<航空宇宙年鑑2011>
一般航空2010年度の動向
本稿は(財)日本航空協会編『航空宇宙年鑑2011年版』のために、昨年9月に書いたものである。この年鑑は毎年末に出版され、航空輸送、航空宇宙工業、宇宙開発、防衛航空、一般航空、航空事故、 航空スポーツ、空港といった8つの分野について過去1年間の動向を掲載しているが、その中で筆者は10年以上にわたって「一般航空」の項目を担当してきた。いわゆるジェネラル・アビエーションの分野で、今年度は当然のことながら東日本大震災に出動したさまざまなヘリコプターの活動ぶりが話題の中心となった。
東日本大震災と一般航空
2010年度の一般航空については、年度の終わり近い3月11日に発生した東日本大震災を抜きにしては語ることができない。未曽有の大地震と大津波に加えて原子力発電所の事故が重なり、想像を絶する複雑悲惨な災害となった。
その結果、仙台や松島では多数の軽飛行機、ヘリコプター、それに自衛隊機が津波に流されたり、浸水、破損するなどの被害を受けた。しかし同時に、この災害に対応して多数の航空機が救援活動に向かった。その初動も迅速で、阪神淡路大震災の反省を踏まえ、その後何度かの災害出動を経験してきた成果がよく示されたものということができよう。
救援活動にあたった航空機は、消防、警察、海上保安庁、ドクターヘリ、それに自衛隊のヘリコプターと大型輸送機、さらに米海軍のヘリコプターなどがあり、自家用機のボランティア活動も見過ごすわけにはゆかない。いずれも被災地に取り残された人びとの救急、救助、救出、そして患者の転院搬送や医師の派遣、被災者、救助隊員、救援物資の緊急輸送など、困難な条件下で懸命の活動にあたったものである。
消防防災ヘリコプターの活動
消防防災ヘリコプターは全国51の航空隊が災害発生と同時に活動を開始、3月11日から12日にかけて被災地の岩手、宮城、福島の3県に集まった。
岩手県では5月なかばまでに20の自治体から消防防災機が応援に駆けつけ、同県の1機を加えて花巻空港を拠点に活動した。最も多い日は14機が飛び、200人近い人びとを救助した。花巻空港は地震発生後、定期便の運航を休止する一方、災害救援機の離着陸については24時間体制で受け入れた。
宮城県では5月末までに全国23ヵ所の消防防災航空隊が応援し、仙台市の消防ヘリコプター2機と共に山形空港や陸上自衛隊霞目駐屯地を中心に、最も多い日は17機が飛んで1,200人以上を救助した。この間、霞目では自衛隊の燃料を消防防災機が使用した。本来、軍用向けの燃料と民間機の燃料は異なるとして使い分けをしているが、基本的には同じもので実際にも問題はなかった。
なお、宮城県に出動したヘリコプターが仙台空港を使えなかったのは、空港全体が津波に襲われ、使えなくなったためである。また宮城県防災ヘリコプターも津波に流され大破した。
福島県では4月末までに15ヵ所からヘリコプターの応援を受け、自らの1機と共に福島空港を拠点として最も多い日は10機が活動し、80人近い人びとを救護した。これらの活動は事故を起こした東電福島第1原発に近いため、放射能が放出されている中での飛行となった。そのため消防隊員は防護服を着用、線量計を身につけて作業にあたり、機体の洗浄も必要であった。
この間、航空局からは3月12日、原発から半径20kmの範囲は飛行を自粛するよう通達が出され、15日には半径30kmの範囲を飛行禁止とする航空安全情報(ノータム)が出された。念のために、これらの制限は航空法81条の2により、捜索または救助のための緊急飛行には適用されない。それでも放射能レベルが上昇したときは飛行を取りやめ、他の空港に避難した機体もある。
ほかにも長野県や茨城県で、消防防災ヘリコプターが合わせて40人近い人びとを救助した。
警察と海上保安庁の活動
警察航空隊のヘリコプターも全国各地から岩手、宮城、福島の3県に出動し、孤立した人びとの吊り上げ救助、赤外線カメラによる夜間の捜索など、さまざまな救助活動にあたった。
岩手県では、県警のBK117を初め、北海道、青森、秋田、東京警視庁、新潟、香川の警察ヘリコプター12機が花巻空港に集結、被災者の救出、吊り上げ救助、被害状況の調査、不明者の捜索、救援物資の輸送などをおこなった。
宮城県では、県警のベル412が内陸部をパトロール中だったが、地震発生と同時に沿岸部に出て、津波の警戒にあたった。さらに別のベル206Lも緊急発進し、2機で深夜午前2時過ぎまで情報収集にあたった。そして翌日も午前6時前から飛行を開始、脱線転覆している電車から9人を救助した。
その頃から他県の応援機も加わるようになった。応援機は警視庁の3機など、13都県から17機に及ぶ。これらのヘリコプターが救助した人数は、地震当日から4日間で250人、その後の人数も合わせると262人になる。
福島県では県警航空隊がベル412とアグスタA109Eを飛ばし、発災当日は被害状況の調査をおこなった。翌12日には警視庁と県警を合わせて8つの航空隊から13機が応援に駆けつけ、被災者の捜索、救助、輸送にあたった。各機は地区と役割を分担して活動し、中には5機が1日で1機平均8時間の飛行をした組もある。
海上保安庁はベル412、212、206Bなど5機のヘリコプターと3機の固定翼機が津波の被害を受け、飛行不能となった。その一方、残り40機のヘリコプターのうち15機が全国各地から出動し、吊り上げ救助や捜索、緊急物資輸送にあたった。特に海上で航行不能となった船舶から孤立者や負傷者を吊り上げ救助した例は20件に上る。
ほかに固定翼機も14機が出動、ヘリコプターを合わせて救助した人数は最初の6日間で294人を数える。この中には石巻の2ヵ所の造船所から救助した102人が含まれ、17人の転院搬送もしている。
ドクターヘリの活動
ドクターヘリは現在23道府県27ヵ所の医療機関に配備されているが、東日本大震災の当時は26ヵ所であった。そのうち4ヵ所は自らの担当地域内で活動し、圏外14ヵ所のドクターヘリが被災地に入った。圏外からの応援は、北は北海道、南は高知県、西は福岡県に及ぶ。ほかに北海道の2機と、和歌山県および長崎県のドクターヘリが、被災地から自衛隊の大型輸送機で搬送されてくる患者の引き継ぎ搬送に当たった。
これらのヘリコプターで救護された患者は総数162人。ただし、この人数は混乱した現場で数えたもので、当然のことながら必ずしも正確ではない。またドクターヘリの本来は医師が同乗して、いち早く現場治療をおこなうことが最大の特色だが、東日本大震災では負傷者の多くが津波にさらわれてしまったため、現場治療よりも孤立した病院からの患者や医療者の救出搬送といった役割が多かった。
なおドクターヘリの出動は、結果は良かったものの、いくつか制度上の課題を残した。ひとつはドクターヘリの日常活動が道府県単位であるため、その範囲を越えて出て行く場合の手続きが決まっていないこと。たとえば派遣依頼の多くは厚生労働省傘下のDMAT(災害派遣医療チーム)事務局から直接受けた拠点病院が多かったが、そうなると病院から道府県当局に圏外へ出て行くための承認を取らなくてはならない。
この手続きは既存の定めがないため、時間がかかったり、県当局によってはDMATに法律上の権限や根拠があるのかといったことが問題となったりして、出動できなかったところもある。手続きばかりでなく、実際上もドクターヘリが出て行った後の空白、すなわち日常の救急体制をどのようにして埋めるかといった問題も生じた。
さらに被災地の現場では誰の指示で活動するのか、指揮命令系統が不明確であった。DMATの指示を受けるにしても、実際はDMATとドクターヘリとの事前の話し合いはこれまで全くおこなわれたことがない。
さらに、ドクターヘリの日常活動は消防や警察などの依頼によって出動することになっているが、被災地ではそのような例はほとんどなかった。つまり法的な根拠のないまま出動するわけで、そうなると航空法第81条の2が適用されず、飛行場外すなわち被災現場での離着陸ができなくなる。実際は事後承認のような形でおこなわれ、現地の災害対策本部は緊急機関とみなすといった考えもあったようだが、あいまいな点が残った。
残された課題はほかにもあり、将来に向かって法規や取り決めを明確にしておく必要があろう。
自家用ヘリコプターも活動
東日本大震災では自家用ヘリコプターも活動した。ヘリコプタージャパン誌の取材によると、71人の会員から成る全国自家用ヘリコプター協議会が中心となって、ロビンソンR44単発ピストン・ヘリコプターなど12機が航空局の特別許可を取得、3月19日から宮城県の菅生サーキット場を拠点として被災地に飛んだ。
活動内容は救援物資――マスク、電池、カイロ、下着、おむつ、軍手、ラジオ、歯ブラシ、歯磨きなどを各地の避難所へ配送するというもの。R44小型ヘリコプターは1回の搭載量が150kgほどではあるが、5月上旬までに2〜4機ずつ交替で活動し、317回の物資輸送をおこなった。ほかに医師や看護師の輸送もしている。
この活動には、エリクソン社の通信施設復旧作業のためにスウェーデンから空輸されてきたオステルマン・ヘリコプター社のベル205も参加し、重量物の運搬にあたった。
加えて、仙台のNPO法人チャイルド・フライト・ジャパンは、企業3社の協力を得て、医療関係者、医薬品、生鮮野菜、ボランティア要員などを被災地に輸送した。使用したヘリコプターはノエビアのAS350B3、善都のBK117、DHCのBK117である。
このNPO法人は普段、難病や事故のために特別な治療を必要とする子供たちや妊産婦を、ビジネス用の社有機によって高度専門病院へ無償で送り届ける事業を展開している。そのため、いくつかの企業と提携し、社用機の無償提供を受けるという仕組みをつくっている。そのシステムが、そのまま東日本大震災で活用されたことになる。
自衛隊とアメリカ軍
自衛隊は陸上、海上、航空のいずれも大小さまざまなヘリコプターを被災地に送りこみ、捜索、消火、重機搬送、救援物資輸送などをおこなった。念のために、自衛隊の本来の目的は自衛隊法第3条(自衛隊の任務)に定める通り、外敵の侵略に対する国土の防衛だが、大規模災害が起こったときは本来の任務を妨げない範囲において「災害派遣」がなされる。この場合、公共性,緊急性、非代替性という3つの条件が満たされなければならない。
東日本大震災に派遣された人員は約10万人、航空機は3月15日までの短期間でヘリコプター96機、固定翼機7機となった。主な任務は孤立した住民の救出と救援物資の輸送で、自衛隊が救助した人数は航空部隊以外の救助も合わせて、最初の5日間だけで19,300人に達する。
また3月17日には陸上自衛隊のCH-47ヘリコプター2機が福島原子力発電所の事故を起こした原子炉に向かってバンビ・バケットによる放水作業をおこなった。しかし現場の放射線量が高く、乗員や機体への影響が大きいとして、放水は4回で中止された。
アメリカ軍も「トモダチ作戦」(Operation Tomodachi)名づける救援活動を展開した。これには陸海空の3軍が参加、第7艦隊の原子力空母「ロナルド・レーガン」を3月13日から4月4日まで三陸沖にとどめ、搭載機のMH-60ヘリコプターを初め、厚木基地のSH-60F、嘉手納基地のHH-60Gなどの中継拠点として、洋上漂流者の捜索、救援物資の輸送などの支援にあてた。海兵隊もCH-53大型輸送ヘリコプターやKC-130輸送機で救援物資の輸送にあたった。
一般航空事業の飛行時間
一般航空の日常活動に戻る。
大手の定期航空会社を除く航空事業の2010年度実績は表1の通りである。
表1 2010年度一般航空事業の飛行実績
ヘリコプター 飛行機 飛行時間 前年比(%) 飛行時間 前年比(%) 二地点間旅客輸送
1,070 97.7 45,310 90.9 遊覧飛行
2,447 106.1 806 98.4 人員輸送
9,345 127.2 2,604 105.8 建設協力
6,517 88.4 ― ― 物資輸送
4,466 89.3 ― ― 薬剤散布
2,588 73.9 ― ― 送電線巡視
10,878 111.3 ― ― 報道取材
12,442 107.9 121 310.3 広告宣伝
― ― 1,086 68.6 垂直写真
784 57.7 6,286 99.4 斜め写真
3,367 98.7 11,178 88.7 調査視察
1,396 64 1,181 66.3 漁業協力
― ― 1,204 102.1 操縦訓練
4,820 91.1 14,309 89 運航受託
10,085 100.2 1,534 61 その他
1,651 129.9 261 116.5 合 計
71,856 100.5 85,880 90 [資料]全日本航空事業連合会
飛行機の事業実績は総飛行時間が85,880時間。ただし、このうち45,310時間は、定期航空に準ずるコミューター航空もしくは地域航空7社による二地点間の旅客輸送である。それを除く航空機使用事業は、28社で4万時間余り。前年の45,000時間余に対して11%の減少となった。とりわけ目立つのが広告宣伝、視察調査、運航受託で、いずれも一般企業が顧客であるところから、経済界の不況が大きく影響したものと見られる。
一方、飛行時間の絶対値では、操縦訓練と斜め写真撮影が合わせて25,000時間を超え、使用事業4万時間の半分以上を占める。これに次いで航空測量のための垂直写真も6,000時間を超え、前年比99.4%と安定した需要となっている。
一方、ヘリコプター事業は28社合わせて72,000時間近い飛行をした。前年比ほぼ100%である。業種別に見ると、人員輸送が9千時間を超え、前年比では27.2%の伸びとなった。この中にはドクターヘリの飛行時間が含まれており、集計上は区別されていないが、全国26ヵ所の拠点でそれぞれ180〜200時間ずつ飛んだとすれば、合わせて5,000時間ほどであろうか。この業種は後述するように今後いっそうの発展が期待される分野である。
飛行時間の最も多いのは報道取材で、12,400時間ほど飛び、前年比8%近い伸びを示した。業務の内容は、ほとんどテレビ局の報道取材だが、3月の飛行時間は普段の2倍半になった。東日本大震災の上空からの取材が多かったのであろう。
これらの一般航空事業に使われたヘリコプターは、航空ニュース紙のアンケート調査によると、全国で360機だったという。ほかに12〜13機が東日本大震災の津波で流失したもよう。その補充を含めて、2011年度以降に予定されている増機は29機。その中には、わが国初のベル429とアグスタウェストランドAW109SPグランドニューが含まれ、いずれもドクターヘリとして導入される予定。さらにロビンソンR66小型タービン機も2機の導入が計画されている。
警察と海上保安庁の航空機
警察のヘリコプターは表2に示す通りである。2010年度中に4機の206LがEC135に代わった。またAS365Nが1機、津波で流失したので、年度末の総数は1機源の94機となっている。
今後、2011年度にはEC139が3機増となり、12年度にはわが国初のシコルスキーS-92が導入される予定。
表2 警察ヘリコプターの機種と機数
機 種
機 数(各年度末) 2010 2009 2008 2007 ベル
206L
16 20 23 27 412
18 18 18 19 川崎重工
BK117
14 14 14 14 ユーロコプター
EC135
7 3 2 2 AS365N
7 8 8 9 EC155B1
1 1 1 1 AS332L
3 3 3 3 シコルスキー
S-76
2 2 2 2 アグスタウェストランド
A109E
22 22 20 15 A109K2
1 1 1 1 AW139
2 2 2 1 EHインダストリー
EH101
1 1 1 1 合 計
94 95 95 95
海上保安庁は東日本大震災で、上述の通り8機の航空機が被災した。うちヘリコプターはスーパーピューマ、ベル412、212、206B、S-76の合わせて5機、固定翼機はDHC-8-300、ビーチ350、200Tの3機。ただしDHC-8は損傷軽微のため修復されることになり、差し引き保有数は7機減となる。さらに後述する事故によりベル412が1機失われたので、2010年度末の保有数は2009年度末の73機に対して表3のとおり65機となった。
表3 海上保安庁の航空機
機 種
機 数 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 飛行機
(25機)
ガルフストリームV
2 2 2 2 ファルコン900
2 2 2 2 YS-11
1 1 3 5 DHC-8
5 5 3 0 サーブ340
4 4 4 4 ビーチ200T
1 2 2 3 ビーチ350
9 10 10 10 セスナU206G
1 1 1 1 ヘリコプター
(40機)EC225
2 2 2 2 スーパーピューマ
3 4 4 4 AW139
5 5 5 3 ベル412
6 7 7 8 ベル212
18 20 20 21 シコルスキーS-76C
3 4 4 4 ベル206B
3 4 4 4 合 計
65 73 73 73
こうした状況から2011年度以降、新たな充足をはかる必要があり、先ずユーロコプターEC225大型ヘリコプター3機が発注された。このEC225には最新の捜索救難機器が装備されており、困難な捜索救難業務や監視任務での機能が向上するものと期待されている。
さらに新しい「中長期ビジョン」にもとづき、現有2機のガルフストリームGVと2機のファルコン900に加えて同クラスのジェット2機を増強する予定。
なお、海上保安庁では2010年8月18日、瀬戸内海で訓練飛行中のベル412ヘリコプターが、海の上に張り渡された送電線に接触して墜落、乗っていた5人が全員死亡するという痛恨の事故を起こした。このため「航空の安全対策基本方針」を決定、安全管理体制を強化して、安全監査の充実、ヒヤリハット情報の有効活用、CRM(コクピット・リソース・マネジメント)訓練、そして衝突防止警報装置など装備品の充実といった方策を進めつつある。
消防防災ヘリコプター
消防防災ヘリコプターの配備状況は表4の通りである。
表4 消防防災ヘリコプターの機種と機数
2010 2009 2008 2007 2006 2005 保有機数
総務省消防庁
1 1 1 1 1 ― 消防ヘリコプター
31 29 29 28 28 27 防災ヘリコプター
39 41 42 42 42 42 合計
71 71 72 71 71 69 災害出動件数(各年中)
火災
― 1,350 1,273 1,238 1,073 1,161 救助
― 1,898 1,671 1,720 1,562 1,480 救急
3,942 3,710 3,276 3,167 2,762 2,492 その他
― 169 276 224 209 222 合計
7,218 7,127 6,496 6,349 5,606 5,355 〔注〕保有機数は各年とも4月1日現在。2010年については10月1日現在。
〔資料〕総務省消防庁
上表の機数は、東日本大震災で宮城県の防災ヘリコプターが失われたため、2011年4月1日現在では1機減の70機となった。なお、佐賀県と沖縄県は、まだこうした消防防災ヘリコプターを保有していない。
災害出動件数は、年度ではなく暦年の実績である。しかし2010年については、本稿執筆の時点でも救急出動以外の実績統計が公表されてなく、空欄が残った。
やむを得ず、2009年中の実績を見ると、救急出動が全体の52%で半分余りを占め、救助が27%、火災が19%となっている。都道府県別に見ると、救急出動は東京都が最も多く、出動総数643件のうち425件で、これに高知県の400件、熊本県の324件、札幌市の236件が続く。
この4都県市を合わせた実績は表5の通り1,385件で、全国の救急出動3,710件の4割近くを占める。さらに、この4都県市は救急出動が6割から9割近くを占める。もとより、ここだけが特に救急患者の発生が多いわけではないだろうから、ほかの自治体でももっと救急活動に意を用いるならば、死なずにすんだ人が増えたかもしれない。実際、年間出動件数が300件を超えているのも、この4自治体だけである。
表5 救急出動の多い都県市(2009年中)
救急出動 全出動 救急出動の割合 札幌市
236 353 66.90% 東京都
425 643 66.10% 高知県
400 464 86.20% 熊本県
324 364 89.00% 合 計
1,385 1,824 75.90% 〔資料〕総務省消防庁
ただし、出動件数の多寡は保有機数にも比例し、保有数の多い自治体は出動数も多くなるかもしれない。しかし高知、熊本、札幌は、いずれも保有数1機だけである。それに対して東京都は6機を保有するので、その割には出動が少ないという逆の結論になるかもしれない。ちなみに大都市ロンドンの救急ヘリコプターは、1機で年間1,000件を超える救急出動をこなし、市街地の至るところに着陸して患者の救護にあたっている。
もう一度表4を見ると、全国の消防防災ヘリコプターの災害出動は2009年が71機で7,100件余り。1機あたりちょうど100件であった。3日に1回の出動だが、表5に見るとおり救急出動の多いところは1日1回以上の出動をしている。
なお、2010年は出動総数がやや増加し、救急出動も増えて全体の54.6%を占めるようになった。その他の任務も前年に出た「消防防災ヘリコプターの効果的な活用に関する検討会」の結論にもとづき、活動実績も増えたにちがいない。さらに2011年に入って、東日本大震災では上述の通り、多くの消防防災機が被災地に入って献身的な働きを見せた。それらの統計数値を早く見たいものである。
なお、消防防災ヘリコプターの2009年の飛行時間は、災害出動6,104時間(32.5%)、訓練10,254時間(54.5%)、その他2,447時間(13.0%)で、総計18,805時間であった。
ドクターヘリの実績
ドクターヘリの2010年度実績は、年度末の配備数が22道府県に26機であった。このうち5機は2010年度中に新設されたものである。
これら26機の活動結果は表6に示す通り、出動件数が9,452件で前年度にくらべて31.9%の増加。また診療患者数は9,182人で前年比36.7%増となった。
表6 ドクターヘリの2010年度実績
2010年度 2009年度 伸び率(%) 拠点数
26 21 23.8 出動件数
9,452 7,167 31.9 平均出動件数
363 341 6.5 診療患者数
9,182 6,715 36.7 〔資料〕日本航空医療学会
1ヵ所平均の出動件数は363件。ちょうど全機が毎日1回ずつ飛んだことになる。出動件数の多い拠点は、前年まで千葉県北総機が年間700件以上を飛んでトップだった。しかし2010年度は兵庫県のドクターヘリが847件で最多となった。同機は2010年4月1日に運航を開始したもので、初年度にしてトップに立ったことになる。しかも診療患者数は1,040人と桁違いに多い。
この背景には、公立豊岡病院但馬救命救急センター長の熱意あふれる活動ぶりと、119番にかかってくる電話の言葉――「息が苦しい」「意識がない」「様子がおかしい」といったキーワードから判断する簡潔な出動基準の創案がある。これによって、救急隊員が現場で患者の容態を直接確認するまでもなく、119番の電話を受けた消防本部が躊躇なくドクターヘリの出動を要請するようになった。そのため出動件数が増えたばかりでなく、救急電話からドクターヘリ出動要請までの時間も全国平均の15分に対してほぼ半分の8分にまで短縮された。それには当然のことながら、地元消防機関と救急隊の協力や支援もきわめて大きい。このような異なった機関の協調体制が航空医療の効果をいっそう高めるものといえよう。
なお、ドクターヘリは2010年度末をもって、2001年4月1日の正式事業開始から丁度10年になる。この10年間の拠点病院と出動件数の推移は表7に示す通りだが、出動件数の累計は45,953件となった。
表7 ドクターヘリの実績推移
年 度 拠点病院数 出動件数 2001 5 874 2002 8 2302 2003 9 3027 2004 9 3662 2005 10 4098 2006 11 4444 2007 14 4763 2008 18 6132 2009 21 7199 2010 26 9452 〔資料〕日本航空医療学会
さらに2011年度に入って、6月には島根県でも運航が始まった。その後も年度内に、合わせて数ヵ所でドクターヘリの運航が始まるものと見られる。
ドクタージェットの研究運航
航空機による救急飛行に関しては2010年秋、9月から10月にかけて1ヵ月間、北海道で救急装備をしたビジネスジェットによる研究運航がおこなわれた。使用機は中日本航空のセスナ・サイテーション双発ジェット。
札幌の丘珠空港を拠点とし、出動要請に応じて医師や看護師を乗せて飛び立つ。北海道ではすでにドクターヘリ3機が飛んでいるが、広い道内全域をカバーするのは無理。ジェットならば離着陸の可能な飛行場さえあれば距離は問題ではない。多少の気象不良でも必要なところへ高速で飛ぶことができる。
1ヵ月間の運航結果は、出動要請19件に対し、実際に飛んだのは16件であった。というのは2件が重複要請で、機はすでに別の任務のため出払ったあとだった。もう1件は天候不良である。
実際に飛んだ16件は患者搬送が9件、医師の派遣が3件、臓器搬送が4件であった。患者搬送の1件は釧路市内でドクターヘリが収容した患者を空港でドクタージェットが引き継ぎ、札幌へ搬送したもの。また遠く高知まで患者を搬送した例もあった。患者搬送のうち2件は、ドクタージェットがなければ、生命にかかわる事例であった。
こうした研究運航を踏まえて、北海道の関係者は今後、飛行機による救急搬送を日常的なものにするための運動を続けている。
ビジネス航空の推進
一般航空の分野ではビジネス航空も重要な要素である。ビジネス機は、利用者の都合に合わせて発着の場所や時刻を自在に選ぶことができるので、定期便の飛んでいない時間や場所でも移動が可能となる。さらに移動中は機内で仕事を続けることができるので、時間を有効に使うことができる。またプライバシーの確保が容易であるなど、グローバルな企業活動に必要不可欠な移動手段として、活躍の場を広げている。
たとえば米国では17,900機のビジネスジェットが使われている。またカナダ、ブラジル、メキシコで約1,000機、ドイツ、イギリスで600機余り、オーストラリア、フランスで400機前後、スイス、オーストリアで300機前後、中国でも120機余りのビジネスジェットが存在するが、日本はわずか55機に過ぎない。
こうしたことから、航空局は2010年末「ビジネスジェットの推進に関する委員会」を設置、検討を重ねた結果、2011年6月、成田空港の受入れ体制構築を柱とする中間報告をまとめた。それによると、今後5項目の重点施策を実行に移し、ビジネス機の活動の場を広げるとしている。
ひとつは成田空港に専用ターミナルを2011年度中に完成、CIQの手続きもそこでできるようにする。第2はビジネスジェット用のスポットを拡充し、現行15スポットを18に増やし、駐機期間も今の2週間という制限をできるだけ早く撤廃する。第3に週21回の発着枠を撤廃する。さらに同時離着陸を可能としたり、都心へのアクセスを改善するためヘリコプターの成田空港への直接乗り入れを検討する。
成田空港へは現在、都心からヘリコプターが飛んでいるが、乗り入れが認められず、飛行場外で離着陸し、ターミナルとの間は車で走らなければならないといった不合理な方式になっている。さらに有視界でしか飛べないので、21010年度の就航率は78.6%だった。将来に向かっては計器飛行を可能とすべきであろう。
外国から見て、日本はビジネス航空の乗り入れが不便で、世界で最も飛びにくい国といわれる。かかる風評は早急に拭い去らなくてはならない。
(西川 渉、航空宇宙年鑑2011所載、2012年1月16日刊)
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