<西川修著作集>

この頃思うこと

 

 このごろ思うこと――歴史のある大変良い言葉です。奈良の大路を行交いした頃から日本人は同じ言葉を使っていたに違いありません。天の火もがも(後註)と妻ある男への思慕を心の限り歌い上げた万葉の歌人狭野の茅上の郎女(さののちがみのおとめ)に

  このごろは君を思ふと術もなき
  恋ひのみしつゝ哭(ね)のみしぞ泣く

という歌がありますから。

 大学間題にもいろいろの要素がありましょうが、中でも医学部に関係したものは根が深い。もともと百草を嘗め試みた神農の昔から医は人間生きるために必須のもので、優れた人はすべて医の道を心得、またすぐれた医術がすべての人に恵まれることが人々に渇望された。それに応えて時あって大医名手が現われると、彼は自ら国のくまぐまを経めぐってその術を施し人々を教うのは、真に自然なことだったのです。医術が特定の人にのみ許されるようなったのは、それなりの理由はあるにせよ、それ以外の人がこれに似たことを試みることが厳に咎められるというのは、医の自然な姿と離れている。特定の人のみが許されるということは許すものの権威を認めることです。権威あるものはいよいよそれを高く尊くするために、さまざまの規範を作り統制をきぴしくする。こうしていつの間にかでき上がった医の周辺にある十重二十重の枷、それこそが医学部を中心とする大学問題の基本でしょう。早い話が医学の発達が高らかに謳われながら、必ずしも多くの人々にその恩恵が均霑(きんてん)しないという事実、その一つだけでも直視しなければいけない……など心に浮ぶままいってみるが、さてそれから先の大切なことは甚だ漠然として、茅上の娘の思いのような確かさがないのです。

 給料が廉いなアと思うのも近ごろ心を離れないこと。常識的に今の物価を戦前の千倍と考えると、私が大学を出て数え年二十七歳の時に地方の精神病院に赴任した時の給料が正に現在のそれに匹敵する。青二才が四十年近くたって多勢の家族を擁するようになっても少しも昇給していないという理屈です。それでも病院の経営の中にまで入り込んでいると、今の医療費ではどうにもなるまいなどと考えてしまう。そうなれば開業の方がやはり良いのかと思ってもみるが、その開業もいつまで今のままの形でつづくのか心もとないことです。


神農(しんのう)
古代中国の伝説の皇帝。百草を嘗めて効能を確かめ、
諸人に医療と農耕の術を教えたという。

 もっと景気の良いことはないのかな――ありました。ありました。月旅行!これには驚きもしまた感服しました。年輩の方はその名をよく知っておられると思うのですが、原田三夫という人があります。この人、科学知識の普及啓蒙を己の使命として来たのですか、狷介で人を容れないところもあったのでしょうか、大正十年ごろ科学知識という雑誌の創刊に関係し、それがどうやら軌道に乗ったところで飛び出し、大正十二年春今度は科学画報というのを創刊、東京大震災の苦難をのり越えてひと先ず落ち着いたところで、またまたその編集を投げ出して今度は「子供の科学」というのをはじめた。それが大正十三年秋だったと思いますが、その創刊号が中秋の話題として特集記事で取り上げたのが月旅行のことだったのです。

 その時の解説は、旅行の手段として全く今回と同じく数段のロケットを発射して地球の引力圏を飛び出して月の引力圏に入ることが可能で、月旅行はこのようにして行なうという詳しい話がありました。ただ残念なことに、当時はそれができるようなロケヅトの燃料がない、そのため必要な速度が得られないということだったのです。五十年に近い歳月の隔たりがあるにせよ、その記事の通りに実現したというのは全く敬服しました。月から見た地球は、蒼く大きく輝いているだろう、また地球は月の空の一点にかかって勤かないだろうという記事もあって、そういうことは容易に推理できることではあろうけれども、それでも実際に行った結果、全くその通りだったと確かめられたのは何とも素晴らしい。


蒼い地球

 空飛ぶ話の子どものころの思い出は大人気ない。大地についた話にしましょう。四十一年の夏、雑木の丘の起伏する荒れ地を切り開いてできた造成団地、名ぱかり見事な森林都市というのに小屋を建てて住みつきましたが、はじめは植木屋仲間でも、あの団地は土地が悪いからといって相手にしないのがあったくらいの固い山土で、何を植えてもパッとしなかったのに、不思議なものです。三年余を経過してみると、はじめは成育の危まれた泰山木、桜、つつじ、山茶花等が追々成長し、入居した年の冬に植えて毎年ほんのニ枝か三枝しか花をつけなかった金木犀が、今年の秋はじめて全樹橙黄色の花が咲き満ち甘い香をふりまき、また毎年見るかげもなく落葉したドウダソツツジもこの秋は見事に紅葉、濃紅の燃え立つような色に染ったのも三年という年月のたまものか。一向に実をつけなかったウメモドキも今年は真紅の実を一杯につけて冬の庭を飾る宝石のようです。時が樹と土との間の調和をもたらすのでしょう。自然の中にある「おきて」のようなものが感じ取られるようです。

 もう一つは樹木の持つ生命力の強さ。近くの山から掘り取って来たカクレミノの小さな株がだんだん大きくなって、花壇のいろいろな花木の邪魔になるので、また掘り上げて庭の隅に移したのが今年の一月でした。

 僅かの年月の間に四方に拡がっていた太い根の大部分を切ってしまったためか、だんだん弱って来て、葉が黒ずみ、そのうちに徽でも生えたようになって、散って行く。幹は白っぽく粉を吹いて生気がなく、枝のあちらこちらに汚いやにが出て来る。その上に蜘蛛が巣をかけるので、全く枯れたようになりました。山が残っていた当時の記念だったのに惜しいことをしたとは思ったものの、何しろ掘りとって来たものだからと諦めていたところ、六月も過ぎるころ小さな芽が顔を出し、少しづつ新葉が現われ、前の樹容には及ばぬまでも、今は立派なカクレミノになっているのです。

 自然をよくよく見つめたい――これがこのごろ思うことでしょうか。


ドウダンツツジ

【註】万葉集巻十五

  君が行く道の長道(ながて)を繰りたゝね
  焼きほろぼさむ天の火もがも

(西川 修、めんたるへるす、1969年12月)


カクレミノ

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