<本の紹介>

飛ぶ救命救急室

(時事通信出版局、2009年3月10日発行、¥1,600+税

  

目   次

プロローグ

第1章 ドクターヘリの現状

第2章 日本の救急医療は今

第3章 世界のヘリコプター救急

第4章 ヘリコプター救急の促進

第5章 フライトドクター

第6章 フライトナースの活躍

第7章 ドクターヘリに救われた人

あとがき(抜粋)
ドクターヘリの展開

 1999年夏、われわれは大いなる希望をもって霞ヶ関合同庁舎の広い会議室に集まった。「ドクターヘリ調査検討委員会」の最初の会合である。今から10年ほど前のことで、関係者の長年の夢であったヘリコプターによる救急医療が、いよいよ現実になる段階を迎えたのだ。

 もっとも、出席者の誰もが同じような期待をもっていたとは限らない。会議はそれから1年間、5回にわたって開かれたが、必ずしもスムーズに結論に達したわけではなく、提案、反論、調整、修正などの論議が繰り返され、果たしてドクターヘリが実現できるかどうか、実現しても真の救急手段として効果をあげ得るかどうか、一時は会議の先ゆきすら危ぶまれる場面もあった。

 その調整にあたった事務局の内閣内政審議室長などは、途中で「ドクターヘリが飛ばなければ、私の首がとびます」と悲壮なジョークを吐いたものである。

 それというのも委員の中には、従来の救急システムで充分、もしくは新たなシステムを導入することで却って混乱が起こるといった考えの人もいたからである。そのため、ときには激しいやりとりもあり、年度末に終わるはずの委員会が延長戦にもちこまれ、年度をまたいで討議がつづいた。最後の報告書が完成したのは翌2000年6月のことである。

 この報告書と途中5回の議事録、すなわち委員会での応酬は、かなり穏やかな当たりさわりのない文章に直してはあるものの、今も首相官邸のウェブサイトで誰でも見ることができる。

 ともかくも委員会の結論が出て、それに平行しておこなわれていた東海大学(岡山県)と川崎医科大学(岡山県)での試行的事業の実績も予期以上の成果をあげたことから、翌2001年4月を期してドクターヘリの本格的事業がはじまることになった。

 その頃、公式の目標ではなかったかもしれぬが、厚生労働省は5年間で30ヵ所のドクターヘリ配備を考えているという話を聞いたことがある。実際はそこまでゆかず、2005年度末の拠点数は10ヵ所だったから、目論見の3分の1でしかなかった。

 しかし、あの委員会の論議から10年、今ようやくドクターヘリは軌道に乗りはじめたかに思われる。このほど厚生労働省は2009年度末までに配備の拠点数を24ヵ所とする予算を策定した。08年度末の予定18ヵ所から09年度は6ヵ所増えることになる。とすれば翌年も同程度の増加と見て、10年度は30ヵ所になる可能性も大きい。

 厚生労働省の内々の目標からすれば2倍の期間を要したことになるが、これで欧米の先進事例に近づいたといえるかもしれない。 

 現今の医療危機、特に救急医療の破綻寸前の状況を救うには、当面ドクターヘリしかないであろう。へき地の医療過疎はもとより、妊婦のたらい回し事件に見るような周産期医療、あるいは小児救急を含めて、ドクターヘリはもっともっと多くの人を救うことができる。

 このことは最近、各地の自治体も認識するようになり、ドクターヘリ導入計画もしくは導入希望があちこちから聞こえてくる。1県1ヵ所としても先ずは50ヵ所。面積の広いところは複数の拠点が必要だろうから、いずれドイツなみの80ヵ所くらいになるかもしれない。

 このあたりがドクターヘリの理想の配備数で、そうなれば医療過疎に苦しんだあげく、搬送中に心肺停止といった悲劇は大きく減るにちがいない。

 その理想に向かって、われわれはこれからも歩幅をゆるめることなく邁進してゆきたいと思う。

 

(西川 渉、2009.3.2)

 

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