ヤコブ・ニールセン氏が最近のホームページで『ニューヨーク・タイムズ』のことを書いている。その一つは、同氏のサイトがこの新聞紙上に紹介され、アクセス数が増加したというもの。
その記事(98年7月13日付)を読むと、ニールセン氏がペプシコーラとヒューレット・パッカードのウェブサイトを槍玉に上げている。青いグラフィックに奇妙なフォントを使った「ペプシ・ワールド」は、アクセスしてきた人を困惑させるばかりで、使い勝手が良くない。「ニールセンによれば、ウェブサイトは趣味や美学の問題ではなくて、科学の問題だという。……この10年間、ソフトウェアの技術者がやってきたことは、利用者にとって如何に使いやすいプログラムをつくるかということ」。それが、ここでは生かされていないというのである。
NYタイムズによれば、ニールセン氏のウェブサイトは昨年500万回のヒットがあった。そして約20万人の人が月2回ずつ掲載されるコラムを読んで、ウェブサイトを如何に利用しやすくするか、如何に容易に目的のサイトを見つけ、如何に便利に情報を取り出すかを考えてきた。「便利で使いやすいウェブサイト――インターネットのユーザビリティ(Usability:使い勝手)を最も強力に主張しているのがヤコブ・ニールセンなのだ」
サイトによっては、ダウンロードに時間がかかったり、構造が複雑だったりして目的が達成できないところが多い。しかし、それは「利用者が悪いのではなくて、サイトの設計者が悪いのだ」とニールセンはいう。彼自身トイザラスのサイトで長大なスクロールをして12頁もの画面をたどり、ようやくのことで縫いぐるみの象を買うことができた。これでは小さな子どもやその母親がインターネットで玩具を買うことはできないだろう。おそらく莫大な金額に相当するビジネス・チャンスを、トイザラスは失っているのである。
私もニールセンに指摘されたサイトへ飛んでみたが、確かにペプシはひどい。画面が汚いうえに、どこをどう押せば何が出てくるのか全く分からない。適当に何度かクリックしてみると、別の画面があらわれて子どもだましのようなチカチカ、キラキラした動きが見えるだけ。これでは赤ん坊だってあやされはしないだろう。そのうちに幽霊のような顔をした女が出てきたので、あわてて「戻る」のボタンを押したけれども、何度やっても同じ画面になって、もとに戻ることができない。このサイトは人を帰してくれない蟻地獄のような場所だったのである。
もう一つのヒューレット・パッカードは、ニールセンの評価とは逆に気持の良い場所であった。画面表示も早くて、ニールセンが「プリンターとその横に立っている人物を見るために何分も待たされるのは不可解」と苦言を呈した写真もなくなっていた。ニューヨーク・タイムズの記事が5か月近く前だから、その間に直したのであろう。
ニールセン氏の槍玉に上げられそうなサイトは日本の大企業にもしばしば見られる。最初の頁に社長の挨拶が写真入りで麗々しく掲げられているなどという構成は、インターネットの特性とは最も反対の極にある。社長の写真と毛筆の署名が画面にあらわれるのに長々とした時間がかかって、広報担当の社員とサイトの制作を請け負ったソフトハウスのお追従ぶりがうかがえる。
それに何のためのホームページなのか、意図不明なものが多い。単に社長の売名と企業の宣伝と社員の募集のことしか考えてないのではないか。
一方ニールセンのほめるサイトはアマゾン書店、ヤフー、アンカーデスク(ZDネット)など。画面表示に時間がかからず、必要な情報が簡潔な状態で取り出せて、内容(コンテンツ)が新しく、関連するところへは適切なリンクが張ってある。そのように「制作者の望むものを押しつける設計ではなく、利用者の欲する情報が見つけやすい設計にすべきだ」とニールセンはいう。
かくてニューヨーク・タイムズ(98年8月8日付)によれば、米国のインターネット利用者はウェブ・サイトの画面表示を待つために、年間24億時間を無駄にしていると報じている。この記事もなかなか面白い。家庭でインターネットを利用している人は1日平均9分、年間平均55時間をウェブ・ページの表示待ちに費やしている。言い換えれば、インターネット利用時間の26%が待ち時間である。これを全米4,310万人のインターネット利用者に掛けると、総計24億時間の待ちになるというのだ。
この待ち時間は単に無駄な時間というだけではない。利用者のストレスと頭痛の原因にもなっている。しかも、この状態は当分なおりそうもない。ウェブ・サイトの設計者も依頼者も、誰もがけばけばしいグラフィックを使った宣伝に力を入れているからだ。というのは彼らの頭の中にはテレビ画面がしみこんでいるためで、できるだけテレビ画面に近いものをつくろうとしているからである。
しかし実は「インターネット利用者が求めているのは、そうした表面的な見てくれではない。内容であり、画面表示のスピードである。そのことを設計者も依頼者も理解できないのだ」とニールセンはいう。「彼らはちょっとした写真を画面に挿入しては、利用者の貴重な時間を大量に奪っている」
もうひとつ、『ニューヨーク・タイムズ』のホームページは先頃まで有料だった。と思っていたのは私だけかもしれぬが、米国内の居住者は無料だったらしい。その結果どうなったかというと、ニールセン氏によれば、この2年半の間に無料の米国内利用者は400万人が読者として登録していたのに対し、有料の外国からは1万人しか登録していなかった。外国人の購読料は月間35ドルだったという。その差は余りに大きく、新聞社としては1998年7月から有料購読を諦め、無料で全世界にサイトを開放したのである。
私も最近ニューヨーク・タイムズが無料になったことを知って、ときどき見るようになった。ニューヨーク・タイムズが何故、外国人を閉め出していたのか分からぬが、一種の偏見でもあるのだろうか。
それはともかく、10月下旬のアメリカで私は本物のニューヨーク・タイムズ日曜版の中に"Eat the Rich"(金持ちを食え)という面白そうな本の書評を見つけた。空港の本屋で買おうと思ったが見つからず、そのまま帰国してしまった。そこでインターネットでアマゾン書店に注文を出そうと思いながら、もう一度、書評を探した。
すると再びニューヨーク・タイムズが出てきて、その書評の末尾に何と第1章へのリンクが張ってある。つまり本の第1章がインターネット上で直接読めるのである。同じように、ここでは書評で取り上げた多数の本について第1章を公開している。まことに太っ腹なことで、第1章を読んで、もっと先が読みたければ実際の本を買うという仕組みなのであろう。
余談ながら、私は平均して年間およそ300冊の本を買う。そのうち最後まで読むのは3分の1、半分以上読むけれども最後まで行きつけないのが3分の1、最初の部分だけで放り出すのが3分の1である。したがって日本にも同じようなサイトがあり、第1章だけでも読むことができれば、少なくとも3分の1は買わなくてすむ。そういう太っ腹な「第1章」サイトをつくってもらえないだろうか。
"Eat the Rich"――副題「愛、死、そして金」は現代人の3大関心事――も、じっくり読めば面白そうなのだが、なにしろ英語である。ダウンロードした第1章を、まだ読み終わることができないでいる。
(西川渉、98.12.6)
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