そして、誰もいなくなった 

 

 経営学の教科書によれば、企業でも役所でも、ひとつの組織を引っ張っていくのはその中の1割くらいの人で、残りの8割は後について惰性で走っているだけ。最後の1割は、どうかすると足を引っ張ったり後ろ向きに走ったり、組織への貢献どころか害をなす類だという。

 それなら最後の1割を切ればいいではないかと思うが、いくら切っても矢張り害をなす人間が出てくる。同じように先頭の1割が倒れたり脱落しても、次の1割が出てきて集団を引っ張って行く。

 かくの如く、組織というものは実にうまく機能する。戦後、日本国という組織の指導者が、政界も財界も占領軍によって排斥されたとき、これからどうなるかと心配されたが、これまで以上に立派に復興できた。これは前の指導者がいなくなれば、必ず次の指導者が出てきて同じように、もしくはそれ以上にうまく機能するからである。

 ところが、最近の日本は、どうやら、この原理が当てはまらなくなってきたらしい。国家という組織を引っ張ってゆくべき先頭集団、たとえば国会議員や役人が疑惑と不祥事にまみれて、後向きの1割になってしまったのである。これでは国民はどっちを向いて走ったらいいか分からなくなる。

 国会議員だけの集団に限っても、本来ならば先頭の1割に入るべき議長や委員長が悪事に手を染めている始末だし、それを取り締まるべき高検幹部までが暴力団と一緒になって詐欺を働いている。これ以上論評する気もなえるほどである。

 あるいは今日(4月23日)の郵政民営化法案だが、自民党は首相を除いて全員反対らしい。よほど郵便局長の票田を手放したくないようだが、あさましいとしか言いようがない。首相は「自民党が小泉内閣をつぶすか、小泉内閣が自民党をつぶすか」と語っているが、久しぶりの小泉進軍ラッパを聞いたような気がする。やはり靖国の杜へ参拝したのがよかったのか。その意気込みを今後とも続けて貰いたい。

 昔、夏目漱石は今夜うちへきてくれというような連絡をはがきで出したとか。当時の郵便配達は電報のように速かったのである。ところが今の郵便は、東京23区内でも今日出した郵便が明日着くとは限らない。漱石の頃の初心を忘れてすっかりだらけ切っているから、急ぎの郵便や明日が締め切りという入学願書、申請書、原稿などは、決して郵政省にはまかせられない。

 ご存知かどうか、サンシャイン・ビルなどは配達もしてくれない。地下の郵便局へ、こちらから取りにゆかねばならないのだ。切手代をまけろと言いたい。そこへゆくと宅配便などは、電話1本でこちらの部屋まで取りに来てくれるし、配達もしてくれる。明日の10時までといえば、その時間に先方へ届けてくれる。よく聞くのは山間僻地へ届けられるかという議論だが、そんな少数例外を持ち出すまでもなく、郵政省は大都会の真ん中ですら配達しないのである。

 今や代議士連中は先頭を走る1割ではなく、後ろ向きに走る1割になってしまい、野党までが郵政改革に反対だそうだから、レゾン・デートルもなくなった。参議院を廃止して、衆議院も半数程度に縮小すればよほどすっきりするであろう。法案審議も証人喚問も党首討論も、もっと小じんまりと、しかも国民をうならせるようなやりとりをして貰いたい。

 テレビ・ニュースを見ながら、そんな憤慨をしているところへ、山野さんからアメリカの最近の論評が送られてきた。矢張りアメリカでも、組織を引っ張って、まともに働くものが減ってきたというのである。内容は次の通りである。

 アメリカの人口は2億7,300万人である。そのうち1億4,000万人は引退して年金生活をしている。残りは1億3,300万人だが、8,500万人は学校に行っている。したがって働いているのは4,800万人になる。

 けれども2,900万人は政府の職員である。とすれば実際に生産的な活動をしているのは1,900万人しかいない。ところが280万人は軍隊にいて、タリバン退治に忙しい。まともに働いているのは1,620万人かと思ったら、1,480万人は自治体の職員だった。

 残りは140万人と思いきや、188,000人は入院中である。元気なのは1,212,000人だが、今日現在、刑務所や留置場の囚人は1,211,998人だそうである。

 とすれば残りは2人――このジョークを書いている私と、それを読んでいる貴殿です。

(害無笑、2002.4.24)

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