<私の本棚>

日本語の解釈 

 

『日本語のふしぎ』(中西進、小学館、2003年7月20日刊)は面白かった。言葉の効率を重んじる余り、明治このかた多くの和語を漢語に置き換え、漢字で書き記すようになったことから、日本語の語源もあいあまいになり、誤解を招くようになった。しかし著者の半世紀に及ぶ古代文学の研究による日本語の解釈を聞けば、古事記や万葉集などの論拠もあって、なるほどと納得することばかりである。

 め、みみ、はな、ひたい、ほほ、つめなどは何故そう呼ぶのか。まことに分かりやすい説明があって、おもしろい。

 たとえば、この「おもしろい」という言葉も、本来はどういう意味があるのか。「しる」は知るで、明白になること。それに「す」をつけると記す――すなわち目印をつけたり記録することになる。 このように、ものごとがはっきりし、明白になることの活用の違いから「しろ」が出てくる。それが明かなはっきりした色「白」になり、目の前がはっきりして明るくなるという意味で「おもしろい」という心の状態を示すようになった。

 一方で「しらき」とは色の白い木ではなく、加工していないままの木材をいう。とすれば、ここから先はこの本には書いてないが、「しろうと」の「しろ」も明るくて汚れのない状態を言うのであろう。その素のままの人が加工され、色がついてくると「くろうと」になるのではないか。白い人から黒い人への移行は、果たして良いことばかりだろうか。(念のために、白人とか黒人の話をしているわけではない)

 もう一つ、「やさしい」という言葉の本来は「やす」(痩す)、すなわち「やせる」だそうである。人に対したときに相手の人格がすぐれているときは、こちらの肩身がせまく、気がひけて、身の細る思いをする。そういう痩せるような気持ち、尊敬の気持ちをあらわすのが「やさし」である。

 したがって「地球にやさしい環境」といえば、尊重すべき地球に対して、こちらの身を律し、汚したり壊したりすることなく、清浄かつ正常な環境を維持することになる。

 とすれば「人にやさしい政治」とは何か。あとは私の解釈だが、国民に対して身の細るような政治をおこなうことである。逆に、わが身を肥やし、地元や身内の懐勘定ばかりしているような政治は「人にやさしい政治」とはいえないだろう。

(西川 渉、2003.8.15)

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