<小言航兵衛>

虐殺オリンピック

 長野の聖火リレーをテレビで見た。小さな画面で見る限り、リレーの沿道は中国の赤旗で埋め尽くされ、その光景は気持が悪くなるような異様さであった。中国大使館の募集に応じて2千人とも4千人ともいう留学生が集まったとかで、数を頼みに大声でわめき立て、相手方を圧倒しようというやり方は、いかにも中国らしい質より量の人海戦術というか塵芥賤術であった。

 余談ながら、先日の野村證券のインサイダー取引も3人の中国人の犯行であった。主犯は京都大学の留学生で、野村證券に入ったからにはさぞかし優秀な成績だったにちがいない。それが何故、こんなバカげたことをやらかすのか。おそらく中華思想のしからしむるところであろう。

 つまり、世界で最も優秀な民族は中国人である。日本などは東方の野蛮国(東夷)で、だからこそ自分も一流大学から一流企業に入ったのだ。日本ならば怖いものは何処にもない。これが自国であれば、一流大学だろうと一流企業だろうと、そんな気にはならないであろう。しかし周囲は愚かな日本人ばかりだという思い上がりが、意識するとしないにかかわらず、心の奥に芽生えていた。日本にやってきた中国人の犯罪が多いのも、経済事件に限らず、押込み強盗や殺人事件など同じような心理状態から頻発するのではないのか。

 赤旗を振りながら長野に集まった中国人たちの振舞いにも、それが見られる。彼らはいったい何を叫んでいたのか。「帰れ、帰れ」としか聞こえなかったが、日本人のグループが中国人グループに「帰れ」といわれるのは解(げ)せない。本来は君たちこそ中国へ帰るべきだ。このような怒声では対話とか説得といった姿勢はどこにも見えず、いまの中国政府の態度をそのまま反映したものである。

 というのは先日、聖火リレーへの反対運動に業を煮やした胡錦濤がダライラマと対話をするかのような姿勢を見せたからである。しかし、その言い分は「台湾、チベットが中国の一部であることを認めるならば、扉はいつでも開かれている」というもので、これでは話にならない。

 そもそも問題の発端は、台湾やチベットが中国の一部ではないということである。チベット国家への侵略や支配をやめてくれというのがチベットの主張なのだ。その論点を棚上げにした対話などはナンセンスそのもので「こんちは、さいなら」というだけの意味しかないであろう。

 にもかかわらず、胡錦濤の無意味な言葉にまどわされて、いよいよ対話が始まるぞなどとぬか喜びをしているのが日本政府と日本の有識者たちである。

 ところで、先週の英「エコノミスト」誌は「虐殺オリンピック」と題して、北京オリンピックで明らかになった中国の人権問題を取り上げている。

 その内容はオリンピックには莫大な費用がかかる。そのため多くの大企業が寄付をすると同時に、自らの広告宣伝に利用し、その効果も非常に大きいという。北京オリンピックにもコカコーラ、マクドナルド、GE、コダックなどのスポンサーがついた。

 しかし今や、中国政府も中国人民も唯我独尊の中華思想が世界中から嫌われることになった。むろん今に始まったことではないが、強引な聖火リレーによって、その性格があらわになり、ますます激しい嫌中感を醸し出している。そうなると何億ドルもの寄付金を出しながら、企業としては反人権思想を応援するような結果になってしまう。これらのスポンサーが中国の人権無視のチベット弾圧について沈黙している点も、人権と商売とどっちが大事か、大企業の姿勢に疑問を抱かせることになってきた。

 これまでは、どこの国の政府も人権を尊重する姿勢を見せてきた。大企業もそれに同調する姿勢を示していた。しかし、どうやら化けの皮がはがれてきたらしい。というよりも中国の広大な市場を考えると、人民を怒らせるわけにはゆかない。同じ中華思想のフランスまでも、北京でスーパーマーケット「カルフール」への不買運動が起るなど中国の人海戦術に呑み込まれ、サルコジ大統領も沈黙させられてしまった。フランスこそは人権思想の総本山だったはずだが、その姿勢は政府も企業も商売のための擬態だったことを露呈したのである。

 北京オリンピックが虐殺オリンピックであることは、今朝の「朝日新聞」が「五輪の囚人」と題して1面から3面に続く膨大な記事を載せている。また山野豊さんから送られてきた五輪ロゴマークの由来も、下図のとおり明らかな証拠といってよいであろう。

(小言航兵衛、2008.4.28)

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