<オスプレイ>

モロッコ事故報告書を読む

 

 

 去る8月半ば、アメリカ国防総省が軍用ティルトローター機オスプレイの事故報告書を公表した。今春モロッコで発生した海兵隊MV-22Bの墜落事故に関するもので、その翌日NHK報道部から、それを読んで感想を聞かせてほしいという依頼の電話があった。

 なるほど、国防省のサイトにアクセスしてみると、それらしい文書がある。表題は「2012年4月11日モロッコのカプ・ドラーで墜落したMV-22Bの事故に関する事実および状況の調査」というもの。早速ダウンロードしてプリントしてみるとA4版で27頁の英文。初めて見るような軍隊用語、それも頭文字だけの略語が説明のないまま使ってあったりして、細かく読みこんでいくには相当な時間がかかりそうだが、斜め読みですませるわけにはいかない。辞書を片手にメモを取りながら、頁をめくっていった。その結果は、以下の通りである。

母艦イオージマから現場へ

 この日の事故機の任務は、モロッコ南部のタンタンにある基地から北へ50qほどのカプ・ドラー付近の基地へ、海兵隊3個小隊を1個小隊ずつ3往復で輸送するというもの。1個小隊は兵員12名。2度目の輸送を終わってドラーで12名を降ろし、タンタンの基地へ戻るために離陸した直後、事故は起こった。

 事故発生の時刻はグリニッチ標準時(GMT)の15:53時。モロッコは西経10°付近にあって、その時刻はGMTと変わらない。

 乗っていたのは海兵隊員を降ろした後だったので、操縦士2名とキャビン・クルー2名。うちキャビン・クルー2名が死亡した。操縦士2名の飛行経験が何時間であったか、ここには書いてない。別の参照文献にあるようだが、探しても見つからなかった。あとで聞いたところでは、プライバシーに関することなので公表しないのだという。

 事故機は2011年7月、製造後4,024時間でフェーズCの大整備を受けた。その後、事故までの9ヵ月間に717時間の飛行をしている。したがって機体の総飛行時間は4,700時間余り。エンジンは片方の運転時間が1,236時間、もう片方が722時間。つまり機体もエンジンも決して古いとはいえない。

 事故機はヘリコプター揚陸艦「イオージマ」を拠点としていた。その作戦準備室で午前8時半、当日の任務に関するブリーフィングがおこなわれた。そこには事故機の乗員2人も出席していたが、両名ともに前の晩はよく眠り、当日朝6時に起床した。事故につながるような身体の異常は感じられなかった。

 事故機は、朝のブリーフィングでは午後3時にイオージマを飛び立つことになっていた。実際は、それよりやや早く準備を終わり、タンタンへ向かって出発した。3回の輸送任務を終えて、母艦へ戻るのは午後5時半の予定である。

ホバリング旋回で背風へ

 タンタンに到着したオスプレイは最初の小隊を乗せてカプ・ドラーへ飛んだ。着陸したのは124m×150mのかなり広い場所で、そこから200mほど離れたところは大西洋に面した崖になっていた。崖の高さは海面から47m。海風の強い日は、この崖のために乱気流の起こる可能性があった。

 1回目の往復輸送は何事もなく行われた。着陸進入は海に向かっておこなわれた。着陸地点の近くには、前方1時の方向に大型車両が停まっていて、10時の方向にテントがあり大勢の人がいた。そのため機体は離陸すると180°のホバリング旋回をして、進入してきた方角へ向かって離脱した。この1回目の発着は機長による操縦であった。

 続いて2度目。操縦桿を握るのは副操縦士に代わっていた。事故機は15:50時頃、前と同じように着陸し、海兵隊員12名を降ろした。そして1回目と同じように離陸し、地上6mまで真っ直ぐ上昇、副操縦士が右ペダルを踏みこんで右回りのホバリング旋回に移った。この直前、フライト・レコーダー(FDR)は25ノットの前進速度を記録していたが、ビデオ映像では前進していない。ということは前方、つまり海の方から25ノット(秒速13m)の風が吹いていたものと推定される。

 その風に背を向けるようにして旋回した機体は、FDRやビデオの記録から見て、150〜210°の背風を受けつつホバリング旋回を終わった。この時の高度は地上14m。機首は5°下がっていた。

 そこまでのホバリング旋回中、事故機は75°くらい回頭したところで機首が下がり始め、そのまま下がり続けた。そのことを機長は気づいていたが、注意することなく、副操縦士も機首を水平に戻すための修正操作はしなかった。

 そして旋回が終わるや、そこでいったん動きを止めて姿勢を戻すことなく、そのまま遷移飛行に入ろうとして、エンジン・ナセルの角度を3秒間で87°から71°まで傾けた。

 ナセルが前方へ傾くと、重心位置が前方へ移動して機首が下がる傾向になる。しかも追い風のために水平尾翼が押し上げられ、機体は前のめりのような格好になった。そんなときフライト・マニュアルによれば、パイロットは操縦桿を引いて、機体の姿勢を水平に保持しなければならない。しかし、このときの事故機は操縦桿に大きな力がかかって、引き戻すことができなかった。機首が下がり、ナセルが前傾し、重心位置が前方へ移動し、背風を受けていたからであろう。

 そこでパイロットは操縦桿を左へ倒し、それから手前に引いたが反応がなく、操縦桿は手応えのないまま後方一杯に詰まってしまい、それ以上引くことができなくなった。本来ならばナセルを後方へ戻すべきであったが、操縦不能となった機は前のめりとなって、45〜60°の角度で地面に突っ込んだ。離陸から15秒ほど後である。これではナセルを真っ直ぐ立てる暇もない。時刻は15:53時頃であった。

事故原因は乗員の判断ミス

 事故発生の当時、風は15〜27ノット(秒速8〜14m)で、事故を惹き起こす要因の一つと見なし得る。特に海から崖にぶつかって巻き上がってくる乱気流も見逃すことはできない。こうした風の状態を、パイロットたちが充分に見極めないまま離陸したことが事故要因のひとつである。その風の中で、副操縦士はホバリング旋回をして背風の中に入った。しかも旋回中の機首下げを修正しなかった。旋回中の姿勢保持と、10秒以上の背風を避けなければならないことはマニュアルにも書いてある。

 さらに前進速度がないばかりか、背風を受けているにもかかわらず、エンジン・ナセルを前傾しすぎた。遷移飛行の安全限界を超えてしまったのである。

 つまり事故報告書は、モロッコにおけるオスプレイの事故は、気象条件の判断ミスと機体の姿勢を修正しなかった操縦ミスが原因という結論になっている。その上で、操縦操作の安全の限界をもっと明確にマニュアルに書き込むよう勧告している。

 以上が報告書の概要だが、筆者の感想を付け加えるならば、パイロットたちは風向きを意識していなかったのか。いや、当然意識していただろうが、背風になってもたいしたことはないと思っていたのかもしれない。そもそも1回目の機長の離陸操作では何事もなかったので、副操縦士もそれにならったのであろう。それにしても、離着陸時の風向風速は、別にオスプレイでなくとも、パイロットの注意を惹く最も基本的な問題である。それがいい加減になってしまった。だからこそ事故に至ったのである。

 もう一つ、事故報告書にはオスプレイがエンジン・ナセルを前傾させると、機体の姿勢が前に下がると書いてある。特に今回は前進速度の低いままナセルを前傾させてしまい、それが重要な事故原因になったらしい。とすれば、それらの傾向をフライ・バイ・ワイアの操縦系統、もしくは自動操縦装置や自動安定装置などのコンピューターソフトに組み込んで、人間が意識して操作しなくても、自動的に修正したり、制限したりすることはできないのだろうか。

 この疑問に対して、海兵隊当局は、基本的にはすべてコンピューターによって操縦操作を支援し、制限を加えるようにしてある。しかしエンジン・ナセルを低速で前傾させる問題については、滑走離着陸をおこなう場合、前進速度が40ノット以下であってもナセルを60〜75°まで傾ける必要があり、これを制限することはできない。フライト・マニュアルで禁止するほかはないと説明している。

 さらにマニュアルでは、ホバリングから前進飛行に移る際、速度40ノットに達するまでは、ナセルを75°以上に立てておくよう指示している。今回の事故原因は、この制限を超えたのであった。

日米両政府に3つの提言

 ところで、このようなオスプレイは危険であるとして、沖縄配備に反対する声が日本中で鳴り響いている。今年になって、前述の事故に続いて6月13日フロリダでも米空軍のCV-22が事故を起こした。幸い死者は出なかったものの、反対論はますます強まっている。

 そこで筆者としては当面、日米双方の政府に対し、次の3点を提案したい。第1は、陸上基地の代わりに海上基地を提供する。つまりオスプレイを無理に普天間基地などへ持っていくのではなく、しばらくの間は海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦、いわゆる「ヘリ空母」に搭載する。そうすれば、陸上基地周辺の安全問題や騒音問題が避けられる。

 次に、このオスプレイ搭載のヘリ空母を尖閣諸島周辺に遊弋させ、時には竹島海域にも至るといった海上警備に当てる。あるいは、海自の現有2隻のヘリ搭載護衛艦に分けて,尖閣と竹島の両海域に分散配置する。

 そして第3に、米海兵隊の計画している日本列島沿いの低空飛行訓練を、尖閣諸島や竹島の起伏を利用して、その上空で実施する。

 ……こんな非現実的な提案なぞ、大方の人は「冗談じゃない」と思うだろう。たしかに冗談半分ではある。しかし半分は冗談だが、あとの半分は本気である。瓢箪から駒が出る如く冗談から駿馬が飛び出すかもしれない。すなわちオスプレイの飛行が実現するわけだが、その日本配備をめぐって対立する人びとの心が、このような冗談によっていくらかでも溶けて、新たな解決策が生まれることを期待したい。

【追記】この報告書に関する感想は、8月19日午後7時のNHKテレビ・ニュースで短く放送された。

(西川 渉、航空情報2012年11月号掲載)

 

 

 

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