<防衛省シンポジウム>

オスプレイの日本配備を考える

 

 

 去る8月29日、防衛省主催のオスプレイに関するシンポジウムが開催された。何故か筆者もパネリストとして招かれ、以下のような発言をする機会が与えられた。

 ただし、その直後から病いを得て入院していたため、本頁の更新ができなかったが、ここに1ヵ月遅れながら、発言要旨を残しておきたい。

 

 オスプレイは航空機の分類上ティルトローター機の一種である。ティルトローターはヘリコプターの垂直飛行特性と飛行機の長距離高速飛行特性の両方を兼ねそなえた理想の航空機といってよいであろう。 

 

 この理想を現実のものにするため、米ベル・ヘリコプター社は半世紀以上も前からティルトローターの研究開発を進めてきた。最初の実験機XV-3 は1955年8月11日に初飛行したが、このプロジェクトはベル社のみならず、アメリカ軍やNASAも参加して費用の一部を負担しながら、ほぼ20年にわたって続けられた。

 その結果を踏まえて次世代の実験機XV-15 が試作され、1977年5月3日に初飛行。1979年4月23日には2号機も飛行し、以後10年ほど試験飛行がつづけられた。

 その開発実験からV-22オスプレイが誕生、原型1号機は1989年3月19日に初飛行した。  

 

 ティルトローターの開発が進むにつれて、民間航空界でもこれを旅客機として使う構想が出てきた。ニューヨーク・ニュージャージ港湾局はマンハッタンにヴァーティポートを整備、近隣都市への旅客輸送を考えた。その可能性について調査検討の結果が上図右側の報告書である。1992年に出たものだが、その頃われわれも日本国内で東京から成田空港へのヘリコプター路線を考え、将来はティルトローター路線もめざしていたので、時どき港湾局を訪ね、彼らの計画の進捗状況をウォッチしていた。

 

 同じような計画はダラスにもあって、実際に市内コンベンション・センターに隣接する駐車ビル屋上に大きなヴァーティポートが建設された。ここも何度か見に行ったが、将来に向かっては上図左側に見られるように増築を重ね、いずれは滑走路も設けてティルトローター機の滑走離着陸を可能にするというテキサスらしい壮大な計画だった。今も普通の都市ヘリポートとして使われている。

 

 ティルトローター機は大災害が起こった場合の救援活動にも有効な働きをする。そのための方法をまとめたのが上図左側の米連邦航空局(FAA)の手引き書で、1998年に公刊された。つまり、ティルトローター機は軍用機や旅客機ばかりでなく、さまざまな用途に使うことができる。

 

 ところが、オスプレイは開発の途中で3件の死亡事故が起こす。うち2件は2000年に発生、多数の兵員が死亡したため、いったん飛行を停止、設計の見直しと試験飛行のやり直しがおこなわれた。特殊な航空機であるだけによく目立って、一時は開発断念の声も聞かれた。

 しかし設計の見直しと再評価試験の結果、2003年から実用配備が始まり、2005年からは中東にも派遣されたが、目立った事故もなく順調な飛行が続いた。

 米海兵隊の運用する航空機の事故率は上表のとおりで、オスプレイの方がヘリコプターよりも低いくらいである。こうした中で海兵隊は、運用開始から50年を経た老朽機CH-46 ヘリコプターの後継機として、オスプレイの沖縄配備を決めた。しかし虚言ばかりの鳩山政権以来、急にやかましくなった米軍基地反対のトバッチリはオスプレイ反対にまで拡大した。

 

 そこで、オスプレイの普天間基地配備が受け入れられないのであれば、次の3点を提言したい。

 第1に、これを陸上基地ではなくて海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦、いわゆる「ヘリ空母」に搭載し、海の上を基地とする。現存するヘリ空母は「ひうが」と「いせ」の2艦だが、いずれ3号艦も計画中と聞く。

 次に、これらのヘリ空母を尖閣諸島周辺に遊弋させ、ときには竹島海域にも至る海上警備行動にあてる。そして第3に、米海兵隊はオスプレイの低空飛行訓練を日本列島に沿っておこなう計画のようだが、この訓練を尖閣諸島や竹島の起伏を利用して、その上空で実施する。こうした一連の警備行動、訓練活動によって、尖閣問題や竹島問題など、今の中国や韓国との紛争についても相当な抑止力になるであろう。

 繰り返しになるが、オスプレイの基地を海上に置くことによって、沖縄の今の基地問題――すなわち基地周辺の安全と騒音の問題が解消され、一方で周辺国との間でくすぶり始めた領土問題も抑えることができる。つまり国内と国外の両方をにらんだ一石二鳥の効果が期待できるのではないだろうか。  

 (西川 渉、2012.9.27)

 


「朝雲新聞」、2012年9月6日付

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