<HAI前理事長>

ロイ・リサベッジさんを悼む

 国際ヘリコプター協会(HAI)の前理事長ロイ・リサベッジさん(Mr. Roy Resavage)が同協会「名誉会員」の称号を受けたという知らせを貰ったのは2月初めだった。この称号はヘリコプター界の発展と進歩に貢献した人に贈られる国際的な栄誉賞である。

 リサベッジさんは1998年HAIの理事長(プレジデント)に就任した。それまでは米海軍のパイロットとして27年間務めた。ベトナム戦争で飛んだこともあるが、やがてヘリコプター飛行中隊の隊長に始まり、空母ジョン・F・ケネディの副司令、フロリダ州ジャクソンビルの海軍航空基地司令といった経歴を重ねた。

 そんな軍人が何故、民間ヘリコプター協会の理事長になったのか。筆者の質問に対し、海軍退役の時期にあたって、偶然HAIが理事長を公募しているのを知った。来てみると十人以上の応募者がいて、これは駄目だと思った。ところが最後の3人の中に残り、HAIの全役員の面接を受けて合格することができた。そう言いながら、氏は「面白くてやり甲斐のある仕事を与えられて、感謝している」と語ってくれた。

 理事長を辞任したのは2005年秋のことだが、それまでの7年間、日本で講演の機会もあった。毎年のHAI年次大会では1時間の「ジャパン・フォーラム」を設け、毎回2〜3人の日本人に講演する機会をつくってくれた。そのセッションには、他にもいくつかのミーティングが平行して開かれているにもかかわらず、リサベッジさんは必ず出席して開会の辞を述べ、最後まで席を立たず、質問をするなど、ヘリコプター界における日本の存在を世界に知らしめた。

 また、大会の最後におよそ千人が出席して開かれる表彰晩餐会では、筆者自身HAIの役員ではないにもかかわらず、2度ほど正面のひな壇に招かれたことがある。前例から推して、壇上の人は誰もがタキシードの正装をする。矢張りそうしなければならないのか訊いたところ、リサベッジさんはにやにやしながら「買う必要はないけど」という答え。あわてて貸衣裳屋に飛びこんだものである。

 いよいよ食事が始まると、リサベッジ理事長の隣に筆者の名札が置いてあった。英語でしゃべりながらご馳走を食べても味がよくわからないが、リサベッジさんにそういうと、自分も英語は余り得意じゃないという返事。聞いてみると、お父上はソ連時代に今のグルジアからアメリカへ移った人で、リサベッジという姓も珍しい。したがってロシア語のなまりが抜けきらないと言いながら、記者会見などでは雄弁にまくし立てた。議会にも呼ばれて、上院、下院のさまざまな委員会でヘリコプター界を代表して証言をした記録が数多く残っているから、決して不得意だったとは思えない。

 そんなリサベッジさんが名誉会員の受賞という知らせから2週間後、あろうことか訃報が飛び込んできた。2月19日のことである。そういえば昨年はコンベンション会場内の移動にゴルフカートのような電動車を使っていた。足が痛み、身体が疲れるということだったが、すでに病魔が取り憑いていたのだろうか。

 しかし晩餐会で国歌が始まり、イラク戦争の犠牲者を悼む場面になると、椅子からパッと立ち上がって直立不動の姿勢を取るのである。それでいて、かすかに笑みを浮かべて話しかけてくる親しみ深い仕草は、今も忘れることができない。

 好漢1945年生まれ。60歳を過ぎて1年余の早すぎる旅立ちであった。

(西川 渉、『日本航空新聞』2007年3月29日付掲載)

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