十を聞いて一を知る

 

 「一を聞いて十を知る」とは、人の才知をたたえる言葉である。今回のNGO問題では、言った言わぬの論争があったようだが、おそらくは害務省のいうように煤キ代議士も言わなかったのであろう。しかし外交官になろうというほどの臭才たちだから、いちいち言われなくとも、指示がなくとも、代議士の普段の言動からすれば、その腹のうちは嫌でも分かる。

 だから、NGOがみずから暴露したように「あの先生のところへ謝りにゆけ。さもなくば出席させない」くらいのことは、言われなくてもやったであろう。にもかかわらず、野党は言ったか言わないか、嘘か本当かという論争に終始して負けてしまった。

 言わず語らず、以心伝心、一を聞いてというやり方は、どこでもおこなわれることではないか。野党の頭の悪さは「十を聞いて一を知る」程度で、まことに愚鈍としか言いようがない。

 野党の愚鈍ぶりは、先の参議院選挙に無責任な芸人を連れてきて代議士に仕立て上げたことでも分かる。本人は辞めるにあたって「ボクは三顧の礼をもって迎えられた」などと言うが、そういう最上級の賛辞を自分でいう馬鹿がどこにあるか。少なくとも日本人の気持ちには合わぬところで、早くカナダに戻っておみやげ屋の店番でもやっているがよかろう。

 余談ながら、あのみやげ屋には航兵衛も昔一度入ったことがあるが、がらくたばかりで買いたいものは全くなかったことを思い出す。

 一方、濃墨首相は、このODN騒ぎで、事の善し悪しを問わず、渦中の3人を更迭ということにした。これで傷ついたのは棚架外相だけで、あとの2人はどうやら仲間うちから賞賛されているらしい。

 たとえばひげの男は予算委員会で堂々と嘘とつき通した。その下役局長のしどろもどろの二転三転の答弁や棚架の言い分に照らしても、煤キ代議士の「無言の圧力」があったことは明らかだ。すなわち無言であることが重要で、それゆえに「自分は何にも言っていない」と言えるのである。

 こうしてタリバンの親戚のようなひげをはやした次官は、嘘をつき通したまま高額の退職金を受け取って役所を辞めることになる。その結果は、弁慶の大往生よろしく最後まで義経を護り抜いたということで、あとは煤キが面倒を見てくれる。

 害務省も、あの次官は役所を護ってくれたという見方をしている。タリバンなれば表に出たがる女性を排除するのは当然のこと。じゃじゃ馬大臣がいなくなった今や、役所の顧問になったり、どこぞの大使になるとか、やりたい放題をやるに違いない。これで厄人たちは、ますます結束を固め、国益なんぞは放り出し、煤キをかついで省益と私利に走るだろう。ODA予算はさらに膨れ上がり、機密費や隠し金も復活するかもしれない。

 こうした結果から、濃墨内閣の支持率は今後下方へ向かうであろう。本来ならば、ここで棚架を残して、あとの2人だけを更迭すべきだった。首相もそうしたかったにちがいないが、どうしても自民党内部の爬屍喪吐や青飢のような反対勢力の言い分を呑まざるを得なかったとすれば、3人同時に更迭しておき、緒方女史が後任外相を断った時点で間髪を入れず、もう一度田中真紀子を再任するというウルトラCを考えてもよかったのではないか。

 そうすれば、あのハンセン病訴訟で国の控訴を断念したときのように、国民の鬱屈した気持ちは再び解き放たれ、やんやの喝采を受けて支持率は100%にも達し、構造改革が一気呵成に進んだであろう。惜しい機会を逸したものである。

(小言航兵衛、2002.2.1)

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