<救急飛行の安全(1)>

米NTSBが事故対策の聴聞会

 

 米国運輸安全委員会(NTSB)は去る2月3日から4日間、救急ヘリコプターの安全に関する聴聞会を開いた。航空医療の専門家および関係者――パイロット、医師、看護師、事業管理者、FAAなど多数の人をワシントンに招いて、急増するヘリコプター救急の事故に対処するにはどうすればいいか。その実態を把握し、材料を集積し、意見を聴いて方策をまとめるのが目的であった。

 無論まだ方策はまとまっていないが、ここでは聴聞会でどのような意見陳述がなされたか、主なものを見てゆきたい。

 NTSBによれば、2007年12月から08年11月までの1年間は、アメリカのヘリコプター救急始まって以来、最悪の12ヵ月間であった。この間に9件の死亡事故が発生、35人が死亡した。そのうち6人が患者であったが、1年間にこれだけ多くの患者が死亡した例は過去皆無で、社会的にも「受け入れられない」としている。

 9件のうち5件は夜間の悪天候時の事故だった。その中の3件は気象予報が把握されていなかった。そうした事前の情報や準備の不足に加えて、法規にしたがわなかったり、危険な操縦操作をした例もあった。特にひどいのは、ある運航事業者が気象条件の悪化を予測して出動を見合わせたにもかかわらず、別の事業者が飛んで、事故にいたったもの。

 NTSBとしてはヘリコプター事業者の間に、安全意識や規則遵守の気持ちが欠如しているのではないのかと疑わざるを得ない。というのは、同じような事故が繰り返し起こっているからで、前車の轍を踏まずといった考えがないのではないかという非難の言葉も、聴聞会の席上聞かれた。

 NTSBは2006年1月、ヘリコプター救急に関する特別調査報告書を出している。その中でFAAに対し4件の対策を勧告した。しかるに勧告はほとんど実行されなかった。今日の事態は、そうした問題も要因としてあるのではないかというのだ。

 アメリカ航空医療学会(AAMS)理事、ケビン・ハットン医師は、事故増加の背景にはヘリコプター救急事業の急膨張があると証言した。この10年間にヘリコプター数は2倍以上にふくれ上がり、2008年夏には840機に達した。

 その理由は、人口の高齢化が進んで時間的に切迫した疾患が増えたこと、医療施設の専門化が進んだこと、そのため地方では多様な疾患に対応できる病院が減ったこと、そのため救急要請が増え、患者の搬送距離が伸びたこと。にもかかわらず、地方やへき地では地上搬送手段が限られていたりなかったりする。また医療過誤に対する訴訟が増えたことも大きな理由である、と。

 一方で規模の経済といった原理から、ヘリコプター救急事業者の合併や吸収が進んだ。しかし規模や収入は増えても、ヘリコプターの運航費も高い。したがって利益は薄く、競争だけが激化する。

 そこでメイン州のヘリコプター救急事業の責任者、トーマス・ジャッジ氏は、事故多発の原因として、はっきりしていることのひとつは金(マネー)であると証言した。アメリカの救急飛行は1回飛ぶと高くて1万ドルの収入にもなる。患者を乗せていなければ1セントも払って貰えないが、とにかく飛ばなければ収入にならない。

 したがって、救急ヘリコプターの出動基準は、医療上の必要性からというよりも、経済上の必要性にもとづいているというのがジャッジ氏の批判である。


ハットン医師の陳述スライドから、バージニア州北部の場合
ヘリコプター運航費の支払いは、86%が民間医療保険。
老人対象のメディケアや貧困者対象のメディケイドからも支払われる。
本人の直接支払いは2%。

 シカゴ大学の救急責任者アイラ・ブルーメン教授は、ヘリコプター救急の危険度について、特に乗員の場合はアメリカで最も危険な職業になってしまったと語った。

 さまざまな職業について、職場での事故死を見ると、従業員10万人あたりの死者は2008年の実績で漁業従事者が111人、森林従事者が86人、鉱山従事者が28人、警察官が21人であるのに対し、救急ヘリコプターの乗員は164人と、ずば抜けて高い。

 むろん絶対数は164人も死んでいるわけではない。10万人あたりの計算上の割合だが、ともかくヘリコプター救急はアメリカ最悪の危険な職業になってしまったのだ。

 ただし患者の死亡率は低い。過去29年間に450万人がヘリコプターで救護され、そのうち34人が事故で死んだが、10万人あたりにすれば0.76人。これは病院の中で医療過誤で死亡する患者が10万人あたり131〜292人という調査結果から見ても、きわめて少ない数字である。むろん、少なければ許されるというわけではないが。 


ブルーメン教授の陳述スライド
(2008年は救急ヘリコプターの事故総数13件、うち死亡事故9件。
ただし事故に遭遇したヘリコプター数が14機となっているのは、
空中衝突が1件で、2機が同時に失われたため)

 カナダの代表は、アメリカの関係者にとって耳の痛い話をした。カナダでは、救急機の死亡事故は一度も起こしていないというのである。

 カナダの救急ヘリコプターは現在20機。機数は少ないけれども、始まったのは1977年と古い。しかもS-76を中心とする高速機を使って救護範囲も広く、カナダの人口3,300万人のうち2,100万人(64%)をカバーしている。

 これまでの30余年間の飛行時間は23万時間。夜間飛行が3分の1を超える、暗視ゴーグルNVGを使っている。視程は5マイル以上。機体は双発機で、パイロットは2人乗り。いずれも2,000時間以上の経験を持ち、定期事業と計器飛行の資格がなければならない。

 運航費は政府が負担する。したがってアメリカのように、マネーが出動基準になることはない、と。


カナダのヘリコプター救急拠点図

 ほかにも多数の人びとが陳述したが、総数は41人に上る。当然のことながら、事故の原因は一つだけではないし、航空医療業界の中だけにあるわけでもない。おそらくは国のレベルで考える必要があるだろう。

 だからこそ、この聴聞会が行われたわけだが、これらの意見を聴いたNTSBは目下、陳述の整理と実行方策の立案中である。その結果は遠からずして公表されるであろう。


NTSBの救急飛行の安全に関する聴聞会会場

(西川 渉、日本航空新聞2009年5月28日付掲載、2009.6.9)

表紙へ戻る