<ロンドン・シティ空港>

小さな大空港

 去る5月13日、エアバスA318がロンドン・シティ空港(LCY)への着陸に成功した。同空港は滑走路が1,199mと短いうえに、周辺の騒音問題もあって、5.5°の急勾配の進入をしなければならない。

 通常、大型ジェット旅客機は3°の角度で着陸進入を行なう。それを5.5°にするのは速度が速すぎて危険が伴うとされていたが、A318はこの問題を克服し、この日の試験飛行では急角度進入、短距離停止、せまい駐機場での操作などをやってのけた。

 LCYでの発着を可能にするため、エアバス社では2003年8月以来3年近く研究開発をつづけてきた。そして機体のごく一部を改修したものの、操縦翼面やエンジンには変更を加えず、主に操縦系統のソフトウェアの組み替えによって、これを実現した。

 具体的な内容は、英「フライト・インターナショナル」誌(2006年5月23日号)によると、機体の改修といっても、コクピットのオーバーヘッド・パネルにボタンひとつをつけ加えただけ。通常の着陸進入と急角度進入の切り替えをおこなうためのスィッチである。

 このボタンで切り替えて進入してゆくと、左右の主翼に3つずつついているスポイラのうち外側の2つずつが自動的に30°立ち上がって揚力を抑え、降下角を深くする。そして高度120フィートで「スタンバイ」の警報が鳴り、65フィートで「フレア」のコールがかかり接地することになる。

 この間スポイラは徐々に戻って、接地の瞬間には8°になる。しかし途中で着陸復航の必要が生じたときは、パイロットがエンジンをフルパワーにすると、通常より素早く、2秒でスポイラが引っ込む。

 こうしたソフトの組み替えは去る3月、欧州航空当局に認められ、LCYでの発着試験に漕ぎ着けたもの。これまではBAe146/アブロSTOLジェット旅客機がここで使われていた。しかし同機の生産はとっくに終了している。そのため空港の前途にもやや暗い見方があったが、今や本格的なジェット旅客機A318が発着可能となったのである。

 これで近い将来、現用アヴロ機に替わってA318旅客機が定期便として就航すれば、ロンドン市内から直接欧州各地へ長距離の路線開設が可能になる。一時に107人をのせてマドリード、バルセロナ、ローマ、ウィーンまで飛べるし、乗客数をいくらか減らせば、東欧までの路線開設も可能。またビジネス機に改造したA318エリートも発着できる。

 ロンドン・シティ空港は民間企業によって発案され、今も民営である。建設が始まったのは20年前。ロンドン・イーストエンドのキング・ジョージX世ドックを改造して空港に仕立て直す工事である。空港の利用者はビジネス客が主な対象と想定され、ターミナルの内容もそのように設計された。同時に空港そのものだけでなく、当時のさびれ果てたイーストエンドの再開発をめざすプロジェクトでもあった。

 チャールズ皇太子によって礎石が置かれたのは1986年5月29日。実質的な開港は87年10月26日。11月5日にはエリザベス女王を迎えて公式の開港式典が挙行された。

 以来20年を経て、ロンドン・シティ空港は今やA318が発着できるようになり、欧州大陸の至るところへ直接飛べるようになった。そればかりか北アフリカへも行けるし、A318エリート大型ビジネス機ならば中東ドゥバイにまで飛ぶことができる。

 こうしてLCYは外見は小さくとも、実質的には大空港が大都市の中に実現したも同然のこととなった。空港という近代施設が、必要ではあるけれども迷惑であるという理由によって、都市の外へ外へと追い出されてゆく時代に、LCYは逆の結果となったのである。さらに空港ばかりでなく、このLCYを中心とする再開発地域で、2012年にはオリンピックが開催されるというのだ。

 20年前、ロンドン・シティ空港が始まった当時、日本でも盛んに地域開発プロジェクトが計画された。その中で空港を考えるとすれば、市街地に近い小さな空港ならばLCYがモデルになるだろうし、郊外の大空港ならばダラス・フォトワース空港(DFW)がモデルになると考えた。

 世界最大の空港をモデルにするとは、日本のようなせまい国土には合わないと思われるかもしれないが、DFWに隣接してつくられたラスコリナス地区――オフィス街と工場、流通センター、そして住宅やゴルフ場などの集積がすぐれた相乗機能を発揮する。謂わゆる臨空開発の典型である。

 当時LCYもラスコリナスも何度か見に行って、いくつかの自治体に提案したが、それらしいものは結局実現しなかった。私の力不足である。

(西川 渉、2006.6.5)

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