<メリーランド州警察航空隊>

警察業務と救急業務の両立

 

 今年2月、米メリーランド州の警察航空隊を訪ねる機会があった。メリーランド州は1960年代末期、救急医学における「ゴールデンアワー」の理念を提唱したR.アダムス・カウリー博士の努力によって、州立大学病院に救急外傷治療を専門とするショックトラウマ・センターを設立、その一方で州警察の協力を得てヘリコプター救急を実現しているところである。

 警察による日常的な救急活動は世界的にも珍しい。ドイツのババリア州警察を訪ねた折は、EC135ヘリコプターの後部荷物室に折りたたみ式のストレッチャーと応急処置のための医薬品が積んであった。これで、いざというときは救急業務もおこなうわけだが、メリーランド州の場合は初めから救急体制を取っている。

 むろん警察業務を忘れたわけではない。警察ヘリコプター本来の任務――たとえば犯罪捜査(犯罪現場からの逃亡者、盗難車や盗まれた財物捜索、犯罪容疑のかかった車の追跡捜査)、殺人・放火・麻薬取引などの現場調査、道路の監視と保安、空からの交通整理、保安輸送、ハイウェイ・パトロールなどは当然のこと。そのうえ災害支援や、行方不明の人・航空機・船舶などの捜索救難にも当る。

 そうした警察業務に加えて、最も優先する日常業務が救急活動にほかならない。任務遂行のための航空機はAS365ドーファン・ヘリコプターが12機、キングエア双発ターボプロップ機が2機。航空隊としての陣容は、乗員91名、整備士30名、地上職員22名。乗員にはパイロットとパラメディック(救命救急士)がほぼ半数ずつ含まれている。またパイロットも救命訓練を受けており、パラメディックの資格を持つ者もある。さらに顧問の医師1名がいてメディカル・コントロールを担当、総勢144名になる。


キングエア双発機――見ていると、囚人を護送して戻ってきたところだった。

 警察でありながら、救急業務が最優先であることから、飛行条件も難しい。たとえばパトロール飛行は救急業務に支障のない範囲に限る。24時間いつでも出動できる態勢を取り、常に救急隊や医療機関との連絡通信を維持する。そして救急要請があれば直ちに現場へ急行する。乗るのはパイロットとパラメディックの2名のみ。その場で応急処置をしたのち、患者の容態に応じて最適の医療機関へ搬送する。ただし時間的な余裕のある患者は救急車に依頼し、地上救急隊の仕事を取り上げて競合関係が生じないように注意している。

 ヘリコプターが待機する拠点はメリーランド州内8ヵ所。州の面積は2万5千平方キロ余りで、日本の15分の1だから、日本に当てはめると、120機のヘリコプターが待機していることになる。配備密度がこれだけ濃いのは、警察業務と両立させるためであろう。さらに機体は24時間休みがなく、訓練や整備にも取られるので予備機が必要で、総数12機というフリートになる。


格納庫の中で整備作業中のドーファン警察機

 では、救急優先といいながら、本当のところはどうなのか。実態は下表に示すとおり。8ヵ所の出動件数が年間8千件を超え、1ヵ所平均1千件以上となる。そのうち警察業務は15%、救急業務は70%前後に達する。まさしく救急優先といっていいであろう。

メリーランド州警察ヘリコプターの出動実積

    

2003年実績

2002年実績

出動件数

構成比

出動件数

構成比

救急業務

6,026

69.20%

5,971

71.80%

警察業務

1,387

15.90%

1,244

15.00%

捜索救助

404

4.60%

408

4.90%

訓練整備

894

10.30%

694

8.30%

合  計

8,711

100.00%

8,317

100.00%

 そして隣接する拠点同士が相互に協力しながら、同時に2件の出動が必要になれば、近接拠点から応援が出る。そのため8ヵ所のヘリコプターの運航管理は1ヵ所に集中し、飛行指令もその1ヵ所から出される。その指令室を見にゆくと、正面の大スクリーンに州内全域の地図があり、飛行中のヘリコプターが輝点、その航跡が光の線になって表示されている。4〜5人の係官の前にも、それぞれ3台ずつのモニターがあり、デスクの上にはキーボードや無数のボタンが並び、電話のほかにマイクが置かれ、ヘリコプターとの間で忙しく無線交信が続いていた。


州内全域8ヵ所の拠点を取り仕切る運航指令センター

 このようにしてメリーランド州は、ほとんど全域がヘリコプター救急15分以内の範囲に収まる。外れているのは、わずかに5%弱だが、ほかにも道路が不便で、救急車では時間のかかるところがある。そういう特定地域から救急電話があったときは、患者の容態にかかわらず、電話と同時に自動的にヘリコプターが飛び立つ。むろん途中から引き返すことも多いが、容態よりも時間を重視する出動基準になっている。これにより医療過疎の国アメリカにあって、メリーランド州は過疎問題がほとんど解消されている。

 余談ながら、日本は時間よりも症状が重視されすぎるきらいがありはせぬか。ドクターヘリの場合も、まず救急隊員が現場にゆき、患者さんの容態を確かめたうえでヘリコプターを呼ぶ。そのため昨年度の実態は、厚生労働科学研究(2005年夏公表)によれば、救急事案の覚知、すなわち119番の電話からヘリコプターの出動要請まで平均14.2分かかっている。15分以内の治療着手どころか、ヘリコプターの出動を決めるだけで15分もかかっているのだ。

 それでいて救急車の方は119番の電話があれば、症状が何であろうと、小さな羽虫が耳に飛びこんだくらいでも駆け出す。そのため最近になってこれを考え直し、有料化すべきだという議論が出てきたが、救急車とヘリコプターの使い方が両極端である。ものの考え方が硬直しているせいで、もう少し柔軟なやり方はできないのだろうか。

 メリーランド州警察の時間重視の効果は1970年以来、州内交通事故の死亡率が常に全米平均を下回ってきた。しかし、その蔭には3件の事故と6人の殉職者がある。格納庫2階の会議室には、6人の大きな写真が掲げられていた。1人は女性のパラメディックである。しかし最近19年間は無事故の飛行が続いている。去る9月には救急開始35周年の記念行事がおこなわれたと聞く。

(西川 渉、『日本航空新聞』2005年11月10日付け掲載に加筆)


薄暮のショックトラウマ・センター屋上に着陸。
患者は交通事故で大けがをした若い女性であった。

(表紙へ戻る)