次もそうなる

  

 先日、防災科学研究所の専門家と話をする機会があった。その人は最近、神戸に行って阪神大震災から2年半を経過した現状を見て歩き、現地の消防関係者にインタビューをしてきたという。

 そこで、インタビューの中にヘリコプターの話は出てきたかどうか訊ねたところ、そんな話題はなかったらしい。理由を訊くと、消防関係者はヘリコプターは都市災害の役に立つとは考えていないからではないかとのこと。

 私はちょっと吃驚して、さらにその理由を訊くと、火の上を飛ぶのは危険だし、空から水をまいてもうまく命中させるのがむずかしい。大量の水は家を押しつぶして中の人を圧死させるおそれがあるなど、どこかで聞いたような答えが返ってきた。

 防災の専門家を自称する人でも、この程度の認識である。あの震災直後、消防関係者の言い訳を蒙昧な大臣がオウム返しに国会で答弁し、多数の官僚や研究者がもっともらしい理屈を並べ立てた。いまだに日本人の大多数が、それらのマインド・コントロールに騙されたままなのである。 

 それでいて、政府機関から出ている関連文書や、その孫引き文書を見ると、「ヘリコプターは阪神大震災で活躍した」とか「ヘリコプターの重要性が認識された」などと書いてある。

 しかし、私に言わせれば、活躍したのは閣僚連中や高官たちの現場視察と称する「高見の見物」や、被災者に対する後からの食糧や衣類の輸送に使われただけである。肝心な人命の救助(救急)と財産の保護(消防)には全く使われなかった。

 もちろん、当時の無気力な首相や無知な議長をのせた自衛隊ヘリコプターのパイロットの気苦労は大変だったであろう。また緊急物資の輸送も重要である。夜を徹して、その仕事にあたった民間機および自衛隊機のパイロット、ならびに関係者の人びとの仕事が無駄だったといっているのではない。無駄だったのは、助かるべき命を喪くした人びとの死である。

 問題は、こうした現場に立つ人びとではない。第一線の人材と装備と能力を最大限に生かそうとしない制度や体制である。今のままでは再び三度び同じような悲劇が繰り返されるであろう。

 

 今日、『次はこうなる』(堺屋太一著、講談社刊)を読んでいたら、日本の「消防法は世界一厳しいのに焼死率は高い。心臓麻痺を起こした人が救急車で救命される率はたったの2.5パーセント。欧米に比べればはるかに低い。諸外国では、救急隊員に応急手当を認めているが、日本は医師法によって手当は病院に着いてからしかできないからである。……日本の規制や基準値は、官僚が管理しやすいように設けられているのであって、必ずしも安全のためではない」と書いてあった。

 具体的な数字や根拠は示されてないが、あれとこれを考え合わせて、私には充分うなずけるような気がする。

 (西川渉、97.10.16)

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