スイス航空救助隊

 

 11月初め日本エアレスキュー研究会で、スイス・エア・レスキューREGA(スイス航空救助隊)のオリビエ・ザイラー博士の講演を聴いた。印象深かったのは、REGAがきわめて高い誇りをもって活動をしていることである。人命救助という仕事だから当然かもしれぬが、単に自国内の救助ばかりでなく、世界のどこかで災害が起これば、頼まれなくても飛行機を飛ばして救援に向かう。その積極性は阪神大震災に当たって特殊訓練を受けた犬を送りこんできたことからもうかがえるが、永世中立国ならではの積極的な人道主義に裏打ちされたものといえよう。そこには我々の見習うべき点も多い。

 
(車輪にスキーを履いたREGAのアグスタA109KU小型双発ヘリコプター) 

 

スイスで始まった赤十字活動

 スイスは19世紀初め、1815年のウィーン会議で永世中立国となった。中立国といっても、日本のいわゆる進歩的文化人が唱えるような消極的で危険な非武装中立ではない。武装中立のうえに、義務兵役制による軍隊をもつ。また永世中立だからこそ国際連合にも加盟せず、しかもさまざまな国際機関の本部を誘致しているのも大きな特徴である。

 国際的な赤十字活動がはじまったのもスイスからである。1859年にイタリア統一戦争で戦場に残された数万の死傷者の惨状を目撃したスイス人、アンリ・デュナンは,みずからボランティア・グループを組織して救護に当たった。この体験から、デュナンは戦時における救護の必要性を説き,そのための民間組織を結成するよう提唱した。その結果、1864年に欧州12か国がジュネーブ条約に調印して国際赤十字社が発足した。デュナンはこのことで1901年、最初のノーベル平和賞を受けている。

 赤十字社の本部はジュネーブに置かれ、常設の国際委員会はスイス人ばかり25人以内で構成される。シンボル・マークの赤十字はスイス国旗の赤地に白十字を反転したものである。いまでは、赤十字社は国際的な中立の救護組織として、戦時ばかりでなく、平時の災害で犠牲者の救護に当たるほか、病院などを運営して一般的な保健事業もおこなっている。その基本理念は博愛と人道の精神に立ち、人種、国境の別なく、平等を原則とし、政治、思想、宗教、経済に関しては厳正中立を旨として活動することである。

 ちなみに日本が赤十字条約に加盟したのは1886年であった。これに伴い1887年、それまで1877年の西南戦争から救護および慈善団体として活動してきた博愛社が日本赤十字社と改称され、今の特殊法人、日本赤十字社が発足した。その活動は、赤十字の精神にのっとって災害救助,病院経営,看護婦・助産婦の養成,医療社会事業などを含んでいる。

 さて、長々と赤十字の説明をしてきたのは、ここにご紹介するREGAもスイス赤十字に協力する民間組織として、赤十字の理念を色濃く受け継いで事業を展開しているからである。その運営は、国民一人ひとりの寄付金によって支えられている。保有する航空機はチャレンジャーが1機、ホーカー800が2機、アグスタA109K2が10機。

 これでアルプス山岳地の遭難救出はもとより、市街地での交通事故の救急や国外の急病人を連れ戻すための国際帰省搬送(インターナショナル・レパトリエーション)をおこなう。おおまかにいえば国内救急はヘリコプター、国際救急はジェット機というのが、REGAの航空機の使い分けである。

  

最初はアルプスの山岳救助

 REGAは1952年に発足した。スイス救助協会(SLRG)の関連団体としてはじまり、今日までの45年間に当初の小さな組織から約180人の専門家を擁する全国組織へと発展した。

 設立の提案は1952年4月27日、SLRGの総会でルドルフ・ブッヘル博士が同協会の中に航空機を利用したレスキュー・チームを作りたいと切り出したのにはじまる。そして総会の承認を経てスイス・エアレスキュー、すなわち航空救助という近代的、専門的な組織が発足したのであった。

 最初の救助作業は同年9月、英空軍で訓練を受けていたスイス人のパラシューティストが訓練中に負傷したときであった。飛行機で迎えに行って、スイスまで連れ戻したのである。

 同じ年の12月22日にはヘリコプターを利用した救助にも成功した。事故を起こした熱気球の負傷者1人をヒラー360で搬送したものである。この迅速な救助活動によって、山岳地でもどこでも着陸できるヘリコプターの有効性が実証された。

 1957年にはベル47G-2小型ヘリコプターが寄贈され、アルプスの山岳救助のための待機がはじまった。

 1960年3月、スイス・エアレスキューはSLRGから分離独立し、みずからの基金で自立するようになった。同時に全国的な組織として展開し、広範囲の救急要請に応じられるようにした。また、さまざまな救助または救急の技術が開発され、国内各地はもとより国外でも利用されるようになった。

 REGAの任務は当初は山岳地の遭難救助であったが、やがて国外で急病になったり負傷した人のレパトリエーションをおこなうようになった。先のパラシューティストの帰省搬送がそうだが、1960年からはそれが本格化したのである。当時の使用機はピアジオP.166を臨時チャーターしたものであった。

 このころまでに、REGAは公的な資金援助なしで、民間基金だけで運営するという基礎が固まり、その信頼性と名声も急速に高まっていった。それを見たスイス連邦政府は1965年、REGAをスイス赤十字の特別補助機関として組み入れることにした。

 1973年6月、REGAは民間機としては世界で初めてのエア・アンビュランス機を購入した。リアジェット24Dである。

 また半年後の同年11月、初めての双発タービン機、ベルコウBO105Cを入手した。このヘリコプターはチューリッヒ大学の小児科病院の屋上ヘリポートに配備され、機内にインキュベーター(保育器)を搭載して未熟児の搬送に当たった。そのため、間もなく「ベビー・ヘリコプター」という愛称で呼ばれるようになった。

  

13機のヘリコプター救急体制

 REGAのヘリコプターによる救急活動は、赤十字の補助機関となった頃からスイス国民の間にもよく知られるようになり、多くの人が赤い塗装のヘリコプターに親しみを感じるようになった。そのことからヘリコプターの配備は急速に拡大し、たちまちにして全国10か所に配備され、全国的な協力を受けられるようになった。

 同時にREGAは、事故の現場に直接医療チームを送りこむという考え方を実行に移した。これは当時画期的なことで、1975年には交通事故の怪我人の救急をするようになった。

 1992年からはヘリコプターの入れ替えがはじまった。それまでのアルウェットVやBO105に代わって、新しいA109K2ヘリコプター10機が入りはじめ、1995年に入れ替えが完了した。

 REGAのヘリコプターはスイス国内10か所に配備されている。ベーゼル、ベルン、チューリッヒなどである。ほかに協力機関の運航する3機のヘリコプターがモリス、ズバイシムメン、ジュネーブに存在する。これらのヘリコプターは常に待機の状態にあって、いつでも緊急事態に対応できるような態勢を取っている。

 こうした13機の配備により、ヘリコプターはわずかな地域を除いては、国内のどこでも15分以内に到達することができるようになった。その任務は、アルプスの山岳地帯に多い登山またはスキー中の事故や、平地での交通事故、さらにはスポーツによる怪我、労働災害、急病人などの救急をおこなう。これらの救急に際しては、必ず医師がヘリコプターに乗りこんで現場へ向かう。

 ほかにREGAはいわゆる2次搬送もおこなう。たとえば地方の小さな病院で緊急事態に陥った患者を中央の施設のととのった病院や特殊な治療のできる病院へ搬送するのである。

 加えてREGAは臓器、血液、血清、医薬品を輸送したり、特別手術のための医師を輸送する。また山岳地の農民や牧童の緊急輸送、怪我をした動物の輸送、さらには雪崩、地震、洪水、山火事などの自然災害にも出動する。山の中の牧場で怪我や病気のために動けなくなった大きな牛をモッコに入れて吊り下げ搬送する光景を見ることもある。

 救急ヘリコプターの出動回数は表1に見る通り、1996年の実績が年間6,842回であった。1機平均600回程度といってよいであろう。悪天候を除けば1日2回の出動ということになる。その大半は重傷者と急病人の救護であり、救急患者のほぼ半数はヘリコプターの機内でも人工呼吸器を装着していなければならないほどの容態だったという。

 

表1 REGAヘリコプター出動回数(1996年実績)

出動回数

構成比

1次救急

3,853回/年

56.3%

うち山岳救助

(1,387回/年)

――

  交通事故

(900回/年)

――

2次救急

――

2,160回/年

31.6%

その他の出動

――

829回/年

12.1%

合  計

――

6,842回/年

100.0%

[資料]ザイラー博士講演(97.11.7)

 

 さらに救急患者の大多数が交通事故の犠牲者で、事故の現場で応急治療を受けたのち、ヘリコプターで病院へ運ばれるといったケースが多い。これがいわゆる1次救急だが、病院間の転送、すなわち2次救急もヘリコプターの重要な任務である。REGA全体では、表1のように半分以上が1次救急であり、2次救急は3割強となっている。

 REGAは子どもの救急に関しては特別注意を払っている。これは1992年の集計だが、その年REGAのヘリコプターが搬送した子どもの重症者は656人であった。うち515人は怪我、141人は急病である。また子どものうち6割以上が男の子で、10歳から16歳という年齢層が多かった。

 さらに搬送者656人のうち1次救急は415人であった。残りは病院間輸送で、小児科専用の集中治療室(ICU)に向かうためである。1次救急の原因として最も多く見られるのがスポーツ事故である。次いで急病、交通事故の順だが、急病人の7割は命にかかわるような症状であった。いっぽう怪我をした子どものうち、命にかかわるほどの容態は47%であった。

 スポーツ事故は、何かの運動をしていて怪我をするというものである。搬送事例としては最も多いが、ほとんどの子どもは助かっている。というのは、怪我をしたのが運動をしているときだから、場所が広くてヘリコプターもすぐそばに着陸できること、多くの人の目の前で起こるために通報が速いこと、そして怪我の程度も余りひどいものは少ないからである。

 しかし、子どもが家の中の事故や交通事故に逢うと、通常は致命傷になることが多い。特に頭部の怪我は中枢神経が損なわれたり、呼吸困難におちいったりして、命にかかわる恐れがある。

 

 

 3機のアンビュランス・ジェット

 一方、国外の緊急事態に対しては、3機の救急専用機、アンビュランス・ジェットが出動する。カナディアCL-601チャレンジャーが1機、ホーカー800が2機で、チューリッヒ・クローテン空港に待機していて、国外で負傷したり急病になったした人の救急搬送に当たっている。

 その内装は「空飛ぶICU」と呼んでもいいほどで、ECGモニター、自動血圧モニター、人工呼吸器、酸素吸入装置、脈拍計など、最新の医療設備をそなえている。3機のアンビュランス・ジェットの出動回数は、ザイラー博士の集計によると、1996年の実績が表2の通りで、REGAみずからのアンビュランス・ジェットを使用した搬送と定期便を利用したものと、ほぼ2対1の比率になっている。

 

表2 REGAの固定翼機による救急搬送(1996年実績)

搬 送 方 法

搬送回数

構成比

救急専用ジェット

597回/年

66.3%

定期便

303回/年

33.7%

合計

900回/年

100.0%

[資料]ザイラー博士講演(97.11.7)

 

 定期便によって本国へ送還される場合、通常の旅客機のキャビンにストレッチャーを積みこむこともできる。いずれの方法でも、必ずREGAの医療スタッフが付き添うことになっている。

 REGAはまた、国外で病気になった人に電話で医学上の助言を与える。たとえば特殊な医薬品が手に入らないような場合、REGAのドクターが代りの薬品を教えたりする。また急病人に対して、外国の病院を紹介することもある。ということは、REGAは航空機に関連しないことでも助言を与えるのである。不慣れな異国の地で病気などの苦しい状態におちいったとき、REGAの電話による助言は、このうえない福音に聞こえるに違いない。

 なお国際帰省搬送(インターナショナル・レパトリエーション)に際して、患者の立場に立ってREGAとの連絡はもとより、国際間の複雑な調整と手続きをしてくれるのが救急支援(アシスタンス)会社である。

 スイスには世界的なネットワークを持つSOSアシタンス社がある。1974年に発足し、中東からジュネーブまで、リアジェット24で昏睡状態の患者を搬送したのが最初の仕事であった。以来20年余の実績を重ねて、今では世界3,000万人の会員を擁するにまで発展した。会員は企業を初め、非営利団体、政府機関などが含まれる。

 本社はジュネーブだが、ほかに米フィラデルフィアとシンガポールにも地域本部を置いている。このうちジュネーブ本社の担当する地域は欧州、アフリカ、中東である。スイスのジュネーブに本拠があると多くの人に中立的な印象をもたれる。その結果、たとえば1991年には湾岸戦争の終結から2日後にはもうSOSの救急専用機がバグダッドに飛んだのであった。

 表3は、SOSスイス本社の取り扱った過去5年間(1992〜96年)の集計である。航空機による送還業務は5千回余り――年間ちょうど千回で、3割近くがREGAその他の救急専用機を使用している。これに定期便によるストレッチャー搬送を加えると、全体の3分の1以上――年間360件余りが定期便の座席に坐って来れぬほどの重症患者であったものと推察される。

 

表3 スイスSOSアシスタンスの搬送実績(1992〜96年)

搬送方法

搬送回数

構成比

救急専用機による搬送

1,479回/5年

28.7%

定期便による座席搬送

3,334回/5年

64.7%

定期便によるストレッチャー搬送

339回/5年

6.6%

合 計

5,152回/5年

100.0%

 [資料]エア・アンビュランス会議(パリ、97.6.13)

 

 

緊急電話番号は「1414」

 REGAは、チューリッヒに本部を置き、そこのオペレーション・センターを中心に1年365日、1日24時間、休むことなく活動している。ここには常に所要のスタッフが待機していて、緊急電話がかかってくるのを待っている。スタッフの中には、コーディネーター(調整責任者)はもとより、医師も含まれ、緊急電話の相手の症状を推しはかり、搬送の手段や時期を決定する。その結果、ここから関係機関との調整がおこなわれ、ヘリコプター基地やアンビュランス・ジェットのスタッフに指示が出される。

 緊急事態におちいった人は誰でもいつでも「1414」の電話番号を回しさえすれば、このオペレーション・センターと連絡を取り、REGAの救援を受けることができる。たとえば頭部の怪我で意識を失ったような場合、胸部の怪我で呼吸困難におちいった場合、さらに大量出血、脊髄損傷、手足の切断、重度の火傷、心臓停止などの急病、小児の外傷、多数の怪我人が出るような事故、吊り上げウィンチを必要とするような山岳遭難などである。

 この救助要請を受けると、本部からは無線連絡網を通じて全国34か所の支部へ指示が飛び、救助活動がはじまる。このときオペレーション・コーディネーターはヘリコプターの出動が必要か否かを判断する。判断に当たっては警察、消防、スイス・アルパイン・クラブなど、ほかのレスキュー機関と相談することもある。ヘリコプターが出動するときは、パイロットやパラメディック(救急救助員)に加えて、必ず医師が同乗する。

 なお、ヘリコプターの出動にあたっては、次のような事項を確認することになる。すなわち何が、いつ、どこで起こったのか。怪我人の人数と怪我の程度。事故現場の気象状態――特に水平視程はどのくらい遠くまで見えるか。現場周辺の障害物――電線、電話線などはないか。吊り上げウィンチは必要か、もしくは患者のすぐそばに着陸できそうか、といったことである。

 

 

 ちなみに、この吊上げウィンチは最長220mという驚くべき長吊り技術で、アルプスの垂直の壁で怪我をして立ち往生をしたような登山家を救うためにREGAが開発したものである。ザイラー博士の講演によると、まずヘリコプターのホイスト・フックに20mのスチール・ケーブルを取りつけ、その先に25kgのブイをつける。これはケーブルの振動を防ぐためで、ブイから長さ200mの登山用のロープを伸ばす仕組みという。

 このロープの先には救助隊員がくくりつけられ、徐々に降下して岸壁の途中、特にオーバーハングの下で立ち往生している遭難者に近づく。このときパイロットからは200mの下は見えない。したがって救助隊員とパイロットは無線で連絡を取る。遭難者に近づいた救急隊員は最長5mまで伸縮可能な棒を持っていて、棒の先のフックを付近の岩角にひっかけ、みずからをたぐり寄せる。それから遭難者を自分と同じロープにくくりつけ、パイロットに合図を送り、近くの足場のいいところへ降ろして貰うのである。そこには医者が待っていて、患者と一緒にヘリコプターで病院へ向かうことになる。

 200mの長吊りといえば、東京都庁やサンシャインビルの展望台から地上を見るようなもので、むろん人の動きなどは見えない。それでも高い絶壁を登るアルピニストを救出しようというのが、このREGAの誇る技術なのである。

 

 

国外の急病人にも対応

 REGAは、こうしたアルプスの遭難や国内の交通事故ばかりでなく、国外の急病人にも対応する。救助を求める人は世界中どこからでも、電話で「41-1-1414」のダイヤルを回せば、やはりREGA本部のオペレーション・センターに連絡することができる。その内容に応じて、コーディネーターは、医師の判断と助言を受けながら必要な調整と手配をおこない、患者をスイスへ送還させる。

 REGAが迎えに行くまでの間、医師は患者に対しどのようにして待てばいいか医学的な助言を与える。たとえば患者に近い場所の病院を紹介したり、どんな薬を呑めばいいかといった助言である。

 そうした助言と同時に、コーディネーターは表4に掲げるような事項をできるだけ詳しく聴き取ってゆく。これで患者のもとへ的確に飛行機を送りこみ、その人をのせて戻ってくることができる。その際、REGAが最も強みを発揮するのは永世中立国という立場である。これによって外交上の障害がきわめて少ないため、REGAは戦闘状態にあるような動乱や紛争の地へも入って行くことができるのである。

 

表4  国外からの緊急電話受付け確認事項

・患者の氏名、生年月日、自宅住所など

・患者の現在の居場所――住所、病院などの電話・FAX番号

・今後連絡を取る場合の相手の氏名、電話・FAX番号その他の連絡手段

・担当医の氏名、言語、電話・FAX番号

・患者の容態――意識があるか、人工呼吸か、診断内容など

・病気または怪我の原因――いつ、何が起こったのか。

・患者の身分証明書やパスポートの所在場所、ビザの有無など

・搬送目的の病院――患者をどこの病院へ搬送するか

・スイス本国における患者のかかりつけの医師――氏名、住所、電話番号などを聞いて、その医師から過去の病歴を聞き出すことも当面の措置をするうえで重要

・スイス国内で連絡する必要のある人――その人の氏名、住所、電話番号など

 そんなREGAでも、ただ一つ日本への飛行は苦手という話を聞いた。手続きが煩雑でうるさく、着陸許可や入国許可がなかなか出ないのだそうである。阪神大震災のときにスイスからやってきた救助犬を追い返した実例もあったことからすれば、さもありなんという気がする。

 

 

日本の救急体制は時代遅れ

 REGAは政府機関ではない。非営利団体である。国や自治体からの経済的支援も受けていない。スイス国民の寄付金によって運営されている。あるいは寄付金というよりも、国民1人ひとりの万一にそなえる保険料という方がいいかもしれない。金額は1人あたり年間30スイス・フラン(約2,700円)で、約130万人のスイス国民が寄付に応じている。

 この寄付金によって、REGA運営費の約3分の2がまかなわれる。残り3分の1は救急業務に対する健康保険や旅行障害保険からの交付金である。

 REGAの救急業務における原則は、事故の現場に直接、医師を送りこむことである。したがってREGAの航空機には、ヘリコプターでもアンビュランス・ジェットでも、必ず医師が乗り組む。その背景には次のような基本理念が謳われている。

「REGAの目的は、赤十字の基本原理に従い、困難な状態に陥って救助を必要としている人びとを助けることにある。この救助にあたっては、遭難者の人格、経済状態、人種、宗教、階級または政治的信条の如何にかかわらず、差別なしに実行するものとする。REGAは人の生命および健康にかかわるような困難を排除し、保護するものである」と。

 こうしてスイスの救急体制を見てくると、先にご報告したドイツ、アメリカ、フランス、ロンドンなどの実例を見たときと同様、またしても日本の救急体制が2段階も3段階も遅れていることを思わずにはいられない。

 わが国も、なるほど病院の中の治療技術は世界一流かもしれない。けれども救急医療の根本は病院の外で、患者が病院に到着するまでにどんな手当を受けるかが問題になる。この問題に対処するには、事故の現場に直接医師を送りこまねばならない。それが救急治療における世界の常識である。にもかかわらず、日本のプレホスピタル・ケアは、世界の常識からすっかり外れてしまい、最先端の水準から遠く取り残されてしまった。

 しかも、このことは、ここで指摘するまでもなく、日本の救急当局もとっくに気がついていることである。にもかかわらず、知っていて何にもしないのが日本の官僚制度の恐ろしいところである。

 たとえば、スイスの国土面積は41,300平方キロである。これは日本の37万平方キロに対して10分の1強に相当する。したがってスイス全体に13機のヘリコプターを配備していることからすれば、日本ならば約120機のヘリコプターを配備している勘定になる。すなわち今の消防・防災ヘリコプターの配備情況から見ても、スイスの場合はかなり高い密度でヘリコプターを配置していることになる。

 しかも機数だけの問題ではない。その13機は救急だけが目的である。これが重要な点であって、わが消防・防災ヘリコプターは情報収集にはじまって消火、救急、人員輸送、緊急物資輸送など多目的の任務を負っている。しかし、何でもこなすといいながら、結局はアブハチ取らずに終わっているのが実情ではないのか。

 もとよりREGAのような理想の救急体制は一朝一夕に実現できるものではない。日本の救急体制があるべき姿を実現するのはいつのことであろうか。

(西川渉、『航空情報』誌98年2月号掲載)

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