<スミソニアン>

主要展示機

 

 ダレス空港のスミソニアン航空博物館新館の写真から、いくつかを掲示しておきたい。いずれも余りきれいに撮れていないのは残念だが。

ロッキードSR-71A

 マッハ3を超える高速性能を持つ偵察機。航空機として最も速い飛行能力をもち、冷戦構造が生んだ最高の航空技術といわれる。

 最後の飛行は1990年3月6日。ロサンゼルスからワシントンまで米大陸をわずか1時間4分20秒で翔破し、そのままスミソニアン航空博物館に入った。平均3,418q/hの速度記録である。

 このように長時間にわたって超音速飛行をつづけるのは、コンコルドもそうだが、さまざまな困難が伴う。戦闘機などは、超音速といっても瞬間的なものだから、比較的やさしい。その意味でも、SR-71Aの記録は立派なものといえよう。

 この飛行機は、博物館の中で見ると驚くほど大きく、総重量は63.5トンというが、機体内部はほとんどが燃料で、乗員は2人のみ。エンジンはP&WJ-58(推力15,422kg)が2基。

 機体は摩擦熱を放散するために真っ黒に塗られ、「ブラックバード」の愛称を持つ。垂直尾翼にはロッキード社の秘密工場「スカンクワークス」のマークがついていた。


「スカンクワークス」のマーク

X-35Bジョイント・ストライク・ファイター(JSF)

 垂直飛行と超音速飛行の機能を合わせ持ったSTOVL戦闘攻撃機。機体内部にリフトファンを備えると共に、尾部のジェット・エンジンの噴射方向を変えて、短距離離陸、超音速、垂直着陸の3つの機能をこなす。

 ここに展示されたX-35Bは、この3種を史上初めて同一飛行の中でおこなうという「ハット・トリック」を達成した。

 ロッキード・マーチン社の開発。乗員は1人。


JSF

ボーイング367-80

 707の原型機で、「ダッシュ80」の愛称を持つ。1954年7月15日、米空軍向けのタンカー機として初飛行した。のちに空軍はKC-135として購入することになる。

 一方、パンアメリカン航空は、この飛行機を旅客機として改修するよう要求し、胴体を大きくして左右6人掛けの座席配置とした。それが707で、1957年から92年まで総計855機が製造された。747が登場するまでの航空界の花形であった。


707原型機

コンコルドSST

 機体が大きすぎてカメラに入りきれない。1976年から25年間、エールフランスと英国航空の定期路線に就航、マッハ2の速度で飛びつづけた。大西洋線は4時間弱で飛び、亜音速旅客機の半分の時間だったが、キャビンは100席のみ。ファーストクラス以上の高価な運賃でも採算が合わず、新たな発展のないまま2003年任務を終了した。

 ここに展示された機体は、エールフランスが1989年スミソニアンと交わした約束によって寄贈されたもの。2003年6月12日パリからワシントンへ最後の飛行をして、博物館入りとなった。この機体の25年間の総飛行時間は17,824時間という。


コンコルドのノーズ

ボーイングB-29スーパーフォートレス

 第2次大戦中、われわれ日本人を苦しめた爆撃機。とりわけ、ここに展示されたエノラゲイは、広島に原爆を投下した機体であり、まこと複雑な心境とならざるを得ない。

 キャビンは爆撃機初の余圧機構をもち、青空に銀翼を光らせながら悠々と本土上空に飛来、高々度から編隊を乱すことなく、各地に爆弾と焼夷弾の雨を降らせた。

 私も、まだ国民学校2〜3年生だったが、空襲警報の出るたびに押入れの布団の中にもぐり込んだり、床下に掘った防空壕に隠れたりした覚えがある。今から思うとほとんど効果はなかったのではないかと思うが、あの不気味な、唸るような編隊音は今も耳について離れない。


エノラゲイ

(西川 渉、2005.3.11)

 

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