中華航空機の事故とコンコルドの事故

 

 中華航空機の事故を知ったのはテレビ局からの電話であった。

「那覇空港で旅客機が燃えていますが、ご存知ですか」
「いや何も」
「すぐにテレビを点けてください」

 20日午前11時頃だったか、テレビ画面いっぱいに黒煙が広がり、腰が抜けてはいつくばったような機体から真っ赤な炎が噴き出している。

「これを見て何が考えられますか」
「いま見たばかりで、何が何だかわかりませんよ」
「じゃあまた電話しますから、しばらくテレビを見ていてください」

 というので、何度か電話のやりとりがあった後、神谷町のテレビ東京に着いたのは午後3時半頃であった。そのままスタジオに入り、ディレクターとアナウンサーから質問攻めにあった。といっても、事故が起こった10時35分頃から5時間ほどたっていながら、その時点では何故かほとんど何にも分かっていなかった。こちらも闇の中を手探りでゆくような気持である。

「エンジンが爆発したようですが、原因としては何が考えられますか」
「エンジンの周りには燃料、エンジン・オイル、油圧系統の輸液など、いろんな油脂類がありますから、そのどれかが洩れて引火したのではないでしょうか」
「どこから洩れるのでしょうか」
「たとえば配管に亀裂が入ったり、継ぎ目がゆるんだり……」

「燃料が洩れるとコクピットで分かりますか」
「分かりません。ただ時間がたてば燃料計が異常に減ったりするので気がつくでしょう」
「エンジンにはスプリンクラーのようなものがついていますか」
「消火装置がついています。けれども自動的に作動するわけではありません。パイロットが操作します」

「燃料は爆発しますか」
「一挙に火がつけば、それが爆発でしょうね。それと、燃料をたとえば半分ほど使った後タンクの中に空間ができて、そこに蒸発したガスが貯まっていれば、それが電気系統のショートなどで引火し、爆発するかもしれません。雷に打たれて、燃料タンクが爆発することもあります」
「燃料タンクはどこにあるのですか」
「主翼の中です」
「え?、あんな薄い翼(つばさ)に燃料が入るんですか」

 ときどき話がトンチンカンになるのは、飛行機の構造など知らない人が多いのだからやむを得ない。

「今入った情報で、整備士が右翼から燃料が洩れているのを見たそうです」
「その洩れ方はポタポタという程度ですか。それともじゃじゃ洩れですか」

 今度は、こちらが逆に質問するけれども、そのときはまだ分からなかった。しかし、まさか燃料がジャージャー流れ出すとは思えない。恐らくは少しずつ洩れた燃料がエンジン・カウリングの底の部分にでも貯まっていたのではないかと考えた。空中では高速で移動しているので貯まるかどうか分からないが、着陸してゆっくり移動している間に貯まったのではないか。それがエンジンの高熱に触れて発火したのではないかという推理である。

 夕方5時のニュース番組「速ホウ」では、結局そのあたりの推理が採用されて放送になった。

 真相が見えてきたのは、3日後の23日である。その日夜7時のニュースで、燃料タンクにボルトが刺さって大きな穴があき、そこから大量の燃料が流れ出し、火を発したと報じられた。それを聞いた途端、私はコンコルドの事故を思い出した。まさに、そっくりではないか。

 あの超音速旅客機の事故は7年前の2000年7月25日、エールフランス機がパリ・ドゴール空港を離陸直後にエンジン付近から火を発し、ほとんど上昇できないまま2分後に墜落した。

 発火の原因は離陸滑走中、その前に離陸した飛行機から脱落した金属片を踏みつけ、破裂したタイヤの破片が翼の下面にあたって燃料タンクを破り、そこから噴き出した燃料に引火したものである。その真っ赤な炎を長く引きながら、必死になって低空を飛んでゆくコンコルドの最後の姿は、当時のテレビで繰り返し放送された。

 中華航空機の事故も、燃料タンクが破れ、そこから流れ出した燃料に火がついた点は同じである。しかし一方は離陸するときであり、他方は着陸したときであった。それが両者の命運を大きく変えたのである。

 コンコルドの事故では乗っていた109人全員と地上の4人が犠牲になった。中華航空機では間一髪とはいえ全員が脱出できた。

 しかし事故は、死んだ人も生き残った人も、誰をも震え上がらせる。

(西川 渉、2007.8.24)

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