<航空と文化>

ターボプロップの復活

 ターボプロップ機の売れゆきが回復してきた。回復が始まったのは1年あまり前である。かつて地域航空の主役だったターボプロップ旅客機は、1990年代なかばリージョナルジェットの登場によって端役に甘んじるようになった。それが今、再び舞台中央で脚光を浴びる機会がめぐってきたのである。

 きっかけは石油価格の高騰である。航空用の燃料も値段が上がり、FAAによれば、米国内のジェット燃料費は2004年から2005年にかけて1.5倍となった。そのため幹線航空も地域航空も軒並み損害をこうむったが、燃料費の高騰は今後もつづくもようで、FAAは向こう3年ほどの間に2004年の1.7倍程度まで上がると見ている。

 しかし、何が幸いするか分からない。この不幸が逆に、ターボプロップの復活をもたらしたのである。近距離運航は、大型機に適するような需要の多い路線は別として、旅客の少ない区間では、やはりジェットよりもターボプロップの方がコストが安い。乗客からすれば、ジェットの信頼性と高速性は魅力的であろう。しかしジェットが速いといっても、近距離区間では目的地への到着時間にさほど大きな差が出るわけではない。しかも最近のターボプロップ機は技術的にも進歩しているので、静かで快適な乗り心地を楽しむことができる。

 今から40年ほど前、日本に初めて導入されたバイカウント・ターボプロップ機ですら、キャビンの振動が少なく、テーブルの上にタバコが立つと宣伝されたほどである。その快適性に加えて、燃料消費が少ないとなれば、燃料費高騰を避けてターボプロップに食指が動くのは当然であろう。

RJ革命からの逆転劇

 10年あまり前、世界の地域航空界にリージョナルジェットの頭文字を取った「RJ革命」が起こった。ボンバルディアCRJ100/200やエムブラエルERJ-145といった50席クラスの小型ジェット旅客機が登場するや、たちまち人気を博し、主役の座に踊り出たのである。これで、ターボプロップとジェットが完全に入れ替わる結果となった。そのもようは下表に示すとおりである。

地域航空機引渡し数の推移

ターボプロップ

ジェット

1985

190

14

1986

263

14

1987

262

9

1988

284

1

1989

340

2

1990

398

1

1991

341

1

1992

251

5

1993

216

24

1994

206

30

1995

244

61

1996

238

72

1997

184

88

1998

154

131

1999

105

191

2000

91

283

2001

78

328

2002

65

318

2003

27

304

2004

36

294

2005

43

251

 1980年代から90年代にかけて、30席以上のターボプロップ旅客機をつくっていたメーカーは、6社を数えた。しかしRJ革命によって4社が舞台を降りた。BAe(英)、フォッカー(オランダ)、サーブ(スウェーデン)、ドルニエ(独)である。残ったのはフランスとイタリアの合弁企業ATRとデハビランド・カナダ(今のボンバルディア)の2社だけとなった。

 その両社が苦難の10年余を乗り切って、2005年に獲得した受注数は下の表に示すように合わせて151機、前年比3.4倍という飛躍である。それに対してリージョナルジェットの方は総数165機の注文を受けたものの、一方で50席級の小型ジェット76機の注文取り消しがあったため、実質的な受注数は89機にとどまった。久しぶりにターボプロップがジェットを大きく上回ったのである。のみならず、RJ革命の先頭に立っていた小型ジェット、CRJ200とERJ145シリーズは生産中止に追いこまれた。

地域航空機の受注数

機     種

2005年

2004年

ターボプロップ

ATR42(48席)

17

1

ATR72(68席)

73

11

小  計

90

12

ボンバルディア

Q100/200(37席)

2

1

Q300(50席)

10

18

Q400(74席)

49

13

小  計

61

32

合   計

151

44

ジェット

ボンバルディア

受注

68

140

取消

-69

-10

小  計

-1

130

エムブラエル

受注

97

108

取消

-7

0

小  計

90

108

合  計

89

238

ATRターボプロップ機の特徴

 ATRは1981年、フランスのアエロスパシアル社とイタリアのアエリタリア社の合弁になるフランス法人として設立された。現在は、それぞれの親会社が再編され、欧州数ヵ国から成るEADSとイタリアのフィンメカニカ社が5対5の資本を持つ。したがって多国籍企業ともいうべきだが、実質はフランスの企業といえるかもしれない。所在地は本社も最終組み立て工場も南仏トゥールーズ空港にあって、従業員の3分の2はフランス人である。しかし社長は、3年ごとにフランス側とイタリア側が入れ替わることになっており、現在はイタリア人が社長をつとめる。

 ATRは発足当初、まずATR42の開発に着手した。旅客48人乗りの同機が初飛行したのは1984年8月16日で、1年後には型式証明を取得する。そのストレッチ型、68〜72人乗りのATR72の初飛行は1988年10月29日。これも1年で型式証明を取得した。

 これらの旧型機に対して、新世代のATR42-500が飛んだのは1994年9月16日。1年後の95年10月から引渡しに入った。ATR72-500も1996年1月19日に初飛行し、97年に就航している。いずれも近距離航空路線にはターボプロップが最適とされた時代の産物だった。とりわけATRの人気は高く、地域航空分野で3割のシェアを占めるに至った。

 最近のATR機はさらに改良が進んだ。そのひとつはエンジン出力が強化されたことで、ATR42-500はプラット・アンド・ホイットニーPW127E(2,400hp)2基を備え、ATR72-500はPW127F(2,750hp)2基を装備する。これで離着陸性能が良くなり、飛行性能も向上した。またATR72は方向舵を大きくして片発停止の場合の方向維持と操縦能力を改善し、離着陸に必要な滑走路長は従来の1,200mから800mまで短縮された。ATR42についても同様の改良と開発が進んでいる。

 ATR機のキャビンは内装や防音にすぐれ、乗客は快適な乗り心地を楽しむことができる。ATR72-500の場合、標準座席数は68席で燃料効率が良く、シートマイル・コストは同級機の中で最も低いというのがメーカー側の主張。さらに環境汚染への影響も少なく、騒音はICAOの基準を大きく下回る。

 ATR機は双発ターボプロップながら、洋上長距離を飛ぶこともできる。120分のETOPS承認を受けているためで、最寄りの代替空港から120分の沖合いまで出られる。洋上で片発が停止しても残りの1発で飛行を続け、2時間以内に代替空港へ着陸すればよい。ATR機のすぐれた信頼性を示すものといえよう。

 ATRの両機は共通性も高い。ATR42の胴体中央部と主翼先端を延ばしたのがATR72だからで、エンジンもATR42はATR72の出力を減格したにすぎない。あとのコクピット、アビオニクス、プロペラ、油圧系統、電気系統、燃料系統、エアコン系統、操縦系統、前輪などは同じものである。

 したがってエアラインが両機を同時に使う場合、補用部品は9割が共通だし、パイロットの拡張訓練に要する時間も3時間だけで、資格は共通である。同じように整備士の拡張訓練にも時間や費用はほとんどかからない。

STOL性にすぐれたダッシュ8

 一方のボンバルディアDHC-8(以下ダッシュ8)はATRよりも2年早く、1979年に開発が始まった。当時のデハビランド・カナダ(DHC)社が製造していたDHC-6ツインオター双発ターボプロップ機(19席)と、通称ダッシュセブンと呼ばれるDHC-7四発ターボプロップ機(50席)の中間に位置する36席機として計画されたものである。

 したがって、DHC-7のスケールダウンという形状になり、翼幅は短縮されたが、同じ太さの胴体を持ち、高翼、T型尾翼の基本形も変わらない。しかし機首やエンジン・ナセルは抵抗軽減のためスマートに整形され、コクピットの風防も曲面パネルを採用した。主翼には大きなダブル・スロッテッド・フラップがつき、高揚力装置としてSTOL性能の向上に役立っている。また翼上面には左右合わせて4枚のフライト・スポイラーがあり、低速時の操縦性を確保する。さらに胴体とエンジン・ナセルとの間の翼上面にもグランド・スポイラーをそなえ、接地後の滑走距離短縮に寄与している。

 こうしたダッシュ8は、基本型-100(37〜39席)が1983年6月20日に初飛行、翌年9月に型式証明を取得して定期路線に就航した。次の-300(50〜56席)は胴体を延ばして1987年5月15日に初飛行、翌年2月に型式証明を取った。この-300のエンジンを-100に取りつけたのが-200である。大きさの割に出力が増えて、高温高地での離着陸性能が向上し、巡航速度も速くなった。

静かなQ400の登場

 1995年6月、ダッシュ8-400(68〜78席)の開発着手がパリ航空ショーで発表された。同機は1998年1月31日に初飛行、2000年2月に就航する。独自の「騒音・振動抑制装置」(NVS)を装備、キャビン内部はきわめて静かになった。以後NVSをつけたダッシュ8は派生番号の前にQuietの頭文字をつけ、Qシリーズと呼ばれている。

 Q400は最大巡航650km/hの高速性能と2,500km以上の長航続性能によって、従来の地域航空には見られない長距離路線にも適合する。またヨーロッパでは5.5°の急角度進入を認められ、市街地のきびしい条件に縛られたロンドン・シティ空港での離着陸も可能。またキャビン前方の乗降ドアにはエアステア(階段)がつき、地上施設の不十分な空港でも旅客の乗降ができる。

 エンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダ社のPW150A(5,075hp)が2基。プロペラは6枚ブレードの可変ピッチで、複合材製。電熱式の防氷装置が埋めこまれている。航続距離は、乗客74人をのせて2,500km以上。降着装置は前輪式の引込み脚。二重車輪にはアンチ・スキッド・ブレーキがつく。

 こうしたダッシュ8シリーズは2005年11月末現在、受注総数がちょうど800機に達した。このうち37機が日本で飛んでいる。1機は航空局の飛行検査機だが、残りはエアライン8社の地域航空路線に就航中。ここで気がかりなのは、近年わが国でダッシュ8の不具合が相次いでいることである。2004年11月に高知空港で着陸滑走中のQ400が滑走路を踏み外す事故を起こした。死傷者はなかったものの、2005年に入ると11件の不具合が発生した。

 いずれも大事には至らず、事故とはみなされなかったが、前輪の操向不良、主脚の格納不全、油圧系統の故障、オイルもれ、配線不良など、機材上の問題が多い。これらが航空会社の整備作業の不手際か、メーカーの製造工程の問題かはっきりしないけれども、たび重なると重大事故につながる恐れが出てくる。ターボプロップの復活にも水をさすことになるであろう。

インドの航空自由化

 最後にもう一度、ターボプロップの売れゆきに目を向けてみよう。2005年のATR機の急増には、その背景にインドの航空会社があった。同年1月初め、エア・デカンがATR72-500を30機発注し、ATR機の販売に行き足がついた。11月になると、同じインドからキングフィッシャーがATR72を20機発注した。これで2005年のATR機は、半数以上をインドから受注したことになる。さらにキングフィッシャーは今年ふたたびATR72を15機発注し、20機を仮発注した。これで同航空のATR72-500は確定35機、仮20機となり、3月末にはその1番機を受領している。

 キングフィッシャーは昨年6月のパリ航空ショーで、超巨人機A380を初め、A330、A350の3機種を5機ずつ発注して世界の航空界をあっと言わせた。それというのも同社は2004年に設立され、2005年5月に運航を開始したばかりだったからである。こんな大胆な経営戦略を打ち出す根拠は何か。第1はインド政府が2005年から航空の自由化に踏み切ったこと。第2は、それに応ずるだけの資本力を持っていたことであろう。その背景には世界第2位のビール醸造会社が存在する。

 キングフィッシャー以外にも、インドでは航空の自由化に応じて多数の新興航空会社が積極的な動きを見せ始めた。すでに10社前後が新たな航空市場をめざして動いており、上のエア・デカンもそのひとつである。

 インド経済は今、急成長をつづけている。国民の所得水準が上がって貧困層が減り、中国を追う新興大国として一段と国力を増してきた。人口は10億を超え、2030年には中国を抜いて世界一になると見られる。そのうえ公用語が英語だから国際的な意思疎通がはかりやすい。その優位性は、すでにコンピューター関連のIT産業で実証されているとおりである。

 旅行人口も増えている。今まで飛行機に乗ったことのない人が国内の移動に航空便を使うようになり、やがて国外旅行にも出かけるようになるだろう。言葉の不自由がないだけに、経済的な条件が満たされるならば、国外旅行者は一挙に増えるに違いない。おそらく2010年までには今の2倍に拡大し、9,000万人の旅客需要が見こまれている。

新たな世界が広がる

 こうしたターボプロップ復活の波に乗って、ボンバルディア社はQ400のストレッチ型の開発を検討しはじめた。今の70席を90席前後にするというもの。これで同機のシートマイル・コストは10〜15%下がる。特に飛行距離500〜700km程度の区間では、ボーイング737よりも費用効果が大きくなるとして、実用化の目標を2010年においている。

 そのボーイング社も、燃料問題の深刻化を前提に新しい近距離用旅客機の研究をはじめた。推進用ターボプロップ2基をもつものだが、プロペラというよりもブレード数の多いファンになっていて、燃料効率にすぐれる。これで燃料費が安くなるばかりでなく、排気ガスが少なくなり、騒音も少なく、環境問題にも貢献するという設計である。


ボーイングの低燃費ターボプロップ構想

 実はボーイング社は1980年代、727にプロップファンをつけて飛行試験をしたことがある。しかし、その後、石油価格が下がって燃料節約の意味が薄れ、研究も中断した。しかし今後、石油価格が上がりつづけるとすれば、航空機の基本的な考え方を改める必要が出てくる。

 ガソリン代が上がるにつれて、車から公共交通に乗り換える人も増えるにちがいない。その一つが定期航空だが、近距離の航空路線は今後いっそう需要が増えるだろう。そこへ燃料効率の高い旅客機を投入するというのがボーイング社のめざすところ。具体的には今の737の後継機だが、2012年までに実用化するという。

 かくて、ターボプロップのゆく手には、いま新たな世界が広がりつつある。

(西川 渉、『航空と文化』(日本航空協会刊)2006年夏季号掲載)

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