今年6月なかば、パリ航空ショーを前にして、エア・アンビュランス国際会議がパリ市内で開催された。世界中から集まった多くの医師や専門家が2日間にわたって、さまざまな話題を取り上げ、講演と研究発表をおこなった。その中から、ここではフランスの救急制度についてご報告したい。
救急とは何か。一と言でいうならば「プレホスピタル・ケア」である。つまり急病人を病院へ搬入するまでの応急治療である。
重症者は事故の現場から病院へ一刻を争って送りこまれる。そして集中治療室(ICU)に入れば、その後は最新の医学にもとづいて高度の治療や手術がほどこされる。しかし、だからといって、それ以前は何もしなくていいというわけではない。むしろ救急患者の生死は、病院到着までにどんな手当を受けたかによって決まるといっても過言ではない。
このことは、救急医療の根本といっていいであろう。プレホスピタル・ケアを如何に早く、如何に有効におこなうか。その問題に関して、エア・アンビュランス会議の席でおこなわれる数々の論議を聴きながら、私は日本の救急制度がいかに遅れているか、救急に関するわれわれの考え方がいかに不十分であるかを思い知らされた。
思うに、日本の救急制度は二た昔前のものである。世界の救急システムは、すでに日本の2段階先を進んでいる。先進諸国では、救急患者の発生した現場へは先ず医師が駆けつける。もしくは医師に近い医療技術と権限を持ったパラメディックが駆けつける。これが先進救急への第1段階である。
次に、医師の現場到着を可能な限り早めるために救急車はもちろん、市街地では高速乗用車を使い、郊外へはヘリコプターで飛ぶ。つまり、最も早い移動手段を使うこと。これが第2段階である。
日本の現状は、その両方がおこなわれていない。つまり救急現場へ医師が行くわけでもないし、ヘリコプターを使うわけでもない。最初に駆けつけるのは、大きな救急車に乗った救急隊員である。彼らはサイレンを鳴らし、スピーカーで怒鳴りながら、渋滞をかき分けてやってくる。勿論その苦労は大変なものであり、最近は救急訓練を受けた救急救命士も増えてきた。しかし、そういう人びとの切歯扼腕にもかかわらず、技能や権限はきわめて限られた範囲でしかない。極論すれば、日本の救急はまだ患者を担架にのせて運ぶだけのことなのである。
それでも、こうした後進的な制度の中で何とか救急効果が上がっているのは第一線の救急隊員の頑張りによるものであろう。システムとしては時代錯誤を絵に描いたようなものといわざるを得ない。
比較すべき統計数字はないけれども、医師が先頭に立ち、しかも高速の移動手段で現場に到着する場合にくらべて、日本の制度は救命率が落ちるであろうことは、容易に想像することができる。救命効果を高めるには、先ず救急患者を病院へ搬入する前に、一刻も早く的確な治療をほどこすこと。この基本原則を忘れた救急制度は、やはり時代遅れとしかいいようがない。
では最先端の救急システムは、どこでおこなわれているのか。まずドイツやアメリカがあげられるが、その事例は多くのところで紹介されている。それに本欄でも取り上げたことがあるので、今回はフランスの例を見ることにしたい。
フランスの救急制度は医師が中心である。救急電話を取るのも、事故現場に向かって走るのも、救急患者に最初に手を触れるのも、常に先頭に立つのは医師である。その方がはるかに救命率が高いことは、世界中の多くの事例研究や実績によって証明されている。
しかも、医師が一刻も早く現場に到着するために、高速自動車やヘリコプターが使われる。救急車は後から遅れてきても構わない。それは患者の搬送手段であって、医師の移動手段ではないからだ。医師はもっと高速の、別の手段を使って救急車よりも早く現場に行き、そこで最初の治療をおこなう。それによって患者の容態をひとまず安定させ、それから病院へ送りこむ。救急車は、そのときまでに到着すればいいのである。
このようなフランスの救急制度はSAMUと呼ばれる公的機関によって遂行されている。SAMU(サミュ:Service d'Aide Medicale Urgente)とは日本語にすれば緊急医療救助サービスとでもいえようか。その設置は1986年の法律で定められた。
SAMUの構造はフランス全国を自治体単位によって105の区域に分け、それぞれの地区を担当する独立の支部を置いている。その中で最も大きな組織がパリ支部で、「サミュ・ド・パリ」と呼ばれる。
パリのSAMUは大きな大学病院に本拠を置く。ほかのSAMUも原則として病院に拠点を置いている。各拠点には救急発動の指令センターがある。センターには特殊訓練を受けた交換手と専門の救急医が24時間待機していて、無料の救急電話「ダイヤル15」が掛かってくるのを待っている。パリの場合は、このセンターに交換手と医師を合わせて常に10人近いスタッフが詰めている。
救急要請の電話がかかってくると、まず交換手が出て相手の名前、事故の場所、患者の症状など一と通りのことを聞く。その後は医師が電話を引き継いで専門的なことを聞く。もとより全ては秒単位でおこなわれる。
ここに詰めている医師は「メディカル・ディスパッチャー」と呼ばれる。その判断によって次の対応策が決まる。最も簡単な場合は、かかってきた電話で医学上のアドバイスをするだけで終わることもある。しかし問題が難かしい場合は近所の開業医に往診を依頼する。それができないときは救急車を派遣するが、それには必ず医師が乗って行く。
さらに事態が切迫し、生命の危険が想定されるときは、医師をのせた高速自動車を走らせ、それを追って救急車を送り出す。距離が遠い場合はヘリコプターに医師をのせて送りこむこともある。
また死傷者が何人も出るような大災害の場合は、何台もの高速車や救急車を走らせる。担当区域の車や医師だけで間に合わない場合は、近隣のSAMU支部へ応援を依頼する。
このように緊急電話を受け、その内容を判断し、対応策を考え、指令を出す――その全てが救急専門の医師によっておこなわれる。その指示を受けて行動するのも医師である。フランスの救急態勢は医師を主体として動いているのだ。
余談ながら、フランスの国土は日本の約1.5倍である。日本にも全国に130か所ほどの救命救急センターがある。この救命救急センターで救急要請の電話を受け、医師が直接対応し、判断を下すのがSAMUのやり方だと思えばいいであろう。いずれにせよフランスでは、日本の今のやり方とは全く異なる救急体制が取られているのである。
パリのSAMUについて、もう少し詳しく見てみよう。
担当する地域はパリ中心部で、人口300万人が対象である。スタッフは麻酔専門の大学教授が最高責任者で、あとは専任の救急医が6人、パートタイムの医師が60人。全員が外傷の救急治療に関する特別訓練を受けている。
本部はネッカー病院の中にある。そこには2人の医師がメディカル・ディスパッチャーとして24時間待機している。4〜6台の救急車と2台の高速車も待機する。ほかに5台の救急車がパリ市内に分散配備されている。
ヘリコプターは3機が所属し、いつでも使える状態にある。1台は「ホワイト」と呼ばれ、アンリ・モンドール病院に常駐し、近隣地域の6つのSAMUが共用する。
2機目のヘリコプターは「レッド」である。パリ消防局が保有する2機のヘリコプターのうちの1機で、市内西南部のセーヌ川に近いパリ・ヘリポートに常駐し、必要に応じてSAMUに貸与するかたちで飛行する。任務は現場飛行と病院間搬送である。
3機目は「ブルー」と呼ばれる。ビラクールブレー基地に待機するジャンダルマリー(軍警察)のヘリコプターで、パリ西部の現場救援飛行をおこなう。つまりパリのSAMUが自由に使えるヘリコプター3機は、赤白青のフランス国旗、トリコロールの色にちなんだ名前で区別されている。ほかに必要に応じて固定翼機を使うこともある。
さてSAMUの中には現場派遣のための医療チームがいくつも編成されている。これをモビルICUとか移動ICU(MICU)と呼び、本来は病院の中の集中治療室(ICU)でおこなう治療を、病院の外の事故現場でほどこそうという思想から生まれた体制である。
MICUは医師、看護婦(または医学生)、特殊訓練を受けた運転手またはパイロットから成る。医師はチームの責任者であり、指揮者でもある。その資格は麻酔医か通常の医師で、救急医学について特別訓練を受け、少なくとも2年間はSAMUに専属して救急医療の経験を積んだものでなければならない。
MICUを事故現場へ送りこむのは、高速車両、救急車、またはヘリコプターである。この中のどの移動手段を使うかはメディカル・ディスパッチャーの判断によって決まる。判断の基準は手近で利用しやすく、最も早く現場へ到達できる手段でなければならない。市街地では主に車を使用する。郊外や広い田舎、特にへき地ではヘリコプターが適当であろう。
これらの移動手段は、車もヘリコプターも、緊急医療器具をいつでも使える状態で搭載している。たとえば酸素吸入器、挿管セット、人工呼吸器、除細動装置、静脈内カテーテルなどで、薬剤は60種類に及ぶ。
さらに医療チームは無線機か携帯電話を持っていて、患者の様子をいつでもディスパッチャーへ伝えることができる。このような現場治療、いわゆる「プレホスピタル・ケア」の目的は、患者の病状を正確に診断し、それに応じて治療し、安定させ、病院へ搬送できるようにすることである。たとえば外傷のために呼吸困難に陥った患者は、早急に挿管処置をほどこし、強制的に酸素を送り込まなければならない。
このように病院へ搬送する前の現場治療は、その程度が高ければ高いほど患者の救命率も高くなる。同時にまた、それだけ高度の訓練を受け、経験のある救急専門医でなければならない。
現場治療によって患者の容態が安定したら、そこで初めて病院への搬送をおこなう。搬送手段は救急車でもヘリコプターでもよい。そのときの利用可能なもので、患者の状態に適したものを選ぶ。もとよりヘリコプターを使うときは、目的の病院にヘリポートがなければならない。
目的の病院は、SAMUのメディカル・ディパッチャーから指示された病院である。ディパッチャーは病院の選定に当たって、現場医師からの通報で患者の症状を判断し、最適の治療ができる病院の中からベッドの空き具合を見て結論を出す。病院の方でも、あらかじめ患者の症状を知らされ、受け入れの準備をととのえる。
パリSAMUは年間およそ30万件の救急電話を受ける。そのうち約18,000件が一刻を争う重症患者である。ほかに約6,000件の病院間搬送をおこなう。これらの任務をパリSAMUはパリ消防局と密接な協力態勢を組んで遂行している。
SAMUは、こうした日常救急業務のほかに、いくつかの特別任務を持っている。ひとつは「ホワイト・プラン」と呼ばれる大災害のための緊急医療計画である。たとえば1986年パリ市内でテロによる爆弾事件が起こったとき、この「ホワイト・プラン」が発動された。次いで1995年にも実行されたが、この災害医療計画は消防当局の「レッド・プラン」や警察の緊急対策と連動して遂行される。
「ホワイト・プラン」の目的は、大災害の現場で大量の怪我人に対して迅速な手当や治療をおこなうことである。SAMUが災害の発生を知り、「ホワイト・プラン」の発動を決めたならば、移動医療チーム(MICU)は直ちに現場へ派遣される。そして死傷者の人数と、その程度を把握し、消防隊と連動して救助活動に当たり、トリアージをおこなう。
トリアージとは患者の振り分けである。怪我の程度によって負傷者を選別し、生命の危機に瀕している患者を最優先に取り扱う。MICUの各チームは分担して患者の治療に当たる。治療は現場で、安全な囲いをつくった場所でおこなわれる。これがプレホスピタル・ケアである。このケアが終わったのちに、患者は救急車かヘリコプターで指示された病院へ搬送される。
SAMUからの予告を受けた病院では、患者の症状に合わせた治療の準備をして、到着を待つ。そして患者が到着するや、そのまま集中治療室に入れる。もしくは軽傷者であれば緊急治療室に入ってもらう。
患者を連れてきたMICUの救急車と医療チームは、再び現場へ戻る。こんなとき、パリSAMUだけでは手に余るような災害であれば、パリ周辺のSAMUの応援を受ける。
パリSAMUの、もうひとつの特別任務はフランス外務省の依頼によって、国外にいる外交関係者の医療相談を受けることである。また外務省からの要請があれば、SAMUはいかなる国へも飛行機を飛ばし、定期便を利用して、外交官はもとより一般市民もフランス本国へ移送するための手配をおこなう。
国際的な患者搬送に使える救急専用機は、ビーチ・キングエア200、ファルコン10、20、50などがルブールジェ空港にあって、いつでもチャーターすることができる。
またSAMUは、エールフランスなどの国際定期便の機内で発生した急病人にも対応する。そのためにはパリ国際空港の無線機を使って、メディカル・ディスパッチャーが航空機と連絡を取り、機内の乗員や乗り合わせた医師に、どのような応急処置をすればいいか助言を与える。これによってフランスの航空会社は、世界中のどこを飛んでいても医学上の的確な助言を受けることができる。
さらに、外国で大災害が発生した場合も、フランス政府の要請があれば、SAMUはその国へ医療ミッションを派遣する。たとえば1985年のメキシコシティの地震に医療チームを派遣したし、同じ1985年にコロンビアへ、86年にエルサルバドルへ、89年にブルンディへ、90年にルーマニアへMICUを派遣した。
こうして、医療上の緊急事態に対応するためにつくられたSAMUは、フランス国内はもとより国際的にも活動の幅を広げてきた。SAMUにとって、もはや国境はない。今や世界中の緊急事態に対応し、みずからの集中治療能力を全世界に広げつつある。
最後にようやく、本題のヘリコプターについて書く段階になった。
SAMU傘下のヘリコプターは、予備機を含めて37機だそうである。これが36か所の病院を拠点として救急待機をしている。ただし11か所は季節的なものである。機種はほとんどAS350だが、2機はAS355、1機はベル単発機である。
これでは全国100か所以上のSAMU区域に対して足りないようだが、パリ周辺のように7区域で1機を共用するなどの工夫をしている。もちろん決して充分ではないから、パリSAMUのようにあらかじめ消防やジャンダルマリー(軍警察)と協定を結び、必要なときは出動を依頼する仕組みをつくっている。しかし外部へ依頼したときも、全体の統括はあくまでSAMUがおこない、現場でもMICUの責任者である医師が指揮を執る定めになっている。
なお、SAMUのヘリコプターは夜間飛行はしない。ただし、どうしても夜間に飛ばなければならないときは、軍警察の機体がそれをおこなう。したがって、夜間の現場救急は原則として救急車でおこなうし、夜間の病院間搬送は救急車か固定翼機を使用する。
1995年、ヘリコプターの救急出動実績はフランス全土で20,839回であった。このうち47.5%が救急現場への飛行であり、52.5%が病院間搬送である。また20,839回のうち、消防および軍警察の応援出動が7,717回(37%)であった。したがって、残り13,122回がSAMU傘下の病院拠点ヘリコプターの出動である。こまかい実績は下表の通りだが、どのフライトにもSAMUの医師と看護婦が搭乗していた。
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SAMUヘリコプター |
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消防ヘリコプター |
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軍警察ヘリコプター |
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合 計 |
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これらSAMU機の飛行実績は、救急現場への飛行が平均33km、病院間搬送が81kmだった。また1機当たりの年間飛行時間は平均305時間である。
SAMUのヘリコプター37機のためにかかった運航費は、1995年の実績が総額6,040万フラン(約12億円)であった。このうち58%はヘリコプターが配置されている病院が負担した。あとは24%が搬送を依頼した病院の負担、16%は自治体の負担、残り1.5%は寄付である。
私はエア・アンビュランス国際会議でSAMUの講演を聴いた翌日、パリ航空ショーに出かけた。すると会場の一角に、「SAMU」と大書した純白のヘリコプターが展示されていた。近くSAMUに引渡されるEC135である。機内にはすでに患者搬送用の担架を初め、救急医療器具が装備されている。
たしかに現在、SAMUはこれだけの活動をしながら、保有機はほとんど全て小型単発機である。これでは救急機としての使い勝手にも限度があろう。そろそろ、もっと大きな双発機が必要になる時期である。それに欧州統合の航空当局(JAA)も救急ヘリコプターは双発にすべきだという要求を出している。
繰り返しになるが、フランス救急システムの特徴は第1に医師が主体であること、第2に病院搬入以前の治療――プレホスピタル・ケアに重点を置いていることであった。その基本思想を進めて行くには、もっと多くの高性能ヘリコプターが必要であろう。
その中で新しいEC135はすぐれた救急専用機として、人の生死を分ける危機管理の第一線に立ち、医師や患者の搬送に活躍するのであろう。私は機内装備の説明を聞きながら頼もしい心強さを感じた。
(西川渉、『航空情報』97年10月号掲載)