<英エコノミスト誌>

中国の嫉富パイロット

 

 先週の英「エコノミスト」誌にヘンな記事があった。「中国の不幸なパイロットたち」という表題である。

 燃料費の高騰にあえぐ航空業界は、いま世界中で苦難の波に襲われ、どのエアラインもパイロット不足の状態にある。それだけに、どうしてもパイロットは優遇されることになる。だが中国は別だ。安い給与で一生涯をコクピットの中に手錠でつながれているかのような状態にある、というのがエコノミスト誌の見方である。

 しかし最近、中国のパイロットたちが、そんな状況に反抗しはじめた。3月14日のこと、上海航空のパイロット40人が一斉に病欠届けを出した。その2週間後、今度は東星航空の11人のパイロットが、やはり病気を理由に出勤してこなかった。数日後には中国東方航空のパイロット21人が離陸後、空港に引っ返して約1,000人の乗客を出発地に戻してしまった。具体的には離陸した空港の上を一周してすぐに着陸したり、わざわざ目的地まで行きながらタッチ・アンド・ゴーで引っ返すなどのことがあったらしい。

 いかにも中国らしい話で、労働組合を認めず、スト権も確立していないからだろう。やむを得ず、一斉欠勤という強行手段になった。それにしても乗客を乗せていったんは飛びながら元に戻るなどは、話としては奇抜で面白いが、何か遊び半分の飛行、もしくは非行のような気がする。

 そこで、このパイロットたちが手錠でコクピットにつながれているとは何のことか。エコノミスト誌はいう。パイロットになるためには当然のこと訓練を受けなければならない。この訓練と引き換えに、国営航空は生涯勤務を要求する。今まではそれでよかったが、この4年ほどの間に中国では民間航空が20社も誕生した。それらが国営航空からパイロットの引き抜きを始めたのである。

 そのため国営航空の方は、訓練費を返せというので70〜210万元(約1,000万〜3,000万円)の弁償金を求めるようになった。さらに上海航空は今週、辞めていった9人のパイロットに3,500万元(約5億円)の損害賠償を要求した。

 このあたりはお互いにつらいところで、訓練と退職の問題は中国ばかりか、われわれの身近にも存在する。日航や全日空で自社養成のパイロットとの間にどのような規約があるのか知らぬが、一定の期間が過ぎたら辞めるのもかまわないとか、訓練費を返還すれば途中で辞めてもいいなど、何か合理的な解決策があるにちがいない。

 しかし中国ではまだ、そうした取り決めがなく、したがって上のような一方的な反乱が起こったのだろう。

 エコノミスト誌によれば、中国には現在12,000人のパイロットがいるという。ほとんどは国営航空に雇用されていて、1ヵ月あたりの給与は平均およそ35,000元(約525,000円)で、安い人は10,000元(約15万円)程度。ただし長距離国際線を飛ぶベテラン・パイロットや地方の民営航空のパイロットは、その2倍くらいの収入があるらしい。

 そういう給与が中国の生活水準から見て、高いのか安いのか妥当なのかよく分からない。上を見ればキリがないが、不当に虐待されているとも思えない。

 虐待されているのは農民である。『中国の笑えない現実』(黄文雄、徳間書店、2007年12月31日)によれば、農民こそはコクピットならぬ畑に縛りつけられていて、年収500元(約7,500円)以下の人が1億人だそうである。そして800元(約12,000円)を超えると、「脱貧」といわれるらしい。

 一方、国連の基準では最貧困層が1日1ドル、すなわち年収365ドルである。その基準に達していない人は中国で5億人とも8億人ともいわれる。

 その一方で、はなはだしい富裕層も生まれている。たとえば国営企業の重役クラスは年収300万元(約4,500万円)。社長になると500万元に別荘がつくらしい。さらに上場会社の役員は、平均年収5,200〜8,000万元(約7,8〜12億円)で、中には1億元(約15億円)という人もあるとか。

 そういう状況を知れば、特に自分の勤務している航空会社の役員が高い報酬を得ているとすれば、パイロットたちも我慢ならぬという気持ちになるかもしれない。この状態を中国語では「疾富」(ジイフウ)というらしい。「疾」という字は通常、われわれ日本人は疾病とか疾患のように病気に関連して使うが、字引には「にくむ=いやなことだとしてにくみ嫌う」という動詞も出てくる。つまり金持ちを疾視して、にくみ嫌うのが疾富で、中国では近年、大金持ちが増えるにつれて、そういう社会心理が蔓延してきたらしい。

 中国航空局の集計では、現在5,000人のパイロットが不足しており、2010年までには6,500人が必要という。このため中国のエアライン各社はカナダ、オーストラリア、スペインなどへ訓練生を送りこんでいる。

 乗客を乗せたままタッチ・アンド・ゴーで戻ってくるような飛行は、まだまだ続くかもしれない。

(西川 渉、2008.4.23)

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