【AHS建白書】

垂直飛行のための

安全有効な飛行方式の確立を

 

 去る四月、国際会議「ヘリジャパン98」が岐阜で開催されたとき、来日したアメリカン・ヘリコプター協会(AHS)本部のエグゼクティブ・ディレクター、レット・フレイター氏と話をする機会があった。

 この人は今から十年ほど前「ハブエクスプレス」という会社を設立、ボストン国際空港を起点とするヘリコプター旅客便を運航していた。私は当時、そのもようを見るために現地に飛んだ。折から湾岸戦争の最中で、出征兵士の無事帰還を祈る黄色いリボンが家の門口や車の正面など、至るところに飾ってあった。私は不明にして、そのときまで黄色いリボンにそんな意味のあることを知らなかったので、非常に強い印象を受けた。

 余談ながら、山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンでは、沢山の黄色いハンケチが物干し竿に飾ってあったが、あれも長いあいだ夫の帰宅を願っていた妻の気持ちをあらわすものであった。

 ボストンの当日はあいにく天気が悪く、みぞれまじりの雨のために予約してあったヘリコプターには乗れなかったが、フレイター氏のオフィスで話を聞くことができた。ハブエクスプレスの使用機種はベル206小型単発機。フレイター氏の熱意にもかかわらず、しばらくして運航は中止になり、氏はAHSの最高責任者へ転進した。

 それから何年か経って、先日の岐阜では久しぶりの再会だったが、そのとき氏からA4版数頁の文書を手渡された。日本語にすれば『垂直飛行のための安全有効な飛行方式の確立を』という表題で、その下に「ホワイトペーパー」と書いてある。つまり白書というわけだが、内容は「建白書」という方がいいであろう。

 この文書は今年春、米国ゴア副大統領の航空安全の促進という命題に応えて、AHSと国際ヘリコプター協会(HAI)が作成し、連名でFAAに提出したものである。

 そこには先ずロータークラフトの重要性が指摘してある。米国では現在、民間ヘリコプターが年間およそ二百三十万時間の飛行をしている。日本の十倍以上の飛行時間であろう。これを経済活動としてとらえるならば、その規模はメーカーにおける生産のための人件費を含めて、年間六十二億ドル――日本円にして八千五百億円を越える。

 また機材に対する需要は向こう八年間で二倍になると予測されている。これはヘリコプターの騒音軽減など技術上の改善が進み、さらに民間向けティルトローター機が実現してくるためという。

 一方、既存の空港や空域は急激な航空旅客需要の増大によって、ますます混雑してくる。旅客需要は今後数年間で二倍になるものと予想され、早く対策の手を打たないと航空輸送業界とその利用者はコストがかさみ、不便が増し、サービスの質が低下し、最終的には安全性も低下すると見られる。そこで、対策としてはロータークラフトの活用が最も有効というのが、この建白書の趣旨である。

 しかるに今の空域、管制、および計器飛行に関するシステムは、ロータークラフトが安全かつ効率的に飛行できるような状態にはなっていない。たとえば今の航空交通管制は固定翼機のために開発されたものである。したがって、ロータークラフトの三次元的な飛行能力や柔軟性を考慮したものではないため、同じ方式を適用するならば無駄な遅れを生じたり、空域の混雑を招くことになる。

 具体的には、ヘリコプターが航空交通管制を受けると遠回りの経路を飛ばなくてはならない。また計器進入をしようとすると最低基準が過大に過ぎて制限が多すぎ、実用的でない。そして低高度を飛行しているときの通信および監視機能が限られる。

 さらに建白書は、限られた空域の中でロータークラフトと固定翼機の相互の干渉を最小限に抑える飛行方式がないとか、ヘリポートやヴァーティポートの設計基準が厳し過ぎるといった問題点を上げて、こうした状況がヘリコプターの安全運航を損なっていると主張する。

 日本ではヘリコプターが低高度を飛んでいるときは、無線通信が途絶しレーダー監視ができない、だからヘリコプターの計器飛行は困難という人が多い。しかし、これは議論の立て方が逆であって、だから低空でも通信や監視を可能にするにはどうすればいいかを考えなければなるまい。

 そこで、これらの課題を解決するにはどうすればいいか。AHSやHAIの基本認識は、最近の技術的な進歩をもってすれば解決できないわけではない。たとえば近年GPSおよびDGPSを利用した計器進入方式が開発され、迅速で安価で信頼できる結果をもたらしつつある。

 この結果をさらに進め、ロータークラフトと固定翼機とが共存できるような飛行方式をつくり上げ、ロータークラフトの運航効率を高めると同時に、限られた空域での固定翼機に対する干渉を最小限に抑えるために、FAAを中心として、運航者、メーカー、NASA、国防省から成る総合チームを設置することという提案をしている。

 そして向こう一年以内に既存の技術を使って、ヘリポートと空港でDGPSを使用し、気象条件ゼロ・ゼロ状態での精密進入方式を完成させる。また米国北東部の「ノースイースト・コリドー」や石油開発のための洋上長距離飛行の多いメキシコ湾に、GPSを基本とする低高度の計器航空路を設定する。あるいはGPS進入のためのインフラおよび飛行方式承認基準を簡潔なものにするなど、八項目にわたる具体的な提案をしている。

 こうした状況は日本でも全く同じといっていいであろう。むしろ空港混雑の度合い、せまい空を飛び交う航空機の飛行密度、そして実際に発生しているヘリコプター事故の状況などを見ると、問題はアメリカ以上に深刻なはず。

 わが国でもこうしたプロジェクトがもっと積極的に推進されるべきではないだろうか。

(西川渉、『日本航空新聞』98年7月16日付掲載)

 

【追記(98.8.8)】

 上の建白書は、AHSとHAIの連名でFAAに提出されたが、これについて最近、FAAのジェーン・ガーベイ長官との間で直接の話し合いがおこなわれ、そのもようが7月24日付けのHAIニュースで報じられた。

 それによると「ロータークラフトは緊急医療サービス、警察活動、捜索救難、資源開発、その他の活動にとって不可欠の手段である。また米国航空システムの混雑解消のためにも有効である。したがってヘリポートからヘリポートへの飛行や固定翼機の飛行を妨害しないためには、広域安全システムの開発が急務であり、それには衛星技術の利用と適切なターミナル進入要領の開発が必要である」ことが強調された。

 それに対して、FAAは『垂直飛行5か年計画』を用意しており、次のような7項目の方策を実行に移して行く考え方を示した。

@米国の空域システムにおける垂直飛行の基本概念を明確にする

A衛星航法要領を反映させるために、ヘリコプターの飛行方式を見直す

B搭載用のアビオニクスの基準を明確にする

Cターミナル空域とエンルートにおける垂直飛行要領を明確にする

D搭載用アビオニクスの評価試験をおこない、運用手順を明確にする

Eヘリポート/ヘリパッドの要件を明確にする

F垂直飛行プロジェクトを支援する

 かくて、ヘリコプターやティルトローター機など、ロータークラフトの垂直飛行に関するアメリカ政府の取り組みはますます本格的になってきた。

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