した。

 紅い炎と黒い煙を吹き上げる高層ビルの窓から助けを求める人びとが次々と飛び降りる。何とかならないのかと思いながら、はらはらして見ていたとき、突如「南タワーの上階部分で大きな爆発が起こり、巨大な煙が上がったかと思うと、今度は鉛色のその煙が……私たちの頭上めがけて落下しはじめた……何が何だかよくわからなかったが、巨大なタワー全体が襲ってくるような感じだった。わたしは全速力で走った」

 それから1週間、自分の体験と、現場にいた人びとの生の談話が本書には書かれている。まことに臨場感にあふれた歴史の記録である。その面白さは実際に本書を読んでいただくとして、ここではもうひとつ、アメリカ大統領に対する著者の評価もしくは表現を、いくつか拾っておこう。

 

 テロの当日、事件発生から間もなくルイジアナ州バークスデール空軍基地を発ったエアフォース・ワンは、大統領をのせてネブラスカ州オマハにあるオフット空軍基地でしばらく滞在したのち、夕刻ワシントンへ戻った。

 そして「長い1日の後、ホワイトハウスの執務室からテレビ演説を始めた大統領の顔はひきつり、怯え、さらに悪いことに誰かが書いた原稿を棒読みしている」と著者は書く。

 このテロ事件によって、アメリカは「新しい陰惨な戦争という次の時代に入ってしまった。昨晩オーバル・オフィスでテレビ演説をしていたブッシュ大統領のあの情けない顔を想い出すと、彼はきっと裏ではこんなことを考えているに違いない、と思えてくるのだった」

『パパとパパの友達が出馬しろって言うものだから、その気になって大統領選に出てみたら 、思いがけず勝っちまって……ぼくは、もともと大統領なんかになりたくなかったんだ』

 著者は「思いがけず」というが、実際はかなり強引に、弟のフロリダ州知事の身贔屓を受けながら、その配下の女選挙管理委員長の誤魔化しも手伝って、当選ということにしたのであった。その結果、つい最近のことだが、票数を数え直してみると実際は競争相手のゴアの方が得票数が多かったという前代未聞のスキャンダルが明るみに出た。

 このようなインチキ当選をしたにもかかわらず、この男は大統領の椅子にすわるや「ミサイル防衛網構想を強引に進め、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限交渉を踏みにじり、包括的核実験禁止条約(CTBT)を死文化し、温暖化防止のための京都議定書からの離脱」をはかった。こうした一連の方策が9.11多発テロとその後の戦争、紛争、不況、混乱につながったのではないのか。

「米国がもう少し協調性を見せていたら、状況が変わった」かもしれないと著者は書いている。

 この親子はまったく戦争が好きで、父親の方は1993年1月17日、ホワイトハウスを去る3日前、巡航ミサイルでイラクを攻撃した。イタチの最後っ屁のようなものだが、その息子は今年2001年2月16日大統領宣誓から1か月もたたないうちに24機の爆撃機でやはりイラクを攻撃した。「イラク空爆はブッシュ家の挨拶とでもいうべきものか」と著者はいう。

 内心は、しかし、この報復戦がブッシュの地域的、経済的利益につながる。オイルマネーで巨万の富を築いた大藪と小藪は、中東で紛争を引き起こすことにより、いっそうの経済的基盤を固めるだろう、と著者は観測している。

 彼は戦争が好きだといっても、実際には弾の下をくぐったことがない。逆にオサマ・ビンラディンの方は対ソ戦で実戦経験を積み、十数年にわたってテロ攻撃のチャンスをうかがってきた。ブッシュのアフガン攻撃は親父のイラク攻撃を真似た戦争ごっこなのである。

 その戦争ごっこを大真面目に受けとめ、法律改正までして出かけていき、現地でやっていることは傭兵のような役割でしかない。そんな自衛隊は、なんとまあ哀れなものとしか言いようがない。誤解があるといけないが、母国を守るために軍備を整え、兵力をたくわえるのは当然のことである。しかし、だからといって藪の傭兵に堕することはないであろう。

(西川渉、2001.12.6)

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