<20年前を振り返る>

ティルトローター機の民間活用構想

 

 去る8月末、防衛省の主催により、オスプレイに関するシンポジウムが開かれた。何故か筆者もパネリストのひとりとして招かれ、発言の機会を与えられた。その席上、ティルトローター機は日本のマスコミが騒ぎ立てるほど危険な航空機ではない。かつては軍用に限らず、旅客輸送に使う構想もあったくらいという話をしたところ、それを聴いておられた月刊「エアワールド」誌の竹内修編集長から、その頃の民間構想を書いて欲しいというご依頼をいただいた。大方の読者からは筆者の時代錯誤(アナクロニズム)を嗤われそうだが、勇を鼓して往時を振り返ることとしたい。

「ロータークラフト・マスタープラン」

 V-22オスプレイは、いうまでもなく、ティルトローター機の一種である。ティルトローターはヘリコプターの垂直飛行特性と飛行機の長距離高速特性の両方を兼ねそなえた理想の航空機といってよい。その理想を現実のものとするため、米ベル・ヘリコプター社は半世紀余の昔からティルトローターの研究開発を進めてきた。最初の実験機XV-3は1955年8月11日に初飛行したが、このプロジェクトはベル社のみならず、米国防省やNASAも参加して費用の一部を負担しながら、ほぼ20年にわたって続けられた。

 その結果を踏まえて次世代の実験機XV-15が試作され、1977年5月3日に初飛行した。2年後には2号機も飛び、以後10年ほど試験飛行がつづいた。その開発実験からV-22オスプレイが誕生し、原型1号機は1989年3月19日に初飛行する。

 こうしてティルトローターの開発が進んでくると、民間航空界でも旅客輸送に使いたいという構想が出てきた。その基本計画が米運輸省の「ロータークラフト・マスタープラン」である。初めて発表されたのは1983年2月。全米の航空交通システムの中にヘリコプターを組みこんでゆくのが目的だったが、90年11月ティルトローター旅客機を加えた改訂版が公表された。

 その背景には、当時のアメリカで航空旅客需要が急速に伸び、90年代末頃には全米各地の主要空港34ヵ所が行き詰まるという予測があった。といって、大都市周辺に新しい空港をつくったり、既存空港を拡張して滑走路を増設したり延長したりするのは、国土の広いアメリカといえども簡単ではない。しかも大空港で発着している航空機のほぼ7割が800km以下の近距離便である。

 とすれば、大空港の飽和問題を解決できるのはロータークラフトしかない。なかんずくティルトローター機は最適の手段という認識がふくらんできた。

 そこで運輸省は、マスタープラン推進のために国防省と協定を結び、オスプレイの開発作業に参加して、そこから得られた試験データを使えるような態勢をととのた。同時に新しい民間向けティルトローター機(CTR:Civil Tiltrotor)の開発を航空機メーカーに呼びかけることとした。


ヴァーティポート

全米にヴァーティポートを整備

 こうしたマスタープランの具体的な作業手順の中から、ティルトローターに関する部分を見てゆくと、1991年にCTR実験運航のための地域と経路を選定する。92年にはヴァーティポートを整備する費用を予算化し、CTRパイロットの資格要件を策定することとなっている。

 ここでいう「ヴァーティポート」とは、CTRを主な対象とする発着場で、ふつうのヘリポートよりもひと回り大きく、旅客ターミナルを初め、手荷物の処理、航空管制、気象情報、燃料補給、整備施設、駐車場、レンタカーなどをそなえた空港施設をいう。

 このような計画を受けて、たとえばニューヨーク・ニュージャージ港湾局はマンハッタンの西30丁目付近で、ハドソン川に張り出した桟橋を利用してヴァーティポートをつくる計画を考えた。そうすればニューヨークから370〜800kmくらいの範囲に向かう旅客は、わざわざケネディ空港やニューアーク空港まで行かなくとも、CTRを利用して直接目的地へ飛ぶことができる。

 同じようにテキサス州ダラスでも、市内コンベンション・センターに隣接する駐車ビル屋上にヴァーティポートをつくることとした。この計画は直ちに実行され、早くも92年春、第1段階の施設が完成する。将来的には、駐車ビルを次々と増築し、その屋上をつないで滑走路もそなえたヴァーティポートにする計画だった。さらにボストンやサンフランシスコでも同じような計画が立案され、近距離航空路線にCTRを飛ばす予定であった。

 マスタープランに戻ると、1994年にはV-22オスプレイに民間型式証明を交付し、実験運航を開始する。一方で、初めから民間利用を目的とした新しいティルトローター旅客機を開発し、1996年に型式証明を交付する。そして97年から定期運航を開始、2000年までに全米100ヵ所にヴァーティポートを整備、2010年までにこれを500ヵ所に増やし、地域航空をティルトローターに置き換えてゆくというのがロータークラフト・マスタープランの壮大な計画である。


米運輸省が1990年11月に公表した「ロータークラフト・マスタープラン」より
ティルトローターに関する計画を抽出

ティルトローター旅客機の開発

 それに呼応して、欧米の航空機メーカーからは、さまざまなティルトローター開発計画が提案された。

 ベル社とボーイング社からは共同で、V-22オスプレイを基本とする民間型CTR-22の開発計画が示された。V-22の動力系統や機体構造をほとんどそのまま利用し、胴体後部のランプドアをなくし、旅客機としての内装や乗降ドア、窓などを取りつける。ただし、エンジンの片方が止まったときのホバリング能力を高めるためにトランスミッションの出力を強化してCTR-22Bとする。客席は31席で、手洗い、ギャレー、手荷物室がつく。航続距離は1,100km。

 このCTR-22Bの胴体を延ばして、旅客39人乗りとするのがCTR-22C。さらに胴体を大きくして、客席配置を左右3列から4列に増やし、エンジン出力を15%ほど上げるのが52人乗りのCTR-22D。その一方で、V-22を基本としない75人乗りのCTR-7500といった新しい構想も生まれた。

 シコルスキー社は、ローター直径を変更できるティルトローターを発案した。離陸時は直径の大きなローターを立てて、ヘリコプターのように飛び上がり、遷移飛行に入るとローターを前方へ倒しながらブレードを少しずつ短縮し、3分の2以下の直径で巡航飛行に移るというもの。

 これにより垂直飛行時は大直径のローター能力を発揮すると共に、巡航中はローター直径を小さくして普通の飛行機と同じように高速で回転するプロペラとなり、飛行速度も増加する。これでペイロードが増し、航続距離も伸びて、経済性も向上するというのが、シコルスキー社の主張であった。

 ちなみに、ティルトローター機はオスプレイも含めて、離着陸時の揚力をローターが担うため、主翼スパンが短くてすみ、それだけでも速度性能が良くなる。

 一方ヨーロッパからも「ユーロファー」と呼ぶティルトローターが提案された。フランス・アエロスパシアル社、ドイツMBB社、英ウェストランド社の共同提案になるもので、このうち仏・独の2社はその後まもなく合併してユーロコプター社となる。

 ユーロファー(Eurofar)とは European Future Advanced Rotorcraft の略。旅客30人乗り、巡航速度620q/h、航続1,100kmの設計仕様で、エンジンは主翼両端に固定したままとし、ローターマストだけが変向する。これにより、エンジンは常に水平姿勢を保つことができるため、既存のものであっても大きな改造は必要としない。それだけエンジン選択の幅が広がるという特徴をもつ。

 こうしたユーロファーは20世紀末までに初飛行し、試験飛行を重ねて、2004年から量産機の製造に着手、2009年までに民間機としての型式証明を取得する。将来に向かっては、50席、75席などの大型ユーロファー構想もあった。 


ティルトローター大型旅客機

ティルトローターの経済性

 次の問題は、ティルトローターの経済性である。上のようなマスタープランによって地上施設が整備され、航空機が開発されたとしても、果たして経済的に成り立つのか。旅客は乗ってくれるのであろうか。

 この問題に対しては、ボーイング社とベル社が共同で調査研究の結果を明らかにしている。ひとつは利用者の時間節約という観点から考えた場合、むろん今から20年前のアメリカの実態だが、1,100kmの区間を飛ぶ乗客は旅行時間の半分を地上で過ごしている。自宅や勤務先から空港へゆくまでの時間がかかるからで、これが320kmの近距離区間になると地上時間の割合がもっと増えて、実際に飛行機に乗って飛んでいる時間は3割にすぎない。そこで近距離の飛行にはティルトローター機を使うことにすれば、空港との往復に使う時間や交通費などがかからなくなり、時間も経費も節約される。

 さらに両社は、具体的に二つの都市間を旅行する事例について、シミュレーションをしている。旅行手段は高速鉄道、ジェット旅客機、ティルトローターの3種類。その中から、旅行者は運賃の多寡によってどれを選ぶだろうか。

 たとえばジェットの運賃を100%として、ティルトローターが125%、鉄道が70%とすれば、ティルトローターの乗客は全旅行者の1割くらいにしかならない。けれども、3者の運賃が同じならば、ティルトローターの乗客が圧倒的に多くなる。また鉄道とジェットの運賃が同じで、ティルトローターだけが25%増とすれば、近距離区間で鉄道が強く、遠距離でジェットが強いが、350〜500km区間ではティルトローターの乗客が最も多くなる。

 このシミュレーションの結論に至るまで、ボーイング社はさまざまな事例を想定し、運賃の差異と区間距離を変えながら膨大な計算をしている。その結果、ティルトローターが旅客機として成立するには、運賃が高速鉄道やジェット旅客機の125%以内に収まることが必要。メーカーとしては、その程度のコストで収まるようなティルトローター機を開発しなければならない。そうすれば、ティルトローター機は将来の旅客輸送に使えることとなる。

ティルトローターの夢と希望

 以上は1990年前後の話である。当時、筆者の勤務先では、東京都内から成田空港へのヘリコプター定期便を計画し、前段階として1988年羽田〜成田間のヘリコプター便を開始した。これを、いずれは都心部からも飛ばし、将来はもっと広範囲にわたってティルトローターによる地域航空を展開する。そして日航、全日空に次いで、わが国第3の航空会社をめざすという野心満々の構想を温めていた。

 そのため、しばしばニューヨーク港湾局やダラス・ヴァーティポートを訪ね、計画の進捗状況をウォッチしていた。一方で、メーカーにも行き、ティルトローター機の開発や試験飛行のもようを見せて貰ったものである。

 これらの計画がアメリカでも日本でも、いつの間にか消えていったのは、多くの要因があったはずだが、やはり経済性の問題が最大の壁だったであろう。今の日本でオスプレイに向かってぶつけられるような「危険物」扱いはどこにもなかった。「いつ頭の上に落ちてくるかもしれない」といった心配は、まさしく杞憂というべきである。

 その杞憂をはねのけるかのように、今イタリアから新しいティルトローターが生まれようとしている。試験飛行が進むアグスタウェストランドAW609だが、2016年には乗客9人乗りの民間機として型式証明を取り、実用段階に入ることをめざしている。

 これを端緒として、民間航空分野にも再びティルトローター構想がよみがえり、実際に旅客を乗せて飛ぶようになることを期待したい。

(西川 渉、月刊『エアワールド』誌2013年1月号掲載)

 


「朝雲新聞」、2012年9月6日付

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