<ノーベル賞>

技術者のあり方

 

 田中耕一さんのノーベル賞受賞は日本中から好感をもって迎えられた。あれから1年が過ぎた今、改めて『生涯最高の失敗』(田中耕一著、朝日新聞社、2003年9月25日刊)を読むと、ほほえましい興奮の瞬間が想起され、どうかすると自分が賞を貰ったような気分にもなってくる。この人の人柄がそれだけ親近感をもたせるのであろう。

 受賞が決まつた日、前日にノーベル物理学賞が決まった小柴昌俊氏のニュースを見て「すごいな」と思いながら出勤する。夕方になって帰り支度をしているところへ外国から電話がかかってきて「コングラチュレーション」と言われる。何のことか分からぬまま、同僚の仕組んだ「びっくりカメラ」ではないかと想像しながら「ありがとう」といって電話を切る。

「それからが大変でした」。職場に50台以上ある電話がいっせいに鳴りはじめ、いったい何が起こったのか、わけのわからぬまま驚きと喜びの渦の中へ巻きこまれてゆく。あとは、よく知られているとおりだが、このあたりの物語は何度読んでも気持ちがいい。

 3年前だったか、イチローがメージャーリーグへ移った最初の年、あこがれのオールスターゲームを見たくて入場券を買っておいたところ、自分が第1位で選ばれてしまったと淡々と語っていたが、両者一脈通ずるような気がする。

 本書の中に、ノーベル博物館の館長が語る「個人が創造性を発揮するために重要な」要件が掲げてある。「勇気」「挑戟」「不屈の意志」「組み合わせ」「新たな視点」「遊ぴ心」「偶然」「努力」「瞬問的ひらめき」だそうである。

 この9項目を、田中さんは「ソフトレーザー脱離イオン化法」を発見した当時の自分に当てはめ、<私には、「挑戦」する「勇気」がありました。「不届の意志」もありました。二つの補助剤を「組み作わせ」て使うという「新たな視点」もありました。問違って混ぜてしまったものを、これでも使ってみるかという「遊ぴ心」もありました。問違えたのも、ある意味「偶然」ですし、失敗つづきでも「努力」しつづけました。混ざったものを使っててみようと思ったのも、なんらかの勘、「瞬間的ひらめき」がなかったとは言えません。……しかし、待てよ、よくよく考えると、これは、ふつうだれもが大なリ小なり持っている性質ばかりではないか>

 つまり独創性は、天才だけの特別なものではなくて、誰にでもあるのだという励ましの論理が展開されているのも嬉しい。


ノーベル賞メダル

 もうひとつ、本書を読んで感得できるのは研究者と技術者と利用者の関係である。研究者は関心のあることだけを象牙の塔にこもって研究する。技術者はひとりよがりの製品をつくる。利用者は使いにくいなと思いながらも、やむを得ず無理に使う。

 こういうバラバラな状態では立派な技術製品はできない。そうではなくて技術者は利用者の希望を聞き取りながら、その要望を満たすような製品を開発し、改良して行く。研究者は自分の研究成果を広く公開して、それを製品化してくれるような技術者や企業を探す。お互いに連動し合ってこそ、良いものができ、育って行くのである。

 航空機の開発も全く同じであろう。ほかにも本書には研究者や技術者にとって示唆に富んだ話が、ノーベル賞を貰った一見ふつうのエンジニアによって、興味深く語られていて面白い。

(西川 渉、2003.11.6)


田中耕一さん

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