<ストレートアップ>
手遅れ状態の救急医療 2年ほど前、ロンドン救急本部(LAS)を見学したときのこと、救急治療開始までの目標時間が8分以内と設定されていた。ただし達成率は75%をもって可とする。つまり救急出動100件のうち75件は8分以内に治療を始めるというわけで、この目標は非常に高い。
そのためLASはロンドン市内と周辺を含む1,600平方キロ――東京23区のほぼ4分の3に相当する地域の68ヵ所に救急隊を置いて約650台の救急車を配置する。ほかにバイク救急隊を10ヵ所、自転車救急隊を14ヵ所に置いたうえ、特別早産救急隊を5ヵ所に配備していた。そしてシティに近いロイヤル・ロンドン・ホスピタル屋上には救急専用ヘリコプターが待機するという態勢である。
このヘリコプターには医師が同乗して現場へ飛び、まさしく平均8分程度で治療を開始する。その他の地上車両に医師が乗ることは少ないが、パラメディックが重要な働きをする。救急治療に限っては手技も投薬も医師に匹敵する技能と権限を持っているので、初期治療は充分可能である。この点はアメリカと同様で、パラメディックが救急医療に果たす役割は大きい。
ひるがえって日本の救急実績を見ると、救急車の現場到着は全国平均8分前後で、ロンドンと変わらないように見える。しかし、救急救命士は英米なみの働きをすることができない。個々人の能力の問題ではなく、医師以外は医療行為を認めないという制度の問題である。したがって救急救命士が救急車で現場に駆けつけても、そこで直ちに救急治療を開始することは許されない。患者はどうしても病院へ行かなければ治療が始まらないのだ。
そこで病院到着までにどのくらいの時間がかかるか。総務省消防庁の集計によれば平成18年中の実積は下表のとおりである。全国の平均は32分。ロンドンの目標からすれば4倍の時間がかっており、世界的な標準とされる15分から見ても2倍以上である。
都道府県別に見ると、香川県や石川県が早い。田舎だからといって救急態勢が悪いわけではない。といっても国際基準の15分からは10分以上の遅れである。これに大阪、京都がつづくから、やはり大都市は病院も多く、態勢も整っているのだろうと思うが、なんと東京都は全国最悪の状態にある。それも飛び抜けて悪く、最悪2〜3位の埼玉、岩手が35分台であるのに対し、ひとり東京だけが45分台なのだ。
救急患者の病院収容時間(平成18年中) [注]単位:分 [資料]総務省消防庁
自治体 分 自治体 分 自治体 分 香 川
25.2 沖 縄
28.6 佐 賀
31.5 石 川
25.3 岡 山
28.7 長 野
31.6 大 阪
25.3 群 馬
29 長 崎
31.6 京 都
25.6 愛 媛
29.5 宮 崎
31.8 富 山
25.7 山 形
29.8 島 根
32.7 福 岡
26.2 北海道
29.9 奈 良
33.0 福 井
26.4 鳥 取
30.0 新 潟
34.2 徳 島
26.8 鹿児島
30.2 福 島
34.4 滋 賀
27.4 高 知
30.8 茨 城
34.4 兵 庫
27.6 熊 本
30.9 栃 木
34.6 広 島
28.2 青 森
31.2 宮 城
34.7 山 口
28.3 三 重
31.3 千 葉
34.8 大 分
28.3 秋 田
31.4 岩 手
35.1 愛 知
28.4 静 岡
31.4 埼 玉
35.6 岐 阜
28.5 神奈川
31.5 東 京
45.2 和歌山
28.6 山 梨
31.5 平 均
32.0 何故そんなことになるのか。専門家の詳しい分析を待たねばならぬが、道路の渋滞が激しい、救急車が足りない、満床の病院が多くて患者の受け入れができない、離島が遠いなどの理由が考えられる。いずれにせよ、東京は救急に関する限り、へき地同様の医療過疎地ということになる。
そこで何もロンドンの真似をせよというのではないが、早急に改善策を考える必要がある。たとえば救急救命士の権限を拡大し、能力を引き上げるといったことだが、それにはメディカル・コントロールの問題まで深入りしなければならず、紙幅が足りない。ここは航空専門紙なので話をヘリコプターに絞れば、もっと積極的な活用が望まれる。ヘリコプターを使えば道路の渋滞は関係なくなり、都心部の病院が満床でも周辺の病院へ迅速な搬送ができる。
しかるに都内のどの病院も、ドクターヘリの導入を考えない。不思議なほどである。むろん消防庁の持つヘリコプターを救急専用に当ててもいいが、おそらくは誰しも東京は医療設備や救急体制が日本一で、ヘリコプターなどは不要と考えているのだろう。ところが実情は、日本で最悪の状態にあることは上に見たとおりである。
とはいえ都内はヘリコプターの着陸するところがないという反論もあろう。しかし、そんなことはない。普通の道路でも交通規制をして、頭上に電線などの障害物がなければ、銀座通りでも日比谷通りでも着陸可能である。それには警察の協力を得て15分ほど交通を止める必要があるが、今でも救急車がくれば道の端によけて停まるであろう。そして安全確保のためには、たとえばロンドンでは現場の警察官とパイロットが、飛行機とコントロールタワーがやるように、直接無線交信をしながら着陸している。
あるいは無理に道路に着陸しなくとも、空地、河川敷、グラウンドなどにあらかじめ緊急離着陸場を設定しておけばよい。現にドクターヘリを運航している地域で実行されていることである。東京都も実は阪神大震災から3年ほどたった頃、都内200ヵ所ほどの候補地を選定したことがある。当時の地域防災計画には候補地の一覧表があったはずだが、未だに実行されていない。
もう一度、別表に戻ると、日本の現状は国際的な救急水準から見て全て手遅れの状態にある。とりわけ首都の惨状は世界に大恥をさらすものであろう。救急専用ヘリコプターの運航には年間2億円もあればよい。都知事はこうした実態を知った上で、破綻した銀行に400億円もの追銭を出したのだろうか。
ロンドンのトラファルガー広場に降りた救急機
大きな詳しい写真はここをクリックしてください(西川 渉、日本航空新聞2008年5月29日付掲載、2008.6.10)
(表紙へ戻る)