9.11テロとヘリコプター(2)

ヘリコプター救急はおこなわれたか

 

 9月11日朝、ワシントンのパークポリス警察航空隊は、ナショナル空港の管制塔から「ボーイング757旅客機が14丁目の橋の付近に墜落」という緊急連絡を受けた。ニューヨークのテロを報じるテレビ中継を見ていたパイロットたちは「これは、ただの事故ではない」と直感した。

 4分後、パークポリスの「イーグル・ワン」が飛び立った。その2分後には「イーグル2」も離陸した。いずれもベル412ヘリコプターで、4人分の救急用担架を搭載していた。ペンタゴン付近の上空から見ると、いつもは静かな広場が戦場のような動きに変わっている。

 のちにパイロットが語ったところでは「建物のあちこちで火の手が上がっていた。沢山の人が逃げ出して、中には身体に火がついた人もいました。6階建ての国防総省は西側が破壊され、そこに旅客機が突っ込んだそうですが、航空機の残骸は一つも見えませんでした」

 ペンタゴンのそばに着陸したイーグル2の副操縦士も「6階建ての国防総省の破損状況は大したことがないように見えた。テロも失敗したと思った」と語っている。「ところが数分後、床が崩れ落ち、恐ろしい破壊が起こったのです」

 このとき再び管制塔から無線が入り、ナショナル空港は煙がひどくて何にも見えず、航空機の発着もできなくなった。さらに4機目のテロ攻撃が空港を狙うかもしれないという情報がきたので、ここを閉鎖して管制官も避難する。あとの空域管制はイーグル・ワンに頼むというものだった。

 イーグル・ワンは直ちに周辺の航空機に呼びかけると共に、救助活動はパラメディック2人が乗るイーグル2に依頼した。間もなくワシントン上空はヘリコプターでいっぱいになった。ほとんどは軍用機だったが、中にはテレビ取材機や応援に駆けつけた警察機もあった。

 地区の消防署からは初め、ヘリコプター搬送が必要な怪我人は20人程度という通報があった。そのためイーグル・ワンはメリーランド州警察にも出動を要請したが、すでに軍が周囲の空域を閉鎖したため飛べないという回答だった。そこでヴァージニア州フェアファックス病院とワシントン病院に救急ヘリコプターの出動を依頼し、ペンタゴンのそばに呼び寄せた。


(ペンタゴン現場上空のベル412)

虚しく待ちつづけた救急機

 その後イーグル・ワンはメトロ警察のヘリコプターに空域管制を依頼し、みずからは救助に専念することにした。メトロ警察のAS350Dアスターは終日ワシントン上空にとどまり、約20機のヘリコプターに指示を出しつづけた。

 フェアファックス病院機のパイロットはペンタゴンの現場に来て、「まるで幻想を見ているようで、信じられないような光景だった」と語っている。

 ヘリコプター搬送が必要な患者は、当初20人という話から11人に減り、最後は3人だけになった。そのうち2人をイーグル2が搬送し、3人目をワシントン病院のEC135が運んだ。搬送人数が減ったのは、即死者が多かったからである。結局ペンタゴンのテロによる犠牲者は189人となった。

 ニューヨークでも、テロの当日ヘリコプター救急の動きがあった。シコルスキー社は9月11日午前、ワールド・トレード・センターの所有主ニューヨーク港湾局から要請を受けて、同社のS-76ヘリコプターをニューヨーク近郊のティータボロ飛行場に送った。シコルスキー社のストラトフォード工場から90kmほどの飛行距離である。

 次いで昼過ぎには7機のUH-60Lブラックホークで医師やパラメディックなどの救急医療チームをウォール街ヘリポートへ送りこんだ。ヘリコプターはもっと現場に近い着陸場所を探したが、適当なところが見つからなかった。ものすごい瓦礫の山と、あわただしく行き交う救助隊員と、そして煙とほこりがひどかったからである。

 医療チームはヘリポートから現場に駆けつけたが、救急治療の対象となるような怪我人は少なかった。ビルの崩壊から3〜4時間が経っていたのと、犠牲者の大半が瓦礫の下で即死したためである。

 乗員たちは激しいテロ攻撃の跡を目にして、何かをしなければ、何とかしなければという気持ちが強かった。しかし何もできないまま、虚しくヘリポートにたたずむほかはなかった。ヘリコプター救急の要請は、夕方まで待って1件もなかったのである。


(ウオール街ヘリポートで虚しく待ちつづけるブラックホーク)

1日で廃止された新飛行ルール

 9.11テロの直後、アメリカでは全国に飛行禁止令が出された。その中で軍や警察など、特定の任務をもつ飛行は例外とされ、上に見たような救急飛行も可能であった。しかし同じ救急でも、なかなか飛行許可が得られずに断念した事例や、45分もかかってようやく許可が出た例なども見られた。救急という飛行目的からすれば、出動までに時間がかかり過ぎては、何の役にも立たないことはご承知の通りである。

 飛行禁止令で困った例は全米の至るところに見られるが、メキシコ湾の石油開発を支援するヘリコプターもそうであった。ここでは沖合遠くのプラットフォーム上で約14,000人の人が仕事をしている。ところがニューヨークのテロ攻撃から間もなくFAAが飛行禁止令を出したため、ヘリコプターは動きがとれなくなってしまった。これでは作業員の交替輸送はもとより、怪我人や急病人が出ても救助に行けないことになってしまう。

 事実、飛行中止の指示を受けたヘリコプターは、最寄りのプラットフォームに着陸したまま、基地へ戻れないものもあった。そこへ熱帯性低気圧がハリケーンへと発達し、プラットフォームを襲う恐れが出てきた。石油会社は洋上の作業員を陸地へ戻したいと考え、FAAもプラットフォームに危険が迫ったことを認め、ハリケーンから避難する救助飛行を許可した。

 これがテロから2日目のことである。ただしパイロットは飛行の都度、FAAにフライトプランを提出し、飛行はVFRに限り、陸地から洋上へ向かう飛行便には乗客をのせてはならないという条件つきであった。さらにフライトプランを受けたFAAは、往復別々の飛行ごとにトランスポンダーコードを割り当て、各機の行動が明確に把握できるようにした。

難しい危機管理のあり方

 ところが、このルールを実行に移した途端に大混乱が生じた。普段はフライトプランを出す必要がなかったためである。そこへ新しいルールができて、FAAは一時に約500人のパイロットから電話を受けるはめになった。その対応だけでも大変だが、一つひとつのプランをファイルすると同時に、各飛行ごとにトランスポンダーコードを割り当てる作業をしなければならない。職員の仕事量が一挙に膨大なものになってしまった。

 そのうえヘリコプターが離陸すると、管制官はトランスポンダーで1機ごとに追跡しなければならない。ところが実際問題として、低空で飛ぶヘリコプターは常時コンタクトが維持できない。というわけで、この面倒なルールは1日で廃止になってしまった。あとは運航会社を信頼し、乗客の身もとをしっかり確認して飛んでもらうほかはなかったのである。

 危機管理体制は如何に立派につくり上げても、いざとなると矢張り対応が難しい。とりわけ普段やっていないことを急にやろうとしてもうまくできずに、新たな混乱が生じる。危機に臨んでやるべきことは普段の延長線上になければならないのである。

 上のメキシコ湾の例ばかりでなく、前回に見たワールド・トレード・センターの屋上非常口が閉鎖されていた問題もその一つかもしれない。普段から鍵がかかっていれば緊急時にも矢張り開かないのである。

 一方ワシントンやニューヨークに何機かの救急ヘリコプターが集まったのは、無駄に終わったかに見えるが決してそうではない。緊急事態に際して、とりわけ人命救助に関しては、あり余るくらいの対応をする必要がある。飛行機のぶつかり方がちょっと違っていれば、これくらいのヘリコプターでは足りなかったかもしれないのだ。

(西川 渉、『WING』紙、2002年2月6日付掲載)


(テロ当日の昼過ぎ、UH-60Lのコクピットから見た現場――シコルスキー社提供)

 

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