エコノミークラス症候群と座席ピッチ

 

 

 年末年始に家族で海外旅行をしたという友人から手紙を貰った。普段の出張はビジネスクラスに乗るのだろうが、今回は夫婦と子供3人の合わせて5人でエコノミークラスに乗ったらしい。飛行機は日本航空のボーイング747だが「今回ほどエコノミー席のひどさを感じたことはなかった」という。「今まで通路側を好んで選んでいたことや身体がスリムで柔軟性があったから、そんなに感じなかったのかもしれない。……それにしても座席が狭い。特に前後間隔がひどい」。

 たしかにその通りで、近頃は商品でもサービスでも安くて良いものがどんどん出てきた。「安かろう悪かろう」は昔のことで、今や「安かろう良かろう」の時代である。ところがエアラインだけは昔のまま。なるほど安い旅行が出来るようにはなったが、単に乗り心地が悪いばかりでなく、乗客が苦痛を覚え、どうかすると病気になったり、死亡すたりするのだから恐ろしい。

 私もかつては、時どき家人とアメリカやヨーロッパに旅行をしたが、ここ何年間か一緒に出かけたことがない。こちらが誘っても、飛行機がつらいからというのである。そのうえ帰ってくると必ず体調を崩して寝込むので、これが所謂「エコノミークラス症候群」かと、今になって思い知った。

 飛行機の座席ピッチは、厭な思い出が多い。膝を組んで本を読んでいるところへ前席の背もたれがぐいと倒れてくる。そうすると本は読みにくくなるし、膝は組めなくなる。やむを得ず、こちらも背中を倒すことになり、その影響が後へ後へと伝わって、乗客全員が将棋倒しのようになり、しかも不愉快になってしまう。楽しいはずの海外旅行が最初から気分を害されるのである。

 では、旅客機の座席間隔(シート・ピッチ)はどうなっているのか。一例としてボーイング機のパンフレットを見ると、標準的な座席配置が描いてあり、座席ピッチが示されている。当然のことながら、座席配置はエアラインによって異なり、就航路線によって変わる。同じボーイング機でも近距離路線であれば搭乗時間が短いのでピッチが小さくなり、長距離用は大きい。標準的な数字は下表の通りである。

 

ボーイング機の標準座席ピッチ

機  種

標準座席数

ツァー専用席

エコノミークラス

ビジネスクラス

ファーストクラス

737-500

100席

30

32

――

36

747-400

420席

――

32

39

61

757-200

201席

28〜29

32

――

38

767-200

181席

――

32

38

60

777-200

305席

――

32

38

60

[注]単位=インチ=25.4cm

 

 この表から見ると、エコノミークラスの座席ピッチは32インチが標準らしい。ただし団体客を詰めこむときはもっとせまく、28〜29インチにするというから恐ろしい。逆にビジネスクラスは38〜39インチで、ファーストクラスでも近距離の国内線などは同程度なのであろう。しかし長距離国際線の場合は60〜61インチまで広がるというわけである。

 そこで、具体的に日本で発着する代表的な国際エアラインについて座席ピッチを調べてみると下表のようになる。この表から見ると、私の友人が憤慨している日本航空のエコノミー席は、ほかのエアラインにくらべてむしろ良い方である。ほとんどはボーイングの標準にならって32インチであり、31インチしかないところもある。

 最も広いのがロシアのアエロフロートで、37インチである。もっともビジネスクラスやファーストクラスはさほど広くない。上下が相互に接近しているところはさすがに社会主義国家といえようか。

 ヴァリグやカンタスは、別に批判するつもりはないが、どちらも日本から遠い国ではあり、このピッチでは疲れるだろう。逆にルフトハンザやエールフランスのファーストクラスは、座席ピッチ2m以上でリクライニング角度180度というから自宅のベッドに匹敵する。飛行機だから多少の振動や騒音は免れられないが、これならばどこへ飛んでも疲労は少ないだろう。

 ちなみにコンコルドの座席ピッチは37インチである。ファーストクラスの上をゆく値段にしては、ロシアのエコノミー席と変わらない。けれども超音速だから飛ぶのはせいぜい3時間。東京〜大阪間の新幹線に乗るようなもので、そのくらいならば我慢できるということであろう。もっとも新幹線の座席はもっと広くて、普通指定席の場合で38〜41インチである。

 

日本発着の主要エアライン座席ピッチ

エアライン

エコノミー席ピッチ

ビジネス席ピッチ

ファースト席ピッチ

日本航空

34

50

83

全日空

34

50

83

大韓航空

34

45/50(アッパーデッキ)

62/83

アメリカン航空

32

50

90

デルタ航空

33(120°)

60(160°)

――

ユナイテッド航空

31(102.5°)

48〜50(112.5°)

60(130°)

エールフランス

34(118°)

48(127°)

82(180°)

ルフトハンザ・ドイツ航空

32(113°)

48(135°)

92(180°)

英国航空

31

50

78

アエロフロート・ロシア航空

37

39

56

ノースウェスト航空

32(120°)

48(133°)

62(165°)

ヴァリグ・ブラジル航空

32(38°)

48(45°)

69(65°)

カンタス・オーストラリア航空

32

50

――

[注]カッコ内はリクライニング角度

 

 もう一度エコノミークラスの話に戻ると、その快適性は座席ピッチや横幅だけで決まるわけではない。もっと大きな要素は機内が混んでいるか空いているかということである。如何に座席がせまくても乗客が少なく、1人で2〜3人分の座席を使うことができれば横になってゆける。これはビジネスクラスより楽かもしれない。

 私も何度かそういう体験をしたことがある。もう20年ほど前のこと、当時の羽田空港からエールフランスの747に乗ったところ、だだっ広いキャビンにパラパラと数えるほどの乗客しかいなかった。横になろうと縦になろうと自由自在で、ジャンボ機を買い占めたような気分になり、スチュワーデスも何かと声をかけてくれるサービスの良さだった。

 また1991年、湾岸戦争のために世界中で海外旅行を自粛しようという運動が起こったときは、そのためにエアラインの多くが経営不振におちいったわけだが、どうしても出かける用事ができた。それも戦争当事国が危ないといわれたアメリカのエアラインに乗ったから機内はガラガラで、あのときもエコノミー席で快適な旅行をしたものである。

 そういうことから考えると、お盆や正月の旅行はどうしても混雑する。せまい座席に長時間縛られていると、快適度はガタ落ちになるだろう。イギリスからオーストラリアまでオリンピックの応援に行った人が帰国直後に死亡したのも、人気の高いオリンピック見物のために機内は満席だったにちがいない。しかもロンドン〜シドニー線といえば世界で最も長い航空路線に数えられる。まこと気の毒というほかはない。

 

 こうした事件があって、エコノミークラス症候群は昨秋以来、世界中で問題になりはじめた。新聞報道によれば、成田空港の到着客は1992年から合わせて25人が死亡したという。昨年だけでも9月ニューヨーク発の53歳の女性が成田に着陸した直後に具合が悪くなり、心肺停止で死亡。10月オランダから成田に着いた57歳の女性が座席から立ち上がった瞬間に息苦しくなって意識をなくした。幸い3週間の入院で回復。12月にはニューヨークから成田に着いた63歳の女性が「呼吸が苦しい」といって意識不明になり、心肺停止で死亡した。

 それどころか、英国では年間2,000人以上がエコノミークラス症候群で死亡している疑いがあるという。ヒースロー空港の緊急病院だけでも到着直後の乗客が1か月に1人は死亡しており、帰宅後数日して死亡する人もいるので年間では総数2,000人以上になると推測されるとか。

 何故このようなことが起こるのか。飛行機の中で長時間じっとすわっていると、足の静脈に血の塊ができ、その血栓が肺につまって呼吸困難や心肺停止を招く。血栓ができやすいのは、湿度が20%程度まで下がって水分が失われやすく、気圧も0.8気圧程度で血液の流れが悪くなる。そんな状態で着陸直後に歩き出すと、足にできた血栓が血流に乗って肺に入り、血管をふさいでしまうというのである。

 対策としては、日本航空によれば、水分を取ること、足の運動をすること、アルコールを飲みすぎないことなどが挙げられている。確かに最近は長距離の国際線に乗るとスチュワーデスが始終ジュースや水を配って歩くようになった。

 しかし足の運動といっても、せまい座席にすわったままではやりにくいし、余りばたばたすると隣席で寝ている人に迷惑である。といって立ち上がるのは通路側はいいけれども、窓側ではむずかしい。またせまい通路を往ったり来たりするのも、面白くない。一方で、飛行中はいつ乱気流に遭遇するかもしれないから、座席にすわってベルトを締めておくというのが少なくともこれまでの原則だった。


(エコノミークラス症候群の原因)

 

 このうえは、エコノミークラスといえども、もう少し座席間隔を広げて貰いたいというのが私の希望であり、提案である。せめて新幹線なみの40インチ前後にすると共に、リクライニング角度も余り深く倒れぬようにしてほしい。座席ピッチとリクライニングの角度は関連のあることで、ファーストクラスのように前席との間隔が広ければ平らになるまで倒すのもいいだろう。けれども、ピッチがせまいのにリクライニングが深いと前述のように将棋倒しになってしまうし、出入りができなくなる。

 ビジネス席でも座席自体は立派で、じっと坐っている分には良いけれども、無闇に深く倒れるようにつくってあって、その割にはピッチが充分でないため、窓側から席を立って通路に出ようとすると、隣の人を踏みつけて行かねばならない。ましてやエコノミー席などはなかなか出られないから、これを「プリズナーズ・シート」(囚人席)と呼ぶ人もいる。

 座席ピッチを増やすと客席数が減るから、航空会社としては収入が減る恐れがある。けれども快適性が増して旅行に出る人が増えれば利用率が上がるから、必ずしもマイナスばかりではないだろう。

 アメリカン航空は1年ほど前、エコノミークラスの座席ピッチを業界の標準よりも3〜5インチ増やして、料金の安いクラスでもゆったりした旅ができるようにすると発表した。現有700機の機体について総数7,200席、6%を減らすという。座席の取り替えは、国内線が2000年11月まで、国際線は2001年なかばまでに終る計画ということだった。座席を減らせば、その分だけ運賃が上がるという見方もあるが、アメリカン航空は値上げするつもりはないとしている。

 そうなると、ほかのエアラインも同じように追随してくるであろう。これまではベッドのような一等席や重装備のビジネス席が競争の対象だったが、これからはエコノミー席の快適性が競り合いになる。これによって乗り心地が良くなれば、座席数の減少分――たとえば6%程度の値上げはいいのではないか。何もハワイやロサンジェルスまで5万円とか、ニューヨークまで7万円で行かなくてもいいだろう。1〜2万円を余分に払うことで命が救われるというのが大げさならば、機内の快適性が増し、健康が損なわれないだけでも安いものである。

 数年後にはエアバスA380も登場する。せっかくの超巨人機だから、その特徴を生かしてエコノミー席にもゆったりしたピッチを取って貰いたい。広い機内に運動場や劇場を設けるという考えもあるようだが、先ずは座席間隔を広げて通常の乗り心地を良くして、健康を損なう人が出ないようにする必要がある。

 旅客機の開発は近年、航続性能の向上を競うようになったが、その結果はせまい座席に長時間しばられることになる。航続時間を伸ばすならば、伸びた分だけエコノミー席のピッチも伸ばすべきであろう。

(西川渉、『航空情報』誌2001年4月号掲載)


(フルフラットなどという宣伝をする前に、もっとやるべきサービス改善があるはず)

 

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