<オランダ紀行>

割り勘体制のヘリコプター救急

 

 今年7月オランダへゆく機会があった。40年ぶりのことで、その間、何度かアムステルダムのスキポール空港で乗り換えたことはあるが、入国はしなかった。したがって今回が初めてのようなもので、オランダについては全く無知であった。たとえばアムステルダム中央駅は、そこで汽車を降りたときに建物の形や赤煉瓦が東京駅に似ているような気がしたが、帰国して調べてみると案の定、東京駅の原型であった。知っていれば、もっとよく見てくるべきだったと残念である。

 司馬遼太郎によれば「世界は神がつくりたもうたが、オランダはオランダ人がつくった」という。ヨーロッパ大陸を延々と流れてきたライン川など3本の大河が、ここから北海に流れこむ。その河口州にあたるところがオランダで、海面と同じかそれより低い土地を干拓してつくりあげた。したがって今のオランダは、国土の7分の1が干拓地で、4分の1が海面よりも低い。

 ネーデルランドとは低地国の意味である。低地を人の住める国にするには、誰もが一致協力して堤防をつくり、水をかい出し、干拓工事に当たらなければならない。水をかい出すための動力が風車だが、今ではほとんどなくなり、それに代わって発電用の巨大なプロペラが立つようになった。

 オランダ人の特徴のひとつは干拓作業のための協力精神で、そこから「ダッチ・アカウント」(割り勘)という言葉が生まれたらしい。自分の肖像画を描いてもらうのもひとりだけの絵ではなく、みんなで一緒に描いてもらう。レンブラントの有名な「夜警」も大勢の人が描かれているが、決して例外ではない。似たような無名人の集団肖像画は至るところにあって、その集団が割り勘で画料を払った。つまり、わずかな金で自分の肖像画が長く後世に残るのである。

 「ワーク・シェアリング」もオランダ人の発想である。日本でもしばらく前、不況の中の失業対策として、しばしばこの言葉を耳にした。リストラによって人員を削減する代わりに、めいめいの労働時間を短縮して仕事を分け合う。これで各従業員の仕事が減って賃金も削減されるが、言い換えれば各人の取り分を少しずつ供出するわけで、割り勘にほかならない。


司馬遼太郎のいう割り勘の象徴「夜警」

 割り勘とは、見栄っ張りの日本人はケチの意味に取る人が多いが、オランダ人は必ずしもそうではない。むしろ助け合いである。外国で災害や基金が起こると、たちまちにして多額の寄付金が集まる。みんなが少しずつ出し合って大きな仕事をしようというわけで、だからオランダには非営利団体(NPO)や非政府組織(NGO)が多い。いずれも他人を助けるための組織で、NPOは国内、NGOは国外が活動の舞台となる。政府開発援助(ODA)も多くて、オランダの国内総生産(GDP)に対する比率は日本の4倍にもなる。ただし金額では、日本は世界最大である。

 さらに国連平和維持軍への派遣も多く、自衛隊がイラクに駐留した際、その安全を護ってくれたのもオランダ軍だったことを忘れてはなるまい。多国籍企業もオランダから生まれた。国境を越えて国際的な割り勘で資本を集める方式で、ロイヤル・ダッチ・シェルやフィリップス、ユニリーバなどは多国籍企業の模範である。

 無論ここでは「割り勘」という言葉を好ましい意味で使っているのだが、こうした割り勘精神の国オランダでヘリコプター救急はどのように行なわれているのだろうか。

 拠点数は4ヵ所。国土面積は4万1千平方キロで、スイスや日本の九州とほぼ同じである。スイスは山岳国の不利を克服するために、アルプスの山奥でも15分以内に医師をのせたヘリコプターが到着できるよう、13ヵ所に配備されている。そして九州は今のところ1ヵ所しかない。

 オランダは完全な平地で、高いところでも海抜321m。坂がないから自転車にとっては走りやすく、サイクリングが盛んである。同じようにヘリコプターにとっても飛びやすい地勢で、拠点数4ヵ所でも先ずは大丈夫なのであろう。半径50kmの円を描くと、東の端と南の端がはみ出すけれど、そこはドイツの2ヵ所とベルギーから国境を越えて応援して貰う。その代わり国内のフローニンゲンの病院拠点にはドイツ機をチャーターして配備してある。

 無論それぞれの費用は払っているが、このあたりもオランダらしい国際的な割り勘体制といえるかもしれない。

 上の図はオランダのヘリコプター救急体制を示す。全国を7区画に分け、そのうち4区画はオランダ側で救急ヘリコプターを飛ばす。残り3区画は外国からの応援を依頼している。東のエンスヘデと南のマーストリヒトを中心とする地域はドイツから、南西部はベルギーから救急ヘリコプターが飛んでいる。その本来の区分地図の上に、筆者が半径50kmの円を描いたのがこの図で、国土全体がほぼカバーされている。


フローニンゲン医科大学病院屋上に待機する救急ヘリコプター

 この機体はドイツADACからチャーターしEC135で、これも割り勘――国際的な相互協力のひとつといえよう。なおオランダとドイツは、救急ヘリコプターが国境を越えて自由に出入りする特別航空協定を結んでいる。言葉は、オランダ語とドイツ語だが、お互いに方言のようなもので、少なくとも聞く分には解り合えるらしい。

(西川 渉、『日本航空新聞』2006年9月21日付掲載)

 

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