<パリ航空ショー>

エアバス対ボーイング

 

 今年のパリ航空ショーでは、いつものことながら、ボーイング対エアバスの競争心むき出しの宣伝合戦が演じられた。

 両者それぞれに、あらかじめ約束してあったエアラインをルブールジェの会場に招き、記者団の前で旅客機の発注契約書の調印式をしてみせる。そして50機受注とか100機受注といった景気の良い発表をする。あるいは、現在開発中の新機種や改良計画の発表をする。座席数が増えたとか、航続距離が伸びたとか、燃費が良くなったとか、安全性が増したとかの詳しい説明をするといった具合。 

 筆者も昔は、むろん会社勤務を辞めたあとのことだが、よくパリやファーンボロに出かけて行って、これらの記者会見を聞いたものである。そこで面白いのは、新しい情報が得られるだけでなく、暗に競争相手を意識した発言が飛び出すことであった。

 あるとき、エアバスの会見が少し長引いたことがある。それが終わって、会見場の外に出ると、ボーイングのトップたちが外で待っていて、係員に対し、もう時間じゃないか、エアバスがわざと会見を延ばしたのではないかといった文句をつけているのを見かけた。

 今年のパリ航空ショーは、どんな雰囲気だったか不明だが、インターネットやメールで送られてくるニュースを見る限り、互いに激しい競争があったように感じられる。

 結果として、まだ会期のなかばだが、ここまでの受注内容は、ボーイング旅客機が331機で502億ドル相当。それに対し、エアバス社は受注421機で570億ドル相当と発表し、わが方の勝ちと勝利宣言をしたところである。

 もっとも、これらの受注数は正式発注や仮発注が入り混じっているので、本当の勝敗はよく分からない。

 そこで思い出したのは今から18年ほど前、1997年1月1日発行のアスキー出版局『マルチメディア航空機図鑑』に、ボーイング対エアバスの競争について書いたことがある。ここに、それを記録しておきたい。

論争のタネは尽きまじ

「うちの方はあちらさんより航続距離が長い」
「向こうは機種が多いけれど、座席数の範囲がせまい。125席から350席までしかない」
「いくら座席が多くても、3席横並びの奥の席はまるでプリズナーズ・シート(囚人席)だ。うちの飛行機にあんなものはない」
「何をおっしゃる。左右5列の真ん中の席は、トイレに立つたびに2回ずつエクスキューズ・ミーを言わなきやならん」

「こちらは、パイロットの操縦資格がほとんど共通だ。1機種に熟達すれば、ほかの機種にもわずかな訓練で乗り移ることができる」
「こっちだって操縦そのものがやさしいから、パイロットの拡張訓練に要する時問は向こうの半分。こちらの機長が向こうの飛行機に乗ろうとすると訓練に1ヵ月かかるが、向こうの機長がこちらの飛行機に乗るには半月で資格が取れる。買い換えるには便利ですよ」

 これらのやりとりは、最近のパリやファーンボロの航空ショーで聞かれたボーイングとエアバスの主張である。どの言葉がどちらの言い分であるかはともかく、双方の応酬は今や両社長が先頭に立ち、航空ショーの名物にもなってしまった。

 ときにはショーに展示した旅客機の中に、わざわざベニア板で囲いをして、相手方のキャビンはここまでしかないとやって見せる。かと思うと、向こうのキャビンは真ん中に立つと、両側の手荷物入れ開けたとき窓の外が見えなくなると反論する。何も頭上の手物入れを降ろしたまま、ということは、まだ離陸前であろうから外の景色を見る必要もないとは思うが、こじつけだろうと何だろうと、あらゆることが論争のタネになるのである。

 もう何年も前のこと、ボーイング社が「エアバス機の開発には政府資金が出ているから不公正だ」とクレームをつけたことがある。エアバス側は直ちに「ボーイングだって、政府の費用で聞発した軍用機の技術を流用しているじゃないか」と反論した。これで日米貿易摩擦のような問題になるかと思ったが、政府どうしの交渉にまでは至らなかった。

 激しい言葉づかいの割には、どこかさっぱりしていて、ゲームを楽しんでいるふうにも感じられる。


編隊飛行を見せるエアバス3機種

繰り返される攻撃と反撃

 しかし技術開発とか販売の実務面では、そうはいかない。企業の浮沈がかかっているからだ。ボーイング社とエアバス社は、片やアメリカを代表し、片やヨーロッパを代表する。その大型ジェット旅客機には最新の航空技術と電子技術、もしくはコンピューター技術を採り入れ、すぐれた飛行性能はもとより、快適な乗り心地と容易な操縦性を誇るものばかり。購入するエアラインにとっても、利用する乗客にとっても魅力的な機材が多い。

 ボーイング社は戦前からの歴史と伝統を誇る。ジェット旅客機に関しても、最も早い時期に開発を手がけ、最初の707が定期路線に就航したのは1950年代。イギリスではデハビランド・コメットが飛び、ソ連ではジェット爆撃機を改造したツポレフTu-104が開発された頃である。同じ頃アメリカからはダグラスDC-8も多くのエアラインに就航した。

 やがて1960年代、ボーイング727やDC-9など第2世代のジェット旅客機が登場した。いずれもターボファン・エンジンをそなえた高性能機である。そして70年代、いよいよ第3世代のボーイング747ジャンボ機(400席)が出現する。追っかけるようにして同じアメリカからDC-10(300席)やロッキードL-1011トライスター(300席)といったワイドボディ機も誕生した。

 欧州エアバス・インダストリー社は、そうした強大なアメリカ勢に対抗して、欧州各国のメーカーが政府の支援を受けながら結集したコンソシアム(共同企業体)であった。ヨーロッパのブライドがアメリカの独走を詐せなかったのである。

 開発目標はワイドボディ機。座席数は標準250席で、アメリカ勢よりもやや小さいが、欧州圏内の定期路線に適した設計をめざした。そのせいか、最初のA300Bはアメリカの3大メーカーに押されぎみで、特に米国内ではなかなか買い手がつかなかった。

 しかしエアバス社は1977年、捨て身の作戦に出る。米イースタン航空に1機を半年間無料リースすることによって突破口を開いたのだ。これには航空界も驚いたが、その思い切った賭が功を奏して、イースタン航空から23機の注文を獲得、評価も高まって1979年春までに総受注数は132機に達した。1974年5月パリ〜ロンドン間に初めて就航してから5年ぶりのことである。

 以後A300は、胴体を延ばして座席数を増やしたA330や、長航続性能をもたせた4発型のA340へ発展、ボーイング747の牙城に追る勢いを見せた。しかしボーイングも黙ってはいない。エアバス社が4発でくるなら、逆に双発で反撃しようというので、80年代初めに767を開発、90年代になって777を完成した。

 777大型双発機は日本でも今年から就航したばかりの最新鋭機だが、エンジン2基にもかかわらず、747にも相当する座席数と航続性能をもつ。これで経済性が高まり、日本を含む世界中のエアラインが競うように注文を出しはじめた。


展示飛行中のボーイング787

競争は進歩をうながす

 それならばというので、エアバス社は今度は胴体を普通幅に戻したA320シリーズを完成、ボーイング杜のベストセラー機、737の領域に攻めこんだ。80年代後半のことである。737にくらべてわずかながらキャビンが広く、したがって座席の幅が広く、乗り心地が良い。コクピットもサイドスティックとフライ・バイ・ワイヤ操縦システムを初めとする最新の技術を採り入れ、就航8年にして1,000機を超える注文を獲得した。

 その勢いを阻止せんものと、ボーイングの方も737の改良に拍車をかける。737ー200からー300、-400、-500と進展した同機は、現在さらに737-600/700/800の開発が進んでいる。

 両社の競争はさらにつづく。ジャンボの上をゆく巨人機構想である。一時は一見仲良く共同研究もおこなわれたが、実機の開発になると協議が決裂、まずエアバス社がA3XX計画を打ち出した。最大900人乗り、航続13,000kmを越える2階建て旅客機である。開発費はー兆円。打倒ジャンボをめざすエアバス乾坤一擲のスーパープロジェクトで、作業が順調に進めば、2003年に就航できるという。日本への参加呼びかけもきている。

 これに対するボーイング側の計画は747ー500Xと747-600X。現用ジャンボ機をひと回り大きくするもので、-600Xは乗客数でA3XXに迫り、標準3クラスで548人乗り。また-500Xは航続距離でA3XXを追い越すほどで、16,000km以上をノンストップで飛ぶことができる。

 こうして競争をつづける両社は、ボーイング杜が707の初めから最新の777まで9,000機を超える注文を受け、40年間で8,000機を生産してきた。対するエアバス機は最近までの受注数が2,000機余り。生産数は20年間で1,400機となった。

 後発のエアバスが負けているかに見えるが、1994年はエアバス機の受注数がボーイングを上回り、96年も双方互角の受注競争を演じている。金額にすれば、まだまだボーイングの方が大きいが、今やエアバス社としては世界を二分する態勢を固めつつある。

 かくてボーイングとエアバスの競争は、これからも至るところで火花を散らすにちがいない。その秘策を練る中で一種の励みも出てくる。そこから技術的な創造力も生まれるのだ。

 戦争が航空技術の発達をうながしたというが、競争もまた飛行機を進歩させる。

(西川 渉、2015.6.21) 

    

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