<ロシア旅客機>

スーパージェットの事故

 

 ロシアのスーパージェット100旅客機は、インドネシアでデモ飛行中の5月9日、ジャカルタの空港を離陸して数分後に交信不能となった。最後のコンタクトは2時33分であった。

 操縦していた機長はロシアのベテラン・パイロットである。しかし彼は管制塔に対して奇妙な通信をしていた。行く手の天候が悪いので、それを避けるために高度10,000フィートから6,000フィートに降下したいというもの。通常、飛行機は前方に厚い雲がある場合、高度を上げようとする。とりわけジャワ島西部の岩山の上空である。

 しかし管制官は機長の判断を信頼して、降下の許可を出した。そして数分後、機はジャカルタに近いサラク山の切り立った断崖に突っこんだ。翌日、衝突の痕跡が見つかった場所は、標高6,100〜6,200フィート付近。そこから飛行機の残骸は崖の斜面を転がり落ち、乗っていた45人も全員死亡した。ほとんどはインドネシア航空界の要人や報道関係者である。もっとも、搭乗者の人数は当初44人とされ、50人だったという説もある。

 経験の深い機長がなぜ判断を誤ったのか。さまざまな疑問が出ているが、状況は判然しない。

 スーパージェット100は20年前のソ連崩壊後、ロシアで初めて設計され製造された旅客機で、ソ連時代に最大を誇った軍用機メーカー、スホーイ社によるプロジェクトである。同社は冷戦時代、Su-27といった強力な戦闘機をつくって定評があった。その技術力を生かしたスーパージェットがロールアウトしたのは2007年。新たに大統領に返り咲いたプーチンも、このプロジェクトを応援していた。

 彼らの野心は、ロシアの民間航空界におけるかつての地歩を取り戻したいというものだが、この事故で難しくなったかに見える。

 旅客機としての大きさは乗客78〜98人乗り。これで世界市場に打って出る計画が始まったところだった。競争相手はブラジルのエムブラエル社とカナダのボンバーディア社だが、彼らをしのいで2025年までに2,500億ドル(約20兆円)相当の販売をもくろんでいた。

 そして、これを足がかりに、次は目下開発中のMS-21(150席)によって、ボーイング社とエアバス社にも挑戦する計画だったのである。

 もともとロシアは、かつてのソ連時代から航空の安全に関して余り良い評価を得ていなかった。西側諸国にくらべると事故率も高い。その悪評を新しい旅客機によってくつがえすつもりであった。

 ただし、この事故がパイロット・エラーであれば、ロシアの航空工業界にもさほど大きな影響はあるまい。けれども航空機そのものの欠陥が原因であったときは、大きな打撃となる。したがって事故調査の結果によっては、ロシア航空工業界の前途は大きく左右されることになる。

 事故の原因が構造的、技術的な問題であれば、ロシアはもとより、ボーイングなどの西側メーカーにも影響が及ぶ。というのは。たとえばボーイング社だが、同機開発の相談にあずかり、試験飛行のパイロットや整備士の訓練にも当たる計画だった。

 フランスやイタリアはもっと深く関わっており、相当な資金を注ぎこんでいた。イタリアのフィンメカニカ社はスホーイ社の民間事業部の25%を買い取って、西側諸国への販売を担当し、販売後の技術支援にもあたることになっていた。

 さらにパワージェットSaM146と呼ばれるエンジンの開発にはSNECMAも協力しており、アビオニクスはターレスの製品である。

 

 このように西側諸国のメーカーが関係することによって、西側エアラインへの売りこみもやりやすくなるというのが、スホーイの考え方。1機あたりの価格も約3,000万ドルと、西側製品より安く設定してある。

 最近までの受注数は170機。最終目標は1,000機で、ロシア国内ではすでにアエロフロートとアルマビアが同機を運航している。最近までの運航機数は両社合わせて7機。また西側ではメキシコのインタージェット航空が今年中に運航を開始する予定になっている。さらにアイルランドのライアンエアも関心を示していた。

 とりわけインドネシアでは、カルティカ航空が30機を発注し、代表2人が事故機に乗っていた。またクィーンエアも6機を発注していた。さらにスカイ航空は12機の購入契約を結んでおり、今後は事故原因の解明を見守りつつ、場合によっては契約を見直すと発表した。事故機にはスカイ航空の9人のキャビン・アテンダントも乗っていた。

 

 このスーパージェット100のデモ旅行はアジア6ヵ国を回るもので、本来は別の機体でおこなうことになっていた。ところが、出発直前にエンジンの不具合が見つかったため、急遽代替機を使うことになったという報道もある。ただしスホーイ社は、機体変更の理由を明らかにしていない。

 そしてインドネシアに先立って、まずカザフスタンでデモ飛行をおこなったが、次のパキスタンでは機体のどこかに不具合があったらしく、招待客は地上の機体を見るにとどまった。そこからミヤンマへ向かう途中にもエンジン・ノズルからオイルもれがあったらしい。

 もとより事故の原因が何であったか、パイロット・エラーだったかどうか、現時点では全く分かっていない。フライト・レコーダーやボイス・レコーダーも回収されたようだが、原因がはっきりするまでには1年ほどかかるだろうといわれる。

(西川 渉、2012.5.22)

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