ボーイング音速旅客機

――その3:皮肉と賛同――

 

 

  ボーイング音速旅客機の構想発表から2週間を経て、その内容が少しずつ明らかになってきた。同時に賛成論や反対論も聞こえてくる。いくつかの関連ニュースを読みくらべると次のようなことになろう。

 

 将来の航空旅客市場に関するボーイング社の基本的考え方は、先の本頁にも書いたように、集中型から分散型へ向かい、そのための機材も大型化から高速化へ向かうと見る。ソニック・クルーザーはそのための旅客機で、2006〜2008年の就航を目標としている。乗客数は175〜250人乗り。現用757および767の代わりとなるもので、飛行性能は15〜20%ほど上回り、航続性能は16,000kmに達する。

 機体形状はダブル・デルタ翼。これによって、本機は音速よりもわずかに低い速度で飛ぶことができる。しかも胴体自体は、従来の旅客機とほとんど変わらず、断面直径も前方から後方まで一定だから単純な構造ですむし、座席数を増やすときは単なるストレッチだけでよい。これは本機の将来性を保証するものといえよう。それでいて機体全体の形状はエリアルールに適合しているから、音速付近でも抵抗が急に増加するようなことはない。

 開発コストは120億ドル(約1.5兆円)程度。ちなみにA380の開発費はおよそ110億ドルと想定されている。ソニック・クルーザーの方が小さくて高いのは、高速化のためである。しかし高速だからこそ同じ区間では飛行時間が短縮され、全体の運航費は安くなるというのがボーイング社の言い分。

 もっとも、こうした発表は、747XがA380の対抗手段として計画されながら、事実上敗れ去った。その恥辱的な敗退から大方の目をそらすために音速旅客機などという架空の計画を持ち出したのではないかという疑問も出ている。

 最も手きびしいのは、皮肉屋の多いイギリス勢で、「ペーパープレーン(紙飛行機)」と呼んだのは先の本頁でもご紹介した英『エコノミスト』誌(2001年4月1日号)だが、4月9日付けの『フィナンシャル・タイムズ』紙は「ボーイング社に必要なソニック・トニック」と書いている。トニックが何を意味するか、ヘヤトニックの養毛剤のほかに強壮剤という意味もあるらしい。無論ソニックとトニックの平仄を合わせたものだが、本社の移転とリストラなど、将来に不安の出てきたボーイング社にとっては、ここで養毛剤とか強壮剤のたぐいが必要という意味であろうか。

 しばらく前まで、ボーイング社は巨人旅客機の市場を独占的に支配してきた。しかし今、A380の挑戦を受けて戦略的な混乱が生じ、そこから脱出するにはどうすればいいか。その答えがソニック・クルーザーだったのである。まことに恰好いい戦略ではある。けれども、技術的、経済的に可能かどうか、必ずしも明確な見通しが立っているわけではなく、一発勝負の賭けといった方がいいかもしれない。当たれば大きいけれども、当たらねば飛んでもないことになりかねない。「ボーイング社はここで、技術ではなくて直感に頼るギャンブラーの立場に立ったのである」と。

 これらの批判に対し、ボーイング社は無論、強く否定し、「できもしない計画を市場に持ち出したりすれば、顧客を惑わし、信用をなくすだけ。わが社がそんなことをするはずがない」と反論している。

 逆にボーイング音速旅客機は、発表以来10日ほどの間に利用者である旅客やエアライン各社から積極的、好意的な反応を得ている。

 その実現に最も大きな期待を寄せているのはビジネスクラスを利用している乗客であろう。観光団体客には従来通りのジャンボ機や新しく登場するA380超巨人機を利用して貰わねばならない。逆に企業トップや投資家、銀行家はファーストクラスに乗るか、社用ビジネスジェットを持っている。とすれば「今ビジネスクラスでラップトップを叩いているビジネスマンやパワポイントの仕上げに余念のないビジネスウーマンが対象になる」と『フィナンシャル・タイムズ』はいう。

 忙しい中堅クラスのビジネス客にとって、ボーイング社がジャンボ機の開発をあきらめ、小型ながらも高速の旅客機開発に向かうというニュースは朗報であった。したがって音速旅客機はビジネス客の多い長距離路線に適すると見てよいであろう。

 エアラインにも好意的な見方が多い。たとえば「日本からアメリカやヨーロッパへ飛ぶのに、2〜3時間の時間短縮になれば、それは旅客にとってもパイロットにとっても好都合であり、競争相手に対しても優位に立つことができる」という日本航空の金子社長の談話も報じられた。

 またアメリカン航空は「われわれはボーイング社の提案するような高速機を使いたい」としている。「このような音速旅客機によって、航空事業は大きく変わるだろう。たとえばアメリカからヨーロッパへの定期便に使う場合、現用亜音速機が1日1往復の飛行をするのに対し、音速旅客機は2往復できるから、それだけ利益も大きくなる」

 具体的にニューヨーク〜ロンドン間の場合、現用機は6時間半かかるが、音速旅客機は1時間短縮される。「そうしたことが経済的なコストで実現できるならば、われわれは音速旅客機を購入するだろう」とアメリカン航空はいう。

 デルタ航空の見方も、この飛行機をアジア路線に飛ばす場合、片道14時間かかるところが3時間、2割の時間短縮になる。「これは大きな節約だ。ただしデルタ航空として発注に踏み切るためには、もう少し詳しい話をボーイング社から聴く必要がある」

 ユナイテッド航空は大西洋線や太平洋線など、同社の長距離路線にこの音速旅客機が適すると見ている。しかし「当面は、こうした高速機やA380のような超巨人機を購入するつもりはない。今のところ長距離路線には747や777を使っていくつもりだ」という。

 英国航空は「たしかに長距離の国際線では有効かもしれない。しかし音速旅客機が成功するかどうかは、機体価格がいくらになるか、運航コストがいくらになるかということ。そのうえで航続距離やペイロードや騒音がどうなるかという点にかかっている」

 英国航空の旅客市場としては、大型機が適する路線もあれば高速機が適する路線もある。エアバスとボーイングの両者が別々の市場をねらうとすれば、英国航空にとっても好都合だ。「A380もソニック・クルーザーも両方とも検討の対象になり得る」

 こうして、最後の決め手は経済性ということになる。速度が増せば、燃費が大きくなるのは常識。それをどこまで抑えられるか。エンジンの効率をどこまで上げられるか。明確な答えを得るまでには、もうしばらく待たなければならない。

 ところで、欧州勢もエアバス社を初め、EADSや英BAEシステムズなど、かねてからボーイング機と同じような高速旅客機の研究をしてきた。

 エアバス社の場合、A380の開発に努力を集中する一方、E2と呼ぶ高速機の研究もすすめている。まだ基礎研究の段階ではあるが。大きさは250席程度の機体が有効だろうと見る。

 ただし、音速近い旅客機の設計開発は非常にむずかしい。うまくいけば面白いだろうが、コストがどうなるか。社用ビジネスマンたちは多少高い運賃でも払うかもしれないが、余り高くなりすぎると大金持ちしか乗れなくなると、高速機の開発に慎重な姿勢を取っている。

 要するにエアバス社の見方は。ボーイング・ソニック・クルーザーのような高速機は現用亜音速機にくらべて大量の燃料を食い、コストがかかりすぎて採算に合わない。下手をすると、メーカーの疫病神にもなりかねない。ボーイング機が市場進出を果たせたとしても、それは2006年に就航するA380の補完機としての役割しかないだろうとしている。

 新しい航空分野の開拓は困難の一語につきる。成功は奇蹟のようなものかもしれない。ボーイング社は、その奇蹟を実現しようという大胆な野望をもって動き出したのである。

(西川渉、2001.4.16)

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