9.11テロとヘリコプター(1)

閉ざされた非常口

 先日のテレビがニューヨークの悲劇を放送していた。犠牲となった人の未亡人の物語で、夫はあの日ワールド・トレード・センターの100階あたりで仕事をしていた。そこへ飛行機がぶつかり、階下が火と煙で避難できなくなったために、上の方へ逃げた。

 ところが非常口に鍵がかかっていて屋上に出られない。やむを得ず下へ戻り、わが家に電話をして妻との対話がはじまった。妻が何とかして逃げてというので、もう一度屋上へ向かった。しかし非常口のドアは開かないまま煙が充満してきて息苦しくなる。ドアのそばで横になり、携帯電話で最後の会話をしていた。そのとき突如、妻の耳に電話口から聞こえたのはすさまじい轟音で、夫はワールド・トレード・センターと共に崩れ落ちていったというのである。

 テレビの取材はそこまでで突っ込みが足りず、私には何故ドアが開かなかったのかという疑問が残った。実は、それ以前から、何故ヘリコプターで救出しなかったのかという疑問を持っていた。テレビの中継場面にしばしば、警戒飛行をしているらしいヘリコプターが映っていたからである。

垂直の壁面からも救助は可能 

 あのときワールド・トレード・センターでは窓から助けを求め、死を覚悟して飛び降りた人がいた。今から思うと、スイス・エアレスキューREGAならば、この人びとを救うことができたかもしれない。なにしろREGAはアルプスの垂直の岩壁で宙づりになった人を、220mの長吊りホイストで救助するという特技を持っているからである。

 しかしREGAだけではない。垂直の壁面からの救出は、アメリカでも実例がある。1980年ラスベガスのMGMグランド・ホテルで大火があったとき85人が死亡したが、約200人が屋上からヘリコプターで救出され、さらに何人かが高階層のバルコニーからホイストで吊り上げられたのである。

 米空軍のCH-53大型ヘリコプターは屋上よりも高い位置でホバリングをしながら建物の壁沿いにホイストを降ろした。ところが建物の上方でバルコニーが張り出していて、その下で救助を求めている人のところへ届かない。やむを得ずホイストの綱を振り子のように振り、その先端を救助を求める人のところへ届かせるという離れ業を演じた。バルコニーの人は横なぐりに飛んでくるロープをつかみ、手もとにたぐり寄せて一時に1〜2人が先端の籠の中に入って吊り上げて貰ったのである。

 ワールド・トレード・センターでも、その屋上には当然のことながら緊急用のヘリポートが設けてあった。実際にヘリコプターが着陸して人を助けたこともある。1993年2月のこと、爆弾を積んだトラックが北棟のガレージで爆破テロを起こしたときである。死者はさほど多くはなかったが、爆発による煙が大量に発生し、非常階段に充満した。そのため上の方にいた人は階段を使えなくなり、屋上へ逃げることになった。

 このときニューヨーク警察のベル412はホバリングをしながら救助隊員2人をラペリングで降ろし、屋上のあちこちに立っていたアンテナを倒して、ヘリコプターを着陸させた。ヘリコプターは何度か屋上と地上を往復し、合わせて28人を助けたのである。


(ワールド・トレード・センター南棟屋上から見た北棟屋上。
中央に放送塔が立ち、周囲に大小のアンテナがあるが、
ヘリコプターの着陸場所は93年のテロの教訓からあけてあった)

なぜ鍵がかかっていたのか

 さて9月11日のテロ事件はどうだったか。『アビエーション・インターナショナル・ニュース』誌(2001年12分号)によると、ハイジャック機が突っ込んで数分後ニューヨーク警察のベル412と206ジェットレンジャーがワールド・トレード・センターの屋上付近に到着した。北棟の屋上には中央に高さ110mの放送塔が立ち、その周囲に多数の小さい通信用アンテナが立っている。ただし一角だけは、緊急用ヘリコプターが着陸できるようにあけてある。

 しかし、このとき、警察ヘリコプターのパイロットが見たところ、1993年のテロのときとは異なり、屋上には誰もいなかった。建物は階下の壊れたところから噴き出すどす黒い煙に包まれてはいるが、その隙間からいくら覗いても人影は見えない。

 のちに判明したところでは、屋上に出るドアに鍵がかかっていたためで、冒頭のテレビで報じられた未亡人の話の通りである。

 非常口に鍵をかけたのは、ワールド・トレード・センターの所有主、ニューヨーク・ニュージャージー港湾局である。港湾局の言い分は自殺者が出たり、向こう見ずなスタントマンが危険なことをやったり、何百万ドルという高価な放送機器を盗んだりするのを防ぐためだった。

 しかし、これでは非常口の役をしない。警備員室は22階にあって、そこから屋上の非常ドアがあけられるようになっていたが、テロのときは飛行機がぶつかると同時に、上から落ちてきたもので22階もやられて処置ができなかったという。港湾局はそう弁明するが、ちょっと苦しい。むしろ飛行機が突っ込んでからしばらくは、館内放送で大丈夫だから、その場にとどまるようにといったアナウンスをしていたようだから、初めから屋上の鍵を開けることなど考えていなかったのではないだろうか。

 さらに鍵があいていたとしても、下から噴き上げるもの凄い煙が屋上を覆いつくして、とても救助作業ができるような状態ではなかったという意見もある。けれども上空から見ていた警察ヘリコプターのパイロットは、時折吹いてくる風のために着陸帯の煙がなくなることもあって、これならば何十人かは助けることができたはずと語っている。

 ただし南棟の方は始終煙りでおおわれていたから、仮に屋上に出た人がいてもヘリコプターで助けるのは無理だったかもしれない。


(北棟は煙がかかっていない)

緊急用ヘリポートの意義

 こうした問題を受けて、今ニューヨークでは改めて非常口の鍵が問題になっている。常にあけておいて自殺者や盗難を見張るための警備員を立てるか、港湾局のいうように警備員室の装置が壊れたというのであれば、ドア開閉のためのリモコン装置を2重、3重の系統にしておく必要があるのではないか。

 さらに脱出口に鍵がかかっていた理由は別にある、という話も出てきた。というのはニューヨークの警察と消防との間では競争心と功名心が強すぎて、たとえば1993年の警察ヘリコプターによる救助は危険で無用だったという非難が消防の方から出たりした。そのために鍵がかけられたというのである。

 そのうえ、この爆破テロ以来、ニューヨーク市長は市警ヘリコプターに炎上中のビルディングに直接、救助のために近づいてはならないという指示を出していたらしい。その代わり、何か大きな災害が生じたときはマンハッタンの4か所のヘリポートのいずれかで待機し、消防隊員の来るのを待って、彼らを乗せて現場へ運ぶというルールになっていた。しかし、このルールは8年間一度も実行されたことはない。9月11日のときも、警察ヘリコプターで屋上へ運んでくれという消防隊員は一人もいなかった。

 念のために、高層ビルの屋上に設けられる緊急用ヘリポートまたは緊急用スペースは、上の論議でも明らかなように、その建物が緊急事態におちいったとき、内部の人を救助するための一種の非常口とみなされる。同時に、ヘリコプターで出動してきた消防隊員や救助隊員がそこから建物の中へ突入するための入り口でもある。

 したがってワールド・トレード・センターでも警察ヘリコプターが消防隊員を屋上へ運ぶというルールが実行されていれば、超高層ビルの上へ向かって下から非常階段を駆け上がる消防隊員も少なく、そのために避難する人の流れとぶつかって混乱したり遅れたりすることも、多少は解消されたかもしれない。

悲劇を繰り返さぬために

 無論こんなことは結果論であり、ビルそのものが1時間程度で崩壊したことからすればどちらでも同じことだったともいえよう。けれども1人でも2人でも、命を落とさずにすんだ人がいたのではないだろうか。

 もっと分からないのは、ニューヨーク市の消防規則では、屋上に出る非常口のドアは鍵をかけないか、内側から鍵がかからないようにしておかねばならないのだそうである。それならば上のような悲劇や混乱はいくらかでも避けられたはずだが、ワールド・トレード・センターはビルの持ち主がニューヨーク州とニュージャージー州であった。したがって市の規則が適用されないことになっていたというのである。

 こうした実例から、われわれはさまざまな教訓を読み取ることがきる。たとえば高層ビルに緊急用ヘリポートを義務づける必要はないのか。東京の上空を飛ぶと多くのビルにそれができているのを見ることができるが、全てではない。また地方都市ではデザインばかりがしゃれていて、屋上は丸屋根になっているようなビルが多い。こういうビルで災害が起こっても、ヘリコプターは役に立たないのである。

 ちなみにロサンゼルスでは、高層ビルばかりでなく、高さ23m以上、7階建て相当の建物でも、ヘリコプターの着陸施設を屋上に設けなければならない。

 さらに、そういうヘリポートができたとしても、屋上への非常口と施錠に関する規則は、日本ではどうなっているのだろうか。苦しい煙の下でようやく非常口にたどり着いたけれど、そこに鍵がかかっていたというような悲劇は二度と繰り返してはならない。

(西川 渉、『WING』紙、2002年1月30日付掲載)

 
(くどいようだが、この写真でも北棟の屋上に煙はかぶっていない)

 

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