自衛隊が出動するとき

 

 先頃、北朝鮮の潜水艦が韓国領海で漁網にひっかかって逃げられなくなり、乗組員全員が自決するという陰惨な事件が起こった。幸いにして侵略とか戦争といった大きな問題にはならず、一応の決着を見たかに思われる。同じような事件は1996年9月にも起こっているが、これが日本で起こったならばどうなるか。それを小説の形で考えたのが『宣戦布告(上・下巻)』(麻生幾、講談社刊)である。

 この本を読んで、私は、北朝鮮潜水艇事件が起こる前だが、次のような感想を書いて『WING』紙(98年6月10日付)に掲載して貰った。その直後に似たようなことが現実になったので、ちょっと吃驚したところでもある。

 これはフィクションである。決して現実のドキュメントではない。けれども極めてリアリスティックに書かれていて、どこまでが本当で、どこから先が小説なのか、よく分からなくなってくる。

 テーマは敦賀半島に漂着した北朝鮮の潜水艦とその乗組員に対して、日本政府がどのような対応をしたかという、ほぼ1か月間の動きである。その間、北朝鮮の諜報員が暗躍し、若い女性に籠絡された政府高官を巻き込んで、日本側の重要機密が奪われてゆく。その諜報員を追う警視庁公安部の係員たち――といえば、よくあるスパイ小説のようだが、真の主人公は総理大臣諸橋太郎、官房長官篠原義章、自民党幹事長岡本雅洋など、名前は少しずつ変えてあるが、実在の人間をそのまま思わせる人物たちである。

 たとえば諸橋首相は、いつも眉間にしわを寄せ、険しい顔つきで記者団を無視するように足早に歩き、声をかけられるとこめかみの血管がピクッと動いて、「事件? キミは事件という言葉の意味を理解しているのか。……キミの稚拙な質問に答えるような口を私はもっていない。……政治部長にな、キミ以外の記者をよこしてくれと言ってくれ」などと嫌味を言い、「キミがそう思っているのなら、そう書けよ」と言い放ったりする。

 その諸橋が首相官邸で官房長官と対応策を練っているところへ、社民党の西宮里枝党首から電話がかかってくる。

「オバサンからだよ、こんなときに」

 諸橋がブツブツ言いながら電話を取ると、受話器からは聞き慣れた甲高い声が飛び込んできた。

「総理、……お察し申し上げます。ところで自衛隊の治安出動とか防衛出動とか……官邸がまさか愚かなことを考えていらっしゃるわけではないでしょうが……その歴史的な重みは当然、お分かりでしょうね。……万が一、治安出動にしろ防衛出動にしろ、もしご決断されるようなことがあれば、わが党は必ず連立を解消するでしょう」

 まったく吹き出したくなるようなリアリズムである。自由党の近藤一郎党首も仲間内ではイッちゃんと呼ばれ、自民党の中には「近藤だけは絶対に許さない」と思っている幹部も多いとか。

 また自民党総務会では、自衛隊の出動をめぐって幹事長がつるし上げを食い、集まった議員たちが勝手に議論をはじめ、ヤジと罵声が飛び交う。

「ベテラン議員の政調会長は、いま目のあたりにしている光景が信じられなかった。ひと昔前なら、自民党はこんなていたらくにはならなかったはずだ。幹事長の発言力は絶対であり、会議の席で真っ向から立ち向かってくるような度胸のあるヤツはいなかった。それが何だ、これは。幹事長の権威はここまで落ちたのか。……国家の安全保障上の重大な問題に対して、いつの間にこんな腰抜けになってしまったのか」

 と書かれている。しかし、何を書かれようと、本書は飽くまでフィクションである。フィクションに向かって、おかしいとか怪しからんとか、文句をいうのは難かしいであろう。

 かくて事態は進行し、潜水艦から逃げ出した11人の北朝鮮兵を追って山狩りに入った警官隊は、まず投降を求めよとか、相手が発砲するまで待てとか、手かせ足かせをはめられながらも、彼らを追いつめた瞬間、対戦車ロケット砲で全滅する。

 官邸では、首相を中心に官房長官、警察庁長官、防衛庁長官、内閣安全保障室長、情報調査室長、警備局長、防衛局長、内閣法制局長官などの論議が繰り返される。しかし警察に代わって、自衛隊が出動するという決断はなかなかできない。議論の裏には、政治家たちの腹の中にこの機会を自分なりに利用したいという思惑があり、官僚もまた出世の道筋を狂わせたくないという気持から無難な発言しかしないからであり、法律論が優先するからである。

 その結果はどうなるか。現地では一般市民も含めて犠牲者が増えて行き、ようやくのことで自衛隊が出動することになる。それからがまた一と騒動だが、陸上自衛隊からは地上部隊6,200人のほかにAH-1ヘリコプター飛行隊、海上自衛隊からもイージス艦「みょうこう」を旗艦とする第3護衛隊群とSH-60J対潜ヘリコプターやP-3C哨戒機が出て海上警備に当たる。

 しかし出動部隊に対しては、こちらから発砲してはならないとか、撃っても威嚇射撃だけといった厳命が出されている。そこへ「戦闘服姿の5人の男が飛びだしてきた。……敵だ! 撃つか。撃たないか。どこに威嚇射撃すればいいんだ」。咄嗟の判断に迷って立ち尽くしている間に、敵のAK47が火を噴き、7.62ミリ弾が隊員たちを倒してゆく。

 それでも攻撃命令が出ないのは、その場にいた小隊長が即死したからだが、その報告を受けた中隊長は連隊長に指示を求め、ついに防衛庁長官を経て首相官邸にまでたどり着く。それに対する首相の返事は「もう少し死者の数が明確になってから判断しよう」というもので、そのどうでもよい回答が現場に戻ったのは2時間後であった。

 むろん戯画ではあるが、阪神大震災でも空中消火をするかどうか、現地の消防隊が一と晩がりで官邸の指示を待っていたように、同じようなことは現実にも多い。小説では、自衛隊の出動を知った北朝鮮が、金正日総書記の声明によって日本を非難する一方、全軍を戦闘態勢に入れ、ミグ29を日本向けに配備、潜水艦や偽装漁船を日本の近海に近づけてくる。そして中国でも人民解放軍が一級戦闘準備態勢に入り、ミサイル基地に総動員がかかり、海軍からはミサイル駆逐艦やフリゲート艦が出港して防衛ラインを敷き、スホーイ27要撃戦闘機が公海上まで進出してくる。

 そうなるとアメリカ軍も動かざるを得ない。空母インディペンデンスを台湾海峡に派遣し、F15が発着訓練を開始、三沢基地からもホークアイ2機が飛び立つ。アメリカと中国が一触即発の危機を迎えたのである。

 その様子を息詰まる思いで見つめていたカンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシア、モンゴルなども全軍を警戒態勢に置く。「それに過剰反応した隣国が臨戦態勢を敷く。恐怖の連鎖反応は、わずか半日でアジア全域に広がっていった……」

 まるでインドの核実験につづいて、それにおびえたパキスタンが核実験に踏み切り、やがてはイラン、イラクからアラブ諸国全域へ核の連鎖反応が拡大してゆくのではないかという現実の世界を見るようである。しかも日本政府は、この危機に対してなす術(すべ)を知らず、パキスタン首相へ電話で自粛を求めたり、在日大使を呼んで抗議を申し入れたりしたけれども、通り一遍のやり方で効き目のあろうはずがなかった。それに日本は唯一の被爆国といいながら、実はアメリカの核の傘の下にあるからでもあろう。

 小説でも、危機に臨んだ日本の官僚組織が法律論だけを振り回しているうちに危険はますます大きくなり、犠牲者は民宿経営の主婦、警察官2名、陸上自衛隊13名、海上自衛隊1名と増えてゆき、怪我人も多数に上る事態となってきた。

 それでも日本政府は、敦賀半島に立てこもる北朝鮮の兵士や、近海を脅かす潜水艦に対して攻撃の決断をせず、最終的な攻撃命令を出したのは、これ以上部下を死なせたくないという現場の指揮官たちであった。

 私は、この小説を3分の2くらいまで読んだとき、おそらく最後の結末は世界中を巻きこんだ第3次世界大戦の勃発につながるのではないかと予想した。本書の表題が示すように、各国それぞれに「宣戦布告」をして、大戦の中に跳びこんでゆくという事態である。些細な出来事に対して初動を誤り、処置に手間取っている間に、事態はどんどん悪い方へ拡大し、ついに世界戦争を招き、文明の滅亡へ向かうという筋書きかもしれない、と。

 ところが意外にも、小説は官僚の一人が打った奇策によって大団円を迎える。むろん現実も、このフィクションのような結末になって欲しいと思うけれども、果たしてどうであろうか。阪神大震災で露呈したわが国危機管理の欠陥は、その後のペルー大使館占拠事件でも、またカンボジアやインドネシアの暴動でも、今回の核実験の連鎖反応でも、いっこうに改善の跡が見られない。

 面白うて、やがて寂しくなるような大部の作品である。

(西川渉、『WING』98年6月10日付掲載)

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