左利き矯正法

 

 先日読んだ本にロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ、ビル・クリントンという3人のアメリカ大統領の共通点は何かという問題が出ていた。答えは3人とも左利きというのだそうである。

 何しろアメリカの大統領は左利きが多くて、レーガンの前のカーターは右利きだけれども、その前のフォードは矢張り左利きだったらしい。またクリントンがこのまま2000年まで大統領を務めれば、連続20年間にわたって左利きの大統領が続くことになるとか。

 しかし、今の社会はどうしても、左利きにとって不便である。電車の自動改札口でも、右手で切符を持って右側の穴に切符を差しこまなければならない。左利きの人は切符を買ったときについ左手で受け取り、そのまま左側の穴に差し込んでしまう。すると、左側の改札が開いて、自分の通り道はふさがったままという悲劇が起こる。

 わが箱入り女房は右利きであるにもかかわらず、うっかりして左側の機械に切符を入れて、行く手を塞がれてしまったことがある。これは外出の機会も少なくて、自動改札に不慣れの余りの喜劇である。

 

 私も実は左利きである。そのせいかどうか、左ギッチョには偏見がある。テレビ・ドラマを見ていると、ときどき左手でご飯を食べるシーンがあるが、あれは妙に気になる。ドラマの主人公が左利きという設定になっているのか、役者自身が左利きなのか、よく分からない。特に時代劇などで歴史上の人物が左手で箸を使っているのを見ると、それが歴史的な事実だったのかどうかといった疑問がわいてくる。

 それに左手の食事はどこか気持が悪い。グルメ番組で、味の探訪をしている主人公が左手で食べながら「うまい」とか「とろけるようだ」とか「口いっぱいに味が広がる」などと、貧しい語彙を総動員してお世辞を言っているが、ちっともうまそうには見えない。

 左利きで困るのはインドネシアである。仕事の都合で延べ1年間くらい出張したことがあるが、イスラム教の国では左手は不浄の手ということになっている。だから左手でものを渡したりしたらいけないといわれたが、買い物をしたときのお金などはつい左手で渡してしまう。

 ホテルやタクシーのチップなども、うっかり左手で渡すことがあったが、相手は怒りもせずに取った。「そんな不浄の金は受け取れない」といって、受け取りを拒否されたら、儲けものだったのだが。

 

 最近は左利きの子どもを無理に右利きへ矯正すると、精神的な影響があるとか頭がおかしくなるといって、余りやらぬようである。医学界では、どういうアドバイスをしているのか知らぬが、実は簡単に矯正することができる。

 これは私の体験で、私も当時の国民学校へ上がるまでは左利きだった。食事も文字も絵を描くのも全て左手を使っていた。しかし、いよいよ学校へ上がることになって、このままではみっともないと考えたのは自分ではなくて親の方だが、父が医者仲間の誰かから左手を三角巾で吊ればよいという話を聞いてきたらしい。

 あたかも骨折したかのように三角巾で左手を吊るのである。このとき左手の先は握りこぶしにして包帯でぐるぐる巻きにしておく。そうすると左手が使えないから、ご飯も文字も絵も、自然に右手が出る。これで、私の場合は1週間足らずで右手を使うようになった。ただし野球のボールを投げるのは今でも左利きで、バッターボックスも左打ちである。

 こうした左利きの矯正で別に頭がおかしくなったとも思えぬが、よく考えてみると多少は狂ったかもしれない。というのは、気違いは自分では気違いとは思っていないからであり、自分でもいささかつむじ曲がりだと思うところがある。

 それに学校は、人なみに大学を出ることができたが、卒業後はせっかく人事院から国家公務員の上級職試験(行政職)の合格通知を受けながら、それを蹴飛ばしてベル47がわずか5〜6機しかなかった貧乏なヘリコプター会社に就職してしまった。これも頭が狂っていた証左であろう。あの頃、正常な考え方ができていれば、霞ヶ関のエリート・コースに乗って大いに権力を振り回し、賄賂を貯め込んで、今頃は大手航空会社に天下っていたものをと、悔やまれてならない。

 逆に、アメリカの大統領の座に20年も続いて左利きの人物が坐っているのは、彼らが左利きの矯正を受けなかったためかもしれない。それならば私の体験した矯正が正しかったのかどうか、だんだん自信がなくなってくる。

 けれども矢張り、私は左利きは矯正した方がいいと考える。学校に上がる前のお子さんが左利きならば、是非、左の利き手を三角巾で吊ってみることをおすすめしたい。そうすれば将来、右利き社会で不便な思いをしなくてすむばかりでなく、左手の機能もそのまま残るから実際は「両手利き」になって、右手の鉛筆で文字を書きながら左手の消しゴムで消したり、右手の鉛筆で下描きをしながら左手の絵筆で色を塗ったり、なかなか便利で器用な動作が可能になるからである。 パソコンのキーボード操作だって楽になるであろう。

 (西川渉、97.6.7)

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