航空の現代電脳篇 → 私のホームページ作法(28)

老 人 と 海

 

 最近だんだん目が見えなくなってきた。コンピューターの画面をしばらくにらんでいると、2〜3時間後には文字がかすんでくる。これでは仕事にならぬし、あとはもう盲目になるほかはないかと思っていたら、視力を回復する矯正手術の話が新聞に書いてあった。

 なんでもレーザー光線を使って角膜を削り、網膜でうまく焦点を結ぶようにするのだそうである。詳しく読んでみると、角膜の表面を「パチ、パチ、パチ」と放電のような音を立てながらレーザーが同心円状に削ってゆくという恐ろしい話である。おまけに新しい手術なので長期的な安全性までは確認できていない。つまり先々何が起こるか分からないし、手術に成功すればタイガー・ウッズのようになれるけれども、下手をすると角膜に傷がついて移植が必要になった例もあるとか。そのうえ手術料は片目で30万円と書いてあったので諦めることにした。

 そこで、実行に移したのは目薬である。30万円の手術から800円の目薬では余りに落差が大きいけれど、これだってちょっとした決心が必要だった。というのは、子どものときに結膜炎を患って眼帯をかけたり目薬をさしたりして、ひどく痛い思いをして以来、この60年ほど目薬などはさしたことがなかったからである。

 したがって目薬を自分の目の中に落としこむのもむずかしく、2階から目薬どころではない。5回に1回くらいしかうまく入らず、家人が横で見ていて勿体ないなどとつぶやいている。

 その目薬というのは、パソコン雑誌の広告に出ていたもので、眼球のピントを調節する毛様体筋の疲れを取り除くのだそうである。うまく効いてくれるかどうか、まだ2〜3滴しかやっていないのでよく分からぬが。

 そんな苦闘のさなか、わが敬愛するヤコブ・ニールセン師がホームページは老人にも使いやすくつくるべきであると書いていた。師の調査によると、かつては若者専用かと思われたパソコンと、それを利用したインターネットが、最近は年配者にも数多く使われるようになった。ところが、この道具は老人にはどうしても使いにくい。若者にくらべて2倍くらいむずかしいという結果が出たそうである。以下、その要旨をご紹介しよう。

 インターネットの利用者として、最近急速に増えているのが年配者である。アメリカでは65歳以上のインターネット利用者が推定420万人に上るが、同じような傾向は他の国にも見られる。

 今や先進工業国では老人の比率が増えている。彼らは引退して、体力的には若者に負けるかもしれないが、知的関心は決して衰えていない。とりわけインターネットのような新しい技術に関しては大きな関心を寄せている。

 彼らがインターネットを利用する場合、最も多いのが電子メールである。次いでウェブ・サイトを見て歩くわけだが、その訪問先は何かの調べものをするためのサイト、ニュース・サイト、投資関連サイト、病気と医療関連のサイト、そして余り多くはないが買い物や銀行取引をしている人もいる。

 上にいう調べものとは自分の趣味や研究に関連する参考資料の探索である。たとえば歴史、料理、戦争、動植物、美術など。

 ここまで読んでくると、なんだか自分のことを言われているみたいで、すっかり納得してしまう。けれども、問題はこれからで、老人がインターネットの海でうまくサーフィンをしてゆくのは思ったほど簡単ではない。ときには波に呑みこまれたり、方角を見失って漂流するはめに陥るというのである

 この実態を量的に測定するため、ニールセン師は65歳から80歳以上の20人と、21歳から55歳までの20人――いずれもアメリカ人によってアメリカのウェブサイト10か所を訪ねるインターネット・サーフィンをやって貰った。その際、インターネットの上で、ある事実問題を調べる、買い物をする、情報を探索するなど4種類の仕事をしてもらったところ、下表のような結果となったそうである。

   

老人グループ
(65歳以上)

若者グループ
(21〜55歳)

成功率(与えられた目的を正しく達成したか)

52.9%

78.2%

平均所要時間

12分33秒

7分14秒

失敗回数(各仕事に対して誤った行動をした平均回数)

4.6回

0.6回

全体評価

100%

222%

 上表についてニールセン師は次のように分析している。

 老人と若者との間には明らかな違いがある。全体評価で見るように、使いやすさの基準を老人の100%に置くならば、若者は2倍以上も使いやすく感じている。

 では何故ウェブサイトは老人に使いにくいのか。最大の理由はウェブサイトの多くが若い設計者によって作られているからだ。彼らは自分のサイトにアクセスしてくる人がみんなインターネットについてよく知っていて、さまざまな操作を自由に完全にできると思っている。

 ところが、実際はそうではない。とりわけ老人は、うまく操作できないことが多い。その理由は第1に生理的なもので、歳を取ると視力が衰え、手の動きも正確なこまかい操作ができなくなり、記憶力だってぼんやりしてくるからである。

 またしても自分のことを言われているような気分である。さらに師は第2の理由として次のような点をあげている。その理由とは「多くの老人が現役のときにはコンピューターやインターネットの経験が少なく、まさに60の手習いから始めているからである。したがって基本的な知識が少なく、技術的にもコンピューターの作動の癖をなかなか理解できないからである」。私も、もう少し遅く生まれてくればよかったと思う。そうすれば、もっと若いときからコンピューターになじんで、もっとうまく操作できただろうから。

 とはいえ、問題はウェブサイトそのものの使いにくさである。「デザインが悪くて使いにくいサイトでは老人と若者の違いが大きいが、使いやすいサイトでは老人も若者と同程度にすいすいと操作できる」という結論は同感である。

 しかも老人にとって使いにくい理由の筆頭に「文字の大きさ」を上げているところが嬉しいではないか。

 老人にとってグッドデザイン・サイトというのは、第1に文字の大きなサイトである。これは前から分かっていたことだが、上の実験でも実証された。文字の小さいサイトは、それだけで老人にとって負担が大きい。にもかかわらず小さい文字で表示されるサイトは決して少なくない。しかも困ったことに、最近は利用者のブラウザーによる文字の拡大機能がきかないような設計まであらわれた。

 老人にも読んでもらいたいサイトは、少なくとも12ポイント以上の文字を使うべきである。あるいは小さい文字を使うにしても、利用者の希望によって文字の拡大ができるようにすべきであろう。

 この原則はクリック・ボタンにも当てはまる。余り小さなボタンはクリックしにくい。適当に大きく、クリックしやすいボタンをつけるべきである。

 たしかにその通りで、読売新聞の書評などは文字が小さくて読めない。といって文字の拡大もできない仕組みになっているし、そのままプリントしても小さい文字でしか印刷されない。やむを得ず、文字だけのコピーを取って、テキスト・エディターやワードなどに落とし、文字を大きくしておいてパソコン画面で読むか、プリントアウトしなければならない。

 またニールセン師は、プルダウン・メニューを多用したり、複雑な階層構造になっているサイトも困りものだし、リンク文字の色を変えないサイトは老人のみならず若者も混乱させると指摘している。

 そのうえでニールセン師の結論は次のようになる。

 使いやすいサイトは老人にとってきわめて重要であり、大きな満足感を与える。その結果、彼らは気に入ったサイトを何度も訪問し、その後長く「お気に入り」の関係が保たれることになる。

 インターネットは引退した老人にとって、実用的な目的がなくても、生活そのものを豊かにしてくれる。それゆえに使いやすいものでなければならない。老人に使いやすいサイトは当然、若者にも使いやすい。したがって誰にでも好意をもって迎えられることになる。それだけでアクセス数も増えようというものである。

 私も文字の大きな、構造の単純な、使いやすくて読みやすく、しかも「面白くてためになる」サイトをつくっていきたいと思います。目がつぶれるまで続けますので、今後とも『航空の現代』をご愛顧のほどお願いいたします。

(西川 渉、2002.5.13)


(充血眼でホームページをつくる)

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