9.11多発テロと『日米開戦』
小説よりも奇なり ワールド・トレード・センターとペンタゴンに旅客機で突っこんだアメリカの多発テロ――この未曾有の大事件がトム・クランシーの小説によく似ていることは本頁でも何度か書いてきた。その何処が似ていて何処が異なるかを整理し、『日本航空新聞』に掲載してもらったのが以下の作文である。
『日米開戦』とは物騒な表題だが、あくまでトム・クランシーの小説である。今から二た月前、米国の9.11多発テロを夜半から明け方近くまでテレビで見ながら、私はすぐ同じ著者による『合衆国崩壊』を想起した。そして翌日、この本をわが家の押入れの本の山から発掘して読み直しにかかった。
小説『日米開戦』は新潮文庫で上下2冊、1冊750頁前後という膨大な活字量である。さらに後篇の『合衆国崩壊』は4巻もあり、内容が複雑で登場人物が多く、無数のカタカナ名が出てくるので、しばしば誰が誰だか分からなくなる。
したがって膨大な6冊分をここで紹介する暇はないし、そのつもりもない。大きな書店にゆくと大抵のところはこの6冊が平台に山積みになっているから簡単に手に入れることができる。1か月以上かかってやっと読み終わったところで、無論クランシーだけにかかっていたわけではないが、9.11テロは矢張りこの小説からヒントを得たのではないかと感じた。そしてフィクションを上回る奇策で世界中に大きな影響を及ぼした。事実は小説よりも奇なりというが、以下そのあたりの対比を見てゆくことにしよう。
(キャピトル・ヒル)
復讐心から生じた奇妙な戦い 小説の中でアメリカに対抗するのはイスラム過激派ではなくて、日本である。この小説がアメリカで出版されたのは1994年だから、構想はそれ以前の日本のバブル期に立てられたのであろう。たしかに当時の日本はアメリカにとって脅威のライバルであった。
黒幕は財閥の巨頭である。あり余る資金で日本政府や自衛隊を動かして見えざる戦争を仕掛ける。このあたりは莫大な資金を持つといわれるテロの黒幕、ビンラディンと同じかもしれない。小説も現実も戦争やテロには金がかかるのだ。
では犯行の動機は何か。9.11テロについてはタリバン側がさまざまな宣伝をしているが、一言でいえばアメリカがイスラムの聖域に踏みこんできて、傲慢で身勝手な政策を振り回すことに対する反発であろう。もともとの原因はアメリカ側にあるというわけだが、小説の方も黒幕の幼少時、第2次大戦中にサイパン戦で肉親を失くしている。
そこから黒幕の復讐がはじまり、日米の間に奇妙な戦いが起こる。宣戦布告もないし、大多数の国民も知らない。闘っている自衛隊も米軍も、初めは共同訓練のつもりで、互いに相手を仮想の敵として訓練をしている間に、本物の戦争に発展するのである。
これは黒幕が仕掛けたことで、知っていたのは、ごく一部の政治家と軍人だけだった。アメリカの空母や潜水艦や航空機に向かって実弾を放ち、徐々に戦火が拡大して行く。その結果、日本がサイパン島を占拠し、新政権を立てようとする。
黒幕が「何年も前に家族の霊に誓った約束はついに果たされた。彼が生まれたとき日本の領土だった島がふたたび日本の領土となったのだ。祖国を卑しめ、家族を殺した国が、ついに卑しめられ」る。あのとき21日間も爆音と恐怖と混沌に襲いかかられた後、父と母と弟と妹は手を握り合ってサイパンのバンザイ・クリフから飛び降りたのである。
このあたりの心理状態はテロを仕掛けたとされるビンラディンも同じだったかもしれない。
見きわめのつかぬ戦争 その頃ワシントンでは、小説の中の話だが、日本の駐米大使が自ら話し合いを求めてホワイトハウスに出向く。その言い分は「自分たちのせいではない。われわれはそうせざるを得ない状況に追いこまれたのだ。長い期間にわたって身分の低い家来のように扱われた」
大使はひるまずに続けた。「アメリカが望んだときだけ戦争になるんです。われわれは貴国を破壊しようとは思っていませんが、国家安全保障ということも考えねばなりません」
このような大使の弁舌を聞いても、アメリカ側は聞き流すだけであった。小説の中では大使が帰ったあとのホワイトハウスで、日本側の主張は「どうでもいいことです。われわれにはまったく意味がない」と切り捨てられる。
そして何日かたった後の再度の外交交渉で、今度はアメリカ側から「貴国はアメリカ合衆国に対して戦争をしかけたのです。そのような行為は重大な結果を生むことになります」という強硬な言い分が突きつけられる。9.11テロの直後にも、似たようなせりふを聞いたような気がする。
かくて本格的な戦争がはじまる。国家安全保障担当補佐官の「やってみないとわかりません」という言葉だけで、いわゆる落としどころの見きわめがつかぬまま、戦争に突入するのは小説も現実も変わりがない。
兄と息子を失くした機長の決意 やがて、もう一人の重要人物が登場する。日本航空のボーイング747の機長である。東京からサイパンやバンクーバーへの定期便に乗っている。
彼は日米の戦いがはじまったのち、日本が占領したサイパンから定期便を操縦して東京へ戻る途中、眼下に2隻のイージス護衛艦を見つける。艦長は機長の兄である。空と海との間で無線交信をして離れて行こうとしたところ、イージス艦が不意に潜水艦攻撃を受けるのを目撃する。
機長は、副操縦士の「乗客が乗っているんですよ」という制止も聞かずに急旋回をして艦の上空へ戻り、イージス艦の両舷に魚雷が命中し、何秒もたたないうちに撃沈されるのを見た。
一方、この日航機長の息子は航空自衛隊F-15Jのパイロットである。やはり戦争に参加し、米軍トムキャットとの格闘戦の果てに燃料がなくなって、硫黄島へ着陸しようとする。そのとき米軍の巡航ミサイルが滑走路上にまいて行ったソフトボール大の小型爆弾に前輪が触れ、機首が吹き飛び、燃料タンクにわずかに残っていた蒸気に引火して戦闘機は爆発する。機長は息子までも失くしたのであった。
彼は悲嘆のうちに日航定期便の操縦をつづける。ある日バンクーバーに降りたとき、ターミナルの売店にあった新聞で今夜9時、ワシントンの議会で新しく交替する副大統領の承認に関する議事が行われ、その場で就任式が催されるのを知る。
瞬間、機長の心は決まった。彼は直ちに空港管理事務所に向かい、天気図を調べ、「うちの747の調子がおかしい……私がヒースロウに持っていって交換してきます」と言いながらフライト・プランを提出する。
1時間後、機長は機体の外部点検をしたのち、副操縦士よりやや遅れて747に乗りこむ。そのとき機内調理室に寄って、それからコクピットに入る。「飛行前点検チェックリスト完了」と副操縦士が言ったとき、その胸に機内食のステーキ用ナイフが突き刺さった。
機長は副操縦士の遺体をそこにすわらせたままエンジンを始動、管制塔とコンタクトしながら離陸する。そして北米大陸を東へ向かって横断し、いったん大西洋上へ出たのち西へ反転してワシントンへ向かった。
(議事堂を背景に犠牲者を悼む米国旗)
現実が小説を上回った 以下、この巨人機が議事堂へ突っ込むまでの緊迫した動きは本書を読んでもらうほかはない。9.11テロとの対比は大筋において同じ、細部においては当然異なる。最大の違いは、この機長が黒幕の指示によって突っ込んだわけではなく、必ずしも計画的なものではないということであろう。
また『日米開戦』だけを取れば、戦争の結果、旅客機が議事堂へ突っ込んだことになるが、現実の方は先ずテロがあって、それから戦争がはじまった。しかし大きな背景はアメリカに対する反発で、タリバン側の言い分が正当か否かは別として、双方似たようなところがある。
かくて9.11テロがこの小説をヒントにしたものかどうか。ブッシュ大統領が犯人はビンラディンというのと同じ程度までは信じていいのではないだろうか。
以下、小説と現実との対比を下の表によって見ていただこう。どちらも通常の大型旅客機をもって標的に突っ込む。小説がヒントにしたのは、日本の戦時中の特攻ではなかったかと思われる。その小説をヒントにしたのが今度のテロであろう。というのは、もともとイスラム教やコーランの教えには自爆テロのような考えは全くないからである。
だが、現実が小説を上回るのは、旅客機を操縦するために訓練からはじめるという長期的、計画的な企てという点であろう。そのうえで同時に4機を乗っ取るという大胆さである。また離陸したばかりの長距離便を使って大量の燃料を積んだまま突っ込むという緻密な計算もあった。
ハイジャックの凶器はボックス・カッターや小さなナイフなど、簡単なものであった。これは小説と共通しているが、多数の乗客を道連れにするという残酷さは、小説の作者も考え及ばぬところであった。
犠牲者は、量も質も大きく異なる。小説の方は、上院の議場に下院議員も入り、両院合同会議で副大統領の承認を議決したばかりであった。したがってアメリカ政界の要人がすべて集中しているところへ747が突っ込み、議事堂は大きく崩れて全員が死亡する。ただ1人、指名された副大統領だけがこれから就任式のために議事堂へ向かうところだった。
論争の方が戦争よりまし 生き残った副大統領は、合衆国の要人すべてがいなくなった瞬間、副大統領になったばかりで大統領となり、崩壊した合衆国の建て直しに踏み出す。果たして、うまくゆくかどうかは『合衆国崩壊』4巻で語られる。
一方、現実の方は、テロの攻撃を受けて戦争がはじまった。私自身は米国の報復攻撃という考え方には、いささか疑問がある。ましてや自衛隊が憲法に縛られ、武器の使用を制限されたまま出て征かねばならぬとすれば、今度は日本政府への疑問が生じる。今ここでその論議をするつもりはないが、最後に本書の中に出てくるせりふを、いくつか引いておきたい。
ひとつは米軍工作員がひそかに日本の政界要人に会っていう言葉。「戦争は馬鹿でもはじめられます。……だが、戦争をふせぐには、賢明な人間が必要なんです」
もう一つは日本との戦争に踏み切るかどうかを考えている米大統領の空想。「兵士の代わりに、彼らを戦場に送り出す大統領や首相や政府高官が殴り合うようにしたら、国と国の争いもずいぶんと違ったものになるなるだろう」
結果として小説の中のホワイトハウスでは「おしゃべりの方が戦争よりましだ」というウィンストン・チャーチルの言葉を引いて、本格的な報復戦を避けるほうへ傾いてゆくのである。
(テロの夜は下弦の月であった)
テロと小説の対比
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|
敵対関係 |
米国対テロリスト |
米国対日本 |
動機または目的 |
米国政府への復讐(聖地奪回) |
米国政府への復讐(領土奪回と肉親の戦死) |
攻撃目標 |
ワールド・トレード・センター |
キャピトルヒル(国会議事堂) |
実行犯 |
イスラム過激派19人(全員死亡) |
日本人1人(死亡) |
操縦技能 |
素人(訓練ずみ) |
プロ(日本航空機長) |
凶器 |
ナイフ、カッター |
機内食用ナイフ |
航空機入手手段 |
ハイジャック |
自社機 |
航空機の所属 |
アメリカン航空、ユナイテッド航空 |
日本航空 |
航空機種 |
ボーイング757、767 |
ボーイング747 |
機数 |
4機(うち1機は失敗) |
1機 |
犠牲者 |
機内搭乗者267人、一般市民約3,000人、警察・消防隊員300人余、国防省職員約123人(総計約3,500人) |
日航副操縦士、米国大統領・最高裁判事・閣僚・上下両院議員など。また議会職員、警備員など。(総計約600人) |
(西川渉、『日本航空新聞』2001年12月6日付け掲載)
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