<Helicopter Japan>

医療主導の救急体制
――フランスSAMU救急システム――

 

 救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)は今から16年前、1999年8月に発足した。その2年後の2001年4月、私はこのNPO法人に参加し、及ばずながらボランティア活動を続けている。

 同じ年の11月、HEM-Netでは虎ノ門ニッショーホール(日本消防会館)で国際シンポジウム「ヘリコプター救急のあり方」を開催した。参加者は530人。これだけの大人数になったのは、半年前の4月からドクターヘリの本格的事業が正式に始まったのと、その事業を準備してきた内閣府、総務省、厚生労働省などの後援があったからと思われる。

 基調講演はパリのアンリ・モンドール病院から来ていただいた救急医のキャサリン・ベルトラン先生。彼女の話の内容はフランスの救急医療に関するものだが、その要旨は次の通りであった。

医師が先頭に立つ

 ……フランスの救急医療はSAMU(サミュ:Service d'Aide Medicale Urgente)と呼ばれる政府機関によっておこなわれています。これは1986年の法律によって創設された組織ですが、それ以前から麻酔と集中治療の専門医たちが長年にわたって、緊急事態に陥った患者さんのもとへ走り、その場で直ちに治療に着手すれば、如何に大きな救命効果をあげることができるかを実証してきました。その努力の結果が法律制定に結びついたものです。

 SAMUができたことで、医師は病院の中で漫然と患者の来院を待つのではなく、みずから現場へ出て行くようになりました。今日ではSAMUはさまざまな種類の緊急事態に対応し、救急治療開始までの時間短縮に貢献しております。

 このような病院前治療はSAMU発足から25年にわたっておこなわれてきました。それによって救われた人命の価値と医療費の節減はフランス全国105ヵ所に設けられたSAMUの経費を上回って余りあり、その活動は医療面ばかりでなく、経済的にも費用効果が高いものと認められています。

 フランスの救急専用電話は「15」番です。この電話を受けるのは各地のSAMU救急指令センターです。そこでは対応手段としてどんな形が有効かを考え、救急隊の人員構成、移動手段、搬送先の病院などを選定します。ときには軽症の場合、電話に出た医師が助言するだけで終わることもあります。

 私どもアンリ・モンドール病院は、こうした救急体制によってパリ市内と郊外の1,000万の人びとを対象として救急活動を展開しております。使用するのは救急車やヘリコプターですが、ヘリコプターは民間運航会社から救急医療装備をした専用機を3年とか5年契約で借り上げ、年間600〜700時間の飛行をしております。

 SAMU指令センターは病院の中にあります。当然のことながら1日24時間休みなく救急電話に対応していますが、ヘリコプターは原則として夜は飛びません。ただし、ヘリポートには夜間照明設備があるので技術的には可能ですし、どうしても夜間飛行が必要なときは軍のヘリコプターに出動を依頼します。

 なお、SAMUでは普段、日常的な救急以外に、災害医療などの研究もしています。つまり多数の死傷者が出るような大火災、爆発事故、建物倒壊、交通事故、列車事故、航空事故、化学工場の事故、テロや暴動などもSAMUの対応すべき対象となります。

 したがって救急電話に対応する医師は、大災害時の医療についても訓練を受けていなければなりません。さらに自らも現場に行って、傷病者の治療にあたることがあります。すなわち指令センターの医師は、救急出動について全責任を持ち、医療効果についても責任を持って仕事をしています。……


HEM-Net国際シンポジウムで講演する
キャサリン・ベルトラン先生

ヘリコプターと救急車が一緒に待機

 ベルトラン先生の講演概要は以上の通りだが、実は、この講演に先立つ半年前、私はHEM-Net調査団5人の1人としてアンリ・モンドール病院を訪ね、SAMUの活動ぶりを実地に見学した。

 この病院はパリ南東部に位置し、1983年フランスで初めて救急ヘリコプターを使い始めた。門を入ってゆくと、大きな建物の前庭が広い駐車場になっており、その一部を覆うようにして病院の3階と同じ高さにヘリポートが構築され、そのヘリポートに向かって本館3階から空中廊下が伸びている。

 廊下の両側にはいくつかの部屋があって、その一つが会議室。われわれはそこで、SAMUヘリコプターの活動について上記ベルトラン先生からレクチャーを受けた。会議室の隣は救急電話15番を受け、SMUR(スミュール:Services Mobiles d’Urgence et de Reanimation)と呼ぶ実働部隊の出動を指示する指令センター。8人の職員が電話機を前にして待機していた。この中には医師や看護婦も含まれ、症状に応じて対応する。医師が直接電話に出なければならないような重症の事例は、かかってくる電話の1〜2割ということだった。

 ほかに廊下に沿って、ドクターやナースなどの医療スタッフ待機室、パイロットなどの運航クルー待機室がある。緊急出動時には各人が部屋を飛び出し、廊下を走り抜けたところがヘリポートという構造である。ヘリポートにはヘリコプターばかりでなく、救急車、ドクターカー、スピードカー、指令車など大小いくつもの車が一緒に待機している。ドクターカーはMICU(動く集中治療室)とも呼ばれ、車内で緊急手術ができる。

 またスピードカーは多少の医療機器や医薬品と共に、医師だけが乗っていち早く現場にゆき、傷病者の治療に当たる。それが終わる頃に救急車が到着し、患者を乗せて戻るという仕組みである。

 このスピードカーには、私もアミアンというフランス北部の町でSAMUを訪ねたとき乗せて貰ったことがある。パリへ戻る駅まで送ってくれたのだが、ドクター自ら運転し、サイレンこそ鳴らさなかったけれども、頭上には青い警光灯がつき、指令センター、病院、警察などと交信できる無線機がついていた。

 アンリ・モンドール病院では、われわれが到着して、まだレクチャーが始まらないうちにヘリコプターのエンジン音が聞こえた。それを聞いて急ぎ廊下の先端へ向かい、ヘリポートに出てみると、早くも白い塗装のEC135が着陸帯の上に浮いている。

 あわててカメラを構える。胴体に大きくSAMUと描いた機体がホバリング状態でゆっくりと斜め後方へ、後ずさりでもするように高度を上げてゆく。カテゴリーAの離陸方式だ。病院の周辺には市街地が広がり、不時着できるような場所がないことから、エンジン停止の場合は元のヘリポートに戻ることを考えた離陸方式である。こうして充分な高度を取ってから、機は前進飛行に移り、救急現場をめざして速度を増しながら飛んで行った。


アンリ・モンドール病院のヘリポートを飛び立つSAMU救急機

拠点追加と2人乗務の問題

 さて、このようなSAMUはフランス全土100ヵ所以上に点在する。そのうちヘリコプターを使っているのは40ヵ所。ほとんどは民間ヘリコプター会社からチャーターした救急専用機だが、数ヵ所は軍警察や内務省保安局のヘリコプターを使っている。

 フランスの本土面積は、日本の1.4倍である。日本のドクターヘリが現在46ヵ所に配備されていることから見て、フランスの配備数は少ないようにも思える。たしかに、今の拠点数は少ないという意見もあって、特に医師たちは、もっと増やすべきだという考えが強い。けれども費用は全て公的負担になっているせいか、政府当局が抑えているらしい。

 もうひとつ現在、パイロットを2人乗務にすることでも論議がある。欧州航空安全局(EASA)が2年ほど前から、救急ヘリコプターに2人乗務を要求しているためだ。これに対し、フランス航空総局(DGAC)は柔軟な考えを示し、今すぐ2人にしなくてもよいとしている。それに病院もヘリコプター運航会社も、2人乗務は費用がかかりすぎるので、できればやりたくない。しかし乗員組合は副操縦士の同乗に賛成している。

 そこへフライト・ドクター協会(AFHSH)が乗り出し、副操縦士の代わりに、ドクター、ナース、もしくはパラメディックなどの医療スタッフを運航補助者として訓練し、2人乗務の代役を務めるようにしてはどうかと提案している。DGACも、これならばEASAの要求に適合すると見ていて、ヘリコプター会社も賛同している。ところが逆に、乗員組合は反対の姿勢で、飛行に関する仕事を素人にさせるわけにはいかない。2人目の乗員もパイロットが務めるべきだと主張している。

 このような論争がフランスでおこなわれている現在、日本ではご承知の通り、ドクターヘリの始まった15年前から整備士が機長の横に坐って運航補助者の役を果たしてきた。その役割は、主として外界(障害物)の見張り、計器類の監視、航法の支援、無線連絡などだが、これでパイロットの2人乗務に匹敵する効果を挙げ、飛行の安全にも大きく貢献しているといってよいだろう。

 それをフランスの場合は、ドクターが率先してやるというのだ。ここにも医師が救急活動の先頭に立つという積極性が現れている。なお、フランスの救急ヘリコプターは、40ヵ所の出動が年間平均400〜500件と思われるが、1997年以降、事故を起こしていない。


ヘリポートの横でヘリコプターと共に待機するSAMUのドクターカー

ダイアナ妃の痛恨の事故

 ところで、SAMUには痛恨の一事がある。かの英国ダイアナ妃の事故死を助けられなかったことである。この問題は未だに尾を引いていて、あれは本当に助からない事故だったのかという疑問が時折り蒸し返される。

 事故が起こったのは1997年8月31日になったばかりの深夜0時25分。ダイアナ妃と恋人のドディ・アルファイド氏がパリのリッツ・ホテルで最後の食事をしたのち、裏口からベンツで出発した。それに気づいた多数のパパラッチがバイクやスクーターで後を追い、時速150キロ前後の高速でセーヌ川沿いを走ってアルマ・トンネルに入った。その直後、車はコンクリートの柱に激突する。運転手が酒を飲んでいたらしい。結果としてアルファイドと運転手が即死。前席右側に坐っていたボディガードは重傷を負いながらも座席ベルトとエアバッグで助かった。

 そして座席ベルトをしていなかったダイアナは、即死ではなかったものの胸を強打したほか、前額、腕、大腿に傷をつくり、肩の骨が外れた状態で、2つの前席の間に頭を突っこみ、つぶれた車の中で体をはさまれていた。それでも何かうめくような声でドディの名を呼び、「神さま」とつぶやいていたという。

 そこへ、事故から何分も経たぬうちにやってきたのが、たまたま通りかかった医師だった。その医師は救急の経験があり、見たところ運転手とアルファイドは明らかに死亡、前席の男は誰かが助けようとしていたので、後席のブロンドの女性に向かった。無論その女性がダイアナ妃であることは知らない。また内臓の損傷がどの程度か分からなかったが、外見では助かる見込みがあるように思えた。しかし、そこでできることは、頭の向きを変えて呼吸がしやすいように姿勢をととのえることくらいであった。

 それから医師は、15番に電話を入れ、負傷者の状況を詳しくSAMUに伝えた。ほかにも通りかかった人が事故の通報をしていた。

 最初に到着したのは軍の緊急サービスで、事故から7分後だった。15分後の12時40分にはSAMU救急隊も到着した。SAMUの医師がダイアナの体を動かすと、彼女は悲鳴をあげるばかり。医師はすぐに点滴を始めた。

 しかし救急隊が車体をこじあけ、ダイアナを引っぱり出そうとしている間に心肺停止が起こった。直ちに気管挿管をして人工呼吸器につなぎ、外部から胸部マッサージをして心臓の再鼓動をはかった。そうしながら、ようやくダイアナを車から出し、MICUに移し、詳しい検査と処置をした。しかし心臓は止まったままで、ダイアナの状態はますます厳しいものとなり、医師たちは懸命に蘇生処置を続けた。

疑問の提起とウィリアム王子の心境

 こうした救急処置に対し、あとになって疑問が呈された。事故の現場で無駄な時間をかけすぎたのではないか。すでに大量出血が起こっていることから、あとは早く病院へ搬送し、損傷した内臓の治療に当たるべきではなかったかというのである。

 にもかかわらず、SAMU救急チームはトンネルの中で1時間近く処置を続けた。その間、血圧は大きく下がったが、医師たちは誰もその原因が内蔵出血によることを考えなかった。そして午前1時半になって6キロ余り先の病院へ、カタツムリが這うようにゆっくりした速度でダイアナを搬送した。救急車の振動やブレーキ操作が患者に悪影響を及ぼすのを恐れたためである。こうして、通常ならば5〜10分で着くところを、ダイアナを乗せた救急車は40分かかってたどり着いた。しかも病院の手前数百メートルのところで再び血圧が下り、応急処置をすることになって、しばらく停車せざるを得なかった。

 かくしてダイアナがERの手術台に寝かされたのは、事故からおよそ1時間45分後のことである。しかし患者はまだ生きていたし、心臓も動いていた。体の表面にもさほど大きな傷は見えなかった。けれどもレントゲン検査によって、体内には多量の出血があり、そのために心臓と右肺が圧迫され、萎縮していることが判明した。

 さらに病院到着から10分もたたないうちに、ダイアナの心臓は再び停止する。医師はすぐに大量のエピネフィリンを直接心臓に注射し、開胸手術をおこなった。その結果、出血の原因は左肺の静脈破裂であることが分かった。直ちにそこを塞いで出血を止める。しかし、それから2時間近いマッサージと心臓再開のための電気ショックなどを続けたものの、午前4時ダイアナの死亡が確認された。

 以上のような経緯は、ダイアナの事故に直接かかわった関係者の証言をまとめたものだが、これに対して世界中の医師たちがさまざまな意見を述べている。それが一種の論争になり、患者が助かるためにはどうすべきだったのか結論は出ていない。それだけにSAMUの悩みも消えないのである。

 あれから20年近く経って、ダイアナ妃の遺したウィリアム王子が今年7月、英国ケンブリッジ空港を拠点に救急ヘリコプターのパイロットとして飛び始めた。その心の奥には、人びとの努力にも拘わらず、ついに救われなかった母の霊を慰める気持があるのではないだろうか。王子の心境が分かるような気がする。

(西川 渉、2015.10.20、ヘリコプタージャパン誌2015年8・9月号掲載) 


英アングリアン・エア・アンビュランス機の操縦にあたる
ウィリアム王子(背中にPILOTの文字)

    

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