<ストレートアップ>

多発するアメリカの救急飛行事故


ミネアポリスの紅葉

 10月下旬のミネソタ州ミネアポリス。住宅地は美しい紅葉に彩られ、ダウンタウンに屹立する高層ビルを背景に、静かで落ち着いた景観が広がる。ミシシッピ大河の源流と排気ガスの少ない大気が相まって、全米随一の長寿の州。教育レベルや生活水準が高く、犯罪は少ないというのが市民の誇りである。

 そんなミネアポリスで、今年のアメリカ航空医療学会AMTC08が開催された。3日間の参会者は世界各国からおよそ2,600人。160題を超える講演や研究調査の結果が発表されたが、人びとの注目を集めた主題は、町の穏やかな景観とは逆に、多発するヘリコプター事故に伴う恐れといらだち、それを如何にして防ぎ抑えるかという課題であった。

 昨年秋のAMTC07では、それまでの1年近く救急ヘリコプターの死亡事故はゼロだったことから、誰もがひと安心という気持ちを持った。ところが、それから1年、シカゴ大学のアイラ・ブルーメン教授によれば11件の死亡事故が発生、30人が犠牲になったという。うち5人が救急患者であった。

 このことを重視したNTSB(米運輸安全委員会)はAMTCの会合に4人の担当官を送りこみ、その考え方を披瀝すると共に、フロアからの質疑に応じた。NTSBによると、2008年に入ってからの死亡事故7件で、死者28人という由々しき事態に立ち至った。07年の死者7人、06年の4人にくらべて急に悪化したことになる。

 では、この事態に如何なる手を打つべきか。どんな対策があるのか。NTSBは2006年の「特別調査報告書」による勧告について再確認を求めた。その勧告とは、救急飛行は旅客輸送に準ずる条件でおこなうこと、気象条件やパイロットの休息時間を遵守すること、飛行計画にあたってはリスク評価を組織的におこなうこと、出発の可否を科学的に判定すること、対地低空警報装置(TAWS)および夜間暗視装置(NVIS)を装備することである。

 NTSBの見解では、たとえば救急飛行が旅客輸送に準じておこなわれていれば、2005年まで4年間の固定翼機による14件を含む55件の事故のうち35件は避けられたはず、リスク評価がきちんとなされていれば55件中14件は避けられたはず、出発手続きが正しければ11件は避けられたはず、TAWSをそなえていれば17件は避けられたはずという。


NTSBの係官4人との安全論議

 救急機の安全に関する現状は、社会的にもとうてい容認できるものではない。しかし一方で、アメリカの救急飛行は年間40万人の傷病者を救うという、きわめて重要な任務を果たしている。それだけに夜間でも未知の場所で発着したり、多少の悪天候でも無理に飛んだり、単なる旅客輸送では考えられないような飛行をすることになる。

 その危険性を如何にして克服するか。その対策のために、NTSBは2009年2月ワシントンで救急機の安全に関する3日間の公聴会を開くことになった。出席者はパイロット、医師、救急プログラム管理者、FAAなどで、救急飛行の仕組み、運航のあり方、安全装置、訓練、法規などについて具体的な証言を求め、討議するという。

 こうした対策はNTSBばかりでなく、3年ほど前から国際的にも関係団体や業界あげて、さまざまな取り組みがなされてきた。その結果かどうか、2007年は一挙に事故が減ったことは上述のとおりだが、08年になって元の黙阿弥どころか、さらに悪くなった。

 その直接の原因はともかく、背景にあるのは近年の救急ヘリコプターの急増であろう。2004年夏に全米546ヵ所のヘリコプター救急拠点は今年夏までの5年間に699ヵ所まで3割増となった。

 この増加分の中には、救急事業に不慣れな企業や人員の新規参入もあったはず。同時に競争も激化したであろう。不慣れなままで、つい無理をするようなことも多かったに違いない。


AMTC会場に展示された小児病院のヘリコプター

規則や管理だけでは防止できない

 救急機の事故を防ぐために、いまNTSBやFAAは規則の強化と管理、監督、検査の徹底、そして電子的な安全装置ばかりを考えている節がある。しかし、それだけでは必要条件を満たすに過ぎない。つまり十分条件が欠けているのだ。

 十分条件とは何か。たとえば新規参入のパイロットは、如何に経験豊富なベテランといえども、仕事そのものに習熟するまでは、当然のこと新人パイロットとして扱うべきである。したがって先ず訓練が必要である。とりわけ救急飛行に特有な狭隘地への進入・着陸・離陸、夜間飛行、悪天候下での計器飛行などを体得しなければならない。

 しかも、その飛行はあらかじめ定められた時間に定められた目的地へ飛ぶわけではない。不意の出動要請から数分で、未知の目的地へ向かって離陸しなければならない。

 とすれば、新規参入のパイロットは初めのうち簡単な飛行から始めて、徐々に困難な状況へ進んでゆくような勤務割を考える必要がある。たとえば最初の2〜3ヵ月間、もしくは出動30回とか30時間に達するまでは、救急飛行のベテランと一緒に勤務し、その助言を受けながら出動する。あるいは条件の難しい任務は副操縦士として乗る。

 無論こんなことは、ごく普通におこなわれているはずで、誰でもいきなり一人前として扱うことはないと思うが、それにしては事故が多すぎる。飛行経験の長いパイロットは、救急飛行には新参であっても「おれを素人扱いするな」といった気持ちが起きやすい。

 そんな自負心に加えて、人間には疲労、あせり、功名心、恐怖心などがある。いわゆるヒューマン・ファクターだが、それらがエラーにつながる。その予防のためにCRM(Crew Resource Management)の考え方が生まれ、訓練がおこなわれている。

 アメリカの定期エアラインでCRMが成功し、事故が減ったのは、あらかじめ定められた時間に定められた区間を飛ぶ仕事だからではないのか。仕事自体が決まりきったロボットのような仕事だからである。

 しかし救急飛行は、1件ごとに内容も時間も場所も異なる。ロボットにはできない仕事である。AMTCの会議のやりとりを聞いていて、どこか機械的な事故対策に終始しているような気がした。

 人間は、ねじを締めたりゆるめたりするだけで調節できるわけではない。事故をなくすには、まず人間をロボットと混同しないようにすべきであろう。(西川 渉、日本航空新聞、2008年12月18日付け掲載)


小児救急の実演

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