ヘリコプター救急の費用負担

 

 ヘリコプター救急の計画を進めようとすると必ず問題になるのが費用である。ヘリコプターの運航費を、誰が負担するかというのだ。

 人の生死を論じていて、最後に金の問題で行き詰まるのはまことに困ったものだが、何故そんなことになるのかというと、医療も航空もどちらも大きな費用がかかるからであろう。医師もパイロットも一人前になるまでの養成期間が長く経費も高い。出来上がった後の人件費も安くない。使用する用具も、医療器具やヘリコプターなど高価な精密機器ばかりである。そして医薬品や燃料、部品などの消耗品も金がかかる。

 ヘリコプター救急というのは、そうしたコストのかかる二つの要素を組合わせたシステムで、高くなるのは当然のこと。誰にもなかなか負担しきれないのかもしれない。

 しかし、この問題には、わが国ではとっくに答えが出ている。10年前の平成元年、消防審議会は「消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方に関する答申」で「消防がその任務を十分に果たし」て行くためにヘリコプターを全国に配備して活用することとした。その任務とは消火、人命救助、情報収集、緊急輸送などさまざまだが、とりわけ救急業務に活用するため半径50〜70kmの範囲でヘリコプターを飛ばし、不慮の事故や急病に際して救命率を高めるという指針がはっきりと示されていた。

 ということは、今の救急車と同様、国と地方を問わず、消防機関みずからの費用負担でヘリコプター救急を実施するということだったはず。あの答申の中にヘリコプターの費用は別途患者さんから取り立てるというようなことは書いてないし、審議会委員の頭の中にも無償の奉仕をしている救急車はあっても、料金を取ろうという考えがあったとは思えない。

 

 しかし未だにヘリコプター救急が日常化していないのは、後になって費用問題が大きくなったからであろう。大蔵省もヘリコプター救急を特別贅沢なものと思い、予算を認めなかったのかもしれない。

 それならばヘリコプターの費用くらいは保険でまかなうべきで、わが国には世界に冠たる健康保険制度がある。この制度は最近、破綻しかかっているなどといわれるが、毎年の莫大な給付金から見れば、仮にヘリコプター50機分くらいの運航費を出しても0.5%に満たない。

 にもかかわらずヘリコプターの費用が負担できないというのは、近年この制度を悪用する医療機関や医療関係者が増えており、患者の方も大した病気でもないのに無闇に薬を欲しがって、不正な流出や無駄な薬代が増えてきたためではないのか。そのために真に必要な治療ができなくなったり、大切な命が失われていくのはまことに困ったことである。

 アメリカでも救急ヘリコプターの運航費は基本的に医療保険によってまかなわれている。しかし日本の健康保険のように全国民にゆき渡ってないし、全く保険に入っていない人も2割ほど存在するから、問題が残っている。

 交通事故の現場に飛んできたヘリコプターから救急隊員が降りてきて、倒れている怪我人の耳もとで「保険に入っていますか」と訊く。そこで「入っていない」と答えると、ヘリコプターはそのまま飛んでいってしまうというのは、いつぞやロサンゼルスの救急病院を訪ねる途中、バスの運転手から聞いた悪い冗談だが、費用を回収できない例はしばしばあるらしい。それでもヘリコプター救急は日常的に全米9割以上の地域をカバーしておこなわれているのである。

 

 スイスのヘリコプター救急は赤十字に準ずる航空救助隊REGAによっておこなわれている。その発端は山岳救助であったが、今では市街地の交通事故の現場へもヘリコプターは出動する。

 その費用は国民の寄付によってまかなわれている。全国民600万人のうち130万人の寄付によって年間およそ5,000万スイス・フラン(約43億円)の費用を出し合い、全国に15機の救急ヘリコプターを配備、国外に向かって3機の救急ジェットを飛ばしている。

 もっとも寄付だけでは、年間1億フランの総経費をまかなえないから、不足分は助けた人から回収する。ではどのようにして回収するのか。最近見つけたホームページによると、患者に対する三つの質問によって費用負担が決まるという。

 先ず「あなたは保険に入っていますか」と訊く。といっても先ほどのブラック・ジョークではなく、真面目な話である。患者が「イエス」と答えたら保険会社に請求書を送る。「ノー」の場合は二つ目の質問に移る。「あなたはREGAに寄付をしていますか」。「イエス」ならば費用の請求はしない。「ノー」ならば三つ目の質問である。「あなたはヘリコプターの費用を払えますか」。「イエス」ならば請求書を渡す。「ノー」ならばREGAの社会貢献という名目で、費用は帳消しになるというのである。

 それにしても日本のヘリコプター救急は、いつまでコスト問題にかかずらわったまま立ち往生をしているのか。政府予算でも健康保険でも国民の寄付でも、早く結論を出して、救急ヘリコプターが日常的に飛べるようにして欲しいものである。

(西川渉、『WING』紙99年5月5日付掲載)

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