<朝日新聞>

ヘリコプターの日

 数日前に朝日新聞社から電話があった。「ヘリコプターの日」について聞きたいというので、しばらく応答した。その結果が、一昨14日の夕刊「あすは何の日」という小さいコラムに掲載された。以下のとおりである。

あすは何の日

4月15日:ヘリコプターの日

 全日本航空事業連合会がヘリコプターの普及をめざして1986年に制定した。運航会社の朝日航洋OB西川渉さんによると、全航連のヘリコプター部会長だった当時の同社社長から「(ヘリの原理を考案した)レオナルド・ダビンチの誕生日を調べてほしい」と言われ、1452年4月15日という答えを出すと、「よし、これをヘリコプターの日にしよう」となった。

 その後、全航連はこの時期に、講演会や飛行ショーなどを開催。好景気もあってヘリ人気は高まったが、やがて下火に。ショーは89年で終了した。今年も特に関連行事は予定されていない。(佐々木学)

 ところで、上の文末「今年も特に関連行事は予定されていない」というのは、私の言い忘れがあったためで、実は毎年4月15日、三井物産宇宙航空機部OBの皆さんによる「竹とんぼの会」が、ヘリコプターの日を記念して杯を挙げている。

 公的な行事とはいえぬかもしれぬが、昨晩もそれが開催された。その席で、今回は私に「ドクターヘリの現状と今後の動向」についてスピーチをする機会が与えられた。以下は、その要点である。

ドクターヘリの現状と今後の動向

 最初にドクターヘリとはどういうものか、再確認をしておきましょう。これはヘリコプターそのものだけを指す言葉でもありますが、普通はシステムとか制度のことをいいます。すなわち救急医療体制の一部ということです。

 使用するヘリコプターは救急医療器具を装備した専用機です。それを病院の屋上や敷地内に待機させておき、消防本部からの出動要請に応じて、医師とフライトナースをのせて現場へ向かい、その場に着陸して治療に当たります。

 現場では当然のことですが、飛行場以外の場所に機長の判断だけで着陸することが認められています。昔われわれが苦労した場外申請をあらかじめ航空局に出して、運輸大臣の許可を取っておく必要はありません。

 このようにドクターヘリの最大の任務は医師の迅速な派遣です。そのうえで応急治療の終わった患者さんを、ヘリコプターに乗せて病院へ戻ります。もしくは症状に応じた最適の病院へ搬送します。すなわちドクターヘリは患者の搬送もしますが、それは第二義的な任務になります。

 このように、救急医療にヘリコプターを使うことで、医師が病院で待つのではなく、積極的にヘリコプターで出てゆくわけですから、それだけ急病人の治療開始が早くなります。

 治療開始が早くなったことで、ドクターヘリの場合、これまでの実績では救急車による地上救急にくらべて死亡率が3〜4割減となりました。また完全に治って社会復帰をした人は救急車の場合よりも6割ほど増加しました。

 大げさな言い方をすれば、ヘリコプターは「死者半減、社会復帰倍増」という救急効果を挙げることができるわけです。

 では救命効果を高めるために、どのくらいの時間で救急治療を開始すればいいのか。ドイツでは原則15分以内に治療を始めるよう全16州の法律で決まっています。

 各州が定めている「救急法」は無論ヘリコプターだけが対象ということではありません。救急の全般について、搬送手段の如何にかかわらず15分ぐらいを限度とするルールです。

 そのため医師が急病人のもとへ走る。救急車でもバイクでも自転車でも、間に合わなければ電話で患者のそばの医師に依頼して現場へ行ってもらう。そのようにして急ぎ駆けつける手段のひとつがヘリコプターというわけです。何もヘリコプターだけが特別扱いされているわけではありません。

 結果として2005年の実績は15分以内の治療開始が84%でした。

 こうした態勢を組むために、ドイツでは現在、ヘリコプターの救急拠点を全国80ヵ所の病院に置いて、そこを中心に半径50キロの範囲を担当しています。ヘリコプターが時速200キロで飛ぶとすれば、遠くても15分以内に到着できます。平均8分です。

 ドイツの国土面積は日本の94%で、ほとんど変わりません。すなわち日本全国に80ヵ所のドクターヘリを配備したような態勢になっているわけです。

 スイスも同じように、全国どこでも15分以内に医師が飛んでゆくという基本方針によって、救急専用ヘリコプターを配置しております。全国どこでもといっても、スイスはご承知のとおりアルプス山岳国です。そのけわしい山の中でも谷の奥でも15分以内に救急ヘリコプターが医師を乗せて飛んでゆくわけです。

 そのためのヘリコプター数は13機ですが、スイスの面積は九州と同じです。すなわち九州に13機のヘリコプターを配備したようなものです。

 イタリアも都市部は8分以内、山間部は20分以内に救急治療を開始する目標を掲げております。そのために全国47機の救急ヘリコプターが配備されています。


スイスの航空医療機関REGAのA109救急ヘリコプター
(2001年6月9日ベルンにて撮影)

 ロンドンも8分以内に救急治療を着手します。達成率75%という目標です。

 アメリカも15分程度をめどに救急医療をしていますが、シアトルではもっと短時間で治療を開始するルールになっています。これは「トリプル・セブン」――3つの7というルールで、911の救急電話を受けたならば、7分以内に現場へゆき、7分以内に応急治療を終わり、最後の7分間で患者を病院に運びこむことという原則です。

 つまり7分間で現場に着いて、その場で治療を始めるということは、治療着手までの時間が7分ということです。

 ただし、アメリカとイギリスは医師の現場派遣はほとんどありません。だからといって現場治療ができないわけではなく、パラメディック、すなわち救急救命士が医師顔負けの救急治療をおこないます。無論、そのための教育訓練を受け、資格と能力をもっています。

 ところが日本では、救急救命士の制度はありますが、その内容は英米のパラメディックと異なり、医師法第17条「医師でなければ、医業をなしてはならない」という規定によって医療行為が許されません。救急車で駆けつけても、簡単な応急手当しかできないわけです。

 ヨーロッパ大陸の国もドイツをはじめ、日本と同様に医師以外の医療行為は禁じています。その代わり、医師みずから救急車に乗りこんで、あるいは自分で乗用車の後部に医療器具と薬品を搭載した高速ドクターカーを運転して現場へ走るわけです。

 日本は医師不足だの救急車のたらい回しなどと嘆くだけで、医師は救急車に乗らないし、救急救命士には医療行為を禁じるという矛盾した状態にあります。つまり、英米法と大陸法の両方を欲張って取り入れ、両方の規則に縛られて自縄自縛の状態におちいっているわけです。

 そのため日本では救急車がいかに早くやってきても大したことはできません。言い換えれば救急治療が始まるのは、患者が病院に到着してからのことです。

 その治療開始までの時間がどのくらいかかっているか。総務省消防庁の集計「覚知から病院収容までの所要時間」を見ると、2007年中の実績は、全国の平均が33.4分。最も早い富山県でも25.4分を要し、次いで京都府と福岡県が26.2分でした。

 一方、悪い方は最悪から2番目が埼玉県の39.0分。そして最も悪いのがなんと東京都の47.2分です。東京都は最悪であるばかりか、とびぬけて悪い。40分台は東京だけです。なぜ、そんなことになるのか、いろいろ議論がありますが、ここでは省略します。いずれにせよ、欧米の基準からすれば、日本中が手遅れです。 

救急患者の医療機関収容までの所要時間(2007年中)

都道府県

収容時間(分)

都道府県

収容時間(分)

都道府県

収容時間(分)

富 山

25.4

岡 山

30.0

長 野

32.6

京 都

26.2

兵 庫

30.2

山 梨

32.9

福 岡

26.2

愛 媛

30.3

島 根

32.9

石 川

26.4

青 森

30.6

長 崎

32.9

福 井

26.4

鳥 取

30.7

神奈川

33.0

香 川

26.5

鹿児島

30.7

奈 良

33.4

大 阪

26.9

群 馬

30.9

福 島

35.1

徳 島

27.1

北海道

31.0

宮 城

35.8

滋 賀

28.4

広 島

31.2

新 潟

35.8

沖 縄

28.4

秋 田

31.3

岩 手

36.3

愛 知

28.8

高 知

31.7

茨 城

36.3

岐 阜

28.9

熊 本

31.8

栃 木

36.3

和歌山

29.6

宮 崎

31.8

千 葉

37.1

大 分

29.7

静 岡

32.3

埼 玉

39.0

山 口

29.8

佐 賀

32.3

東 京

47.2

山 形

30.0

三 重

32.4

全国平均

33.4
[資料]総務省消防庁

 もうひとつ、上の表から言えることは、東京都を筆頭とするワースト5位が関東の1都4県で構成されていることです。神奈川県も11位に続き、群馬県だけが遅れております。いったい首都圏の救急医療体制はどうなっているのでしょうか。

 落語に「手遅れ医者」という小話があります。治療がうまくゆかないと「手遅れです」という言いわけばかりしているヤブ医者がいて、そこへ、ある日、大けがをした男が運びこまれてきた。しかし、このときも「こりゃ手遅れじゃ。もっと早く連れてくれば助かったんじゃが」という。

 それを聞いた付き添い人が「だって、さっき屋根から落ちて、すぐ連れてきたんですよ」
 ヤブ医者「落ちる前に連れてくればよかった」


「手遅れです」

 かかる馬鹿げた手遅れをなくすのがドクターヘリ――というのが今日の私の結論ですが、では今後ドクターヘリはどこまで普及するでしょうか。

 現状は全国18機です。昨年の今頃が14機でしたから、1年間に4機増えたことになります。厚生労働省は今年度24機分の予算を組んでいますから、来年の今頃までには6機増えるでしょう。

 それでも全国47都道府県を基準に考えると、まだ半分です。ドイツやスイスのように、医療過疎をなくして、15分以内の治療着手をめざすならば、ドイツなみで80機、スイスなみで120機が必要ということになります。

 日本はドイツのような大陸的な平らな地形ではありません。山が多いのでドイツよりも多くの拠点が必要でしょう。けれどもスイスほどの山岳国ではない。とすれば、両者の中間をとって100機というあたりを目標とすべきでしょう。

 言い換えれば、各都道府県に2機ずつです。おそらく、このあたりが理想的な配備数で、その実現のために昨年11月、139人の国会議員から成る超党派の「ドクターヘリ推進議員連盟」ができました。

 現在ドクターヘリの経費、1億8000万円弱は国と自治体が半分ずつ負担しています。しかし、自治体はその負担が苦しいというので、ドクターヘリの普及が進まなかった。その問題を解消するため、議員連盟は特別地方交付税を出すよう決議をしました。それがあっさり通って、先月3月から総務省によって実行に移されました。

 そうなると自治体の負担は、これまでの半分が4分の1まで軽減されます。これでドクターヘリの導入がしやすくなりました。今後ドクターヘリは一挙に普及する可能性が出てきたわけです。

 当面の目標50機、長期目標100機の達成も、夢物語や架空の話ではなくなるかと思われます。ご清聴有難うございました。

(西川 渉、2009.4.16/加筆2009.4.17) 

表紙へ戻る